永楽帝~大明天下の輝き~ #27 獄中の詩 あらすじ
李善長の詠んだ詩は胡曽が読んだ詩を改変したものだった。
本来ならば、
上蔡の東門に狡兎肥ゆ
李斯何事か南へ帰るを忘る
功成りて解さず身退くを謀るを
ただ咸陽に待ちて血に染まる
という詩である。
李善長は、”血に染まる”を”竟に属すは誰”と変えていた。
この詩により李善長は、李斯が丞相だった秦のように明も2代で滅びると、皇帝を罵っているのだった。
投獄されていた開国の功臣7名は、一族もろとも斬首された。
太子は自ら李善長に毒杯を運び、なぜあの詩を詠んだのか尋ねた。
あの詩を知り、皇帝は処刑を決めた。
李善長の処刑が決まったため他の7名も処刑となったのだ。
李善長は、進む道が違えば共存できないのだと話した。
太子は、妹夫婦や皇帝の外孫を除いた李善長の一族も処刑した。
砂漠を掃討した朱棣に褒賞を与え、辺境の兵の指揮権を朱棣と晋王に与え、藍玉を赦免するよう太子は皇帝に頼んだ。
藍玉が赦免されると知った朱棣は激怒し、今すぐ帰藩したいと皇帝に申し出た。
皇帝から誰に対して怒っているのか聞かれた朱棣は、苦しい胸の内を話した。
敵が移動する漠北において、攻める機会はすぐ消える。
掟を破ったものの、自分は好機を逃さず単独で最前線に出陣し乃児不花を投降させた。
それなのに自分が得たのは弾劾の奏上や太子や皇帝に言葉をかけてもらえない日々。
藍玉は赦免され、また自分と対峙することになる。
自分に非はないのに、なぜ藍玉と争わせるのか、と。
朱棣が宣言通り帰藩すると、皇帝はその行動を許し”ただ寂しい”と太子に話し、家族皆が近くにいた頃の思い出話をした。
親王は1年に1度だけ参内し、帰藩したら他の王に文で知らせる。親王間の行き来は禁止。
子孫が二心を抱かないようにするため皇帝が決めたことだった。
太子は藍玉に、赦免したのは藍玉が常氏の叔父で雄英の大叔父だからだと話した。
呂本は亡くなった。
呂本の門下生の中で特に優秀だった鉄鉉、黄湜、斎泰、練子寧の4名に、呂氏は”君主に誠心誠意尽くし慎み深くあれ”という呂本から託された言葉を伝えた。
藍玉は中軍都督府を任されることになった。
高煦は勉学が嫌で、高燧を連れ逃げようとした。
妙雲は2人を見つけ、高煦を打ち据えおしおきをした。
高熾は兄である自分の責任だと言って弟をかばったが、高煦は「いい子ぶらないでください」と高熾を睨んだ。
兄の心を理解せず、弟の面倒も見ない高煦に妙雲は反省を促した。
朱棣は高煦をかばうため妙雲に意見しようとした。
すると妙雲は、唐の太宗が晩年李泰を溺愛したため太子の承乾が悩み、兄弟で争ったことを挙げた。
そこに呂本が亡くなったという太子からの報せが届いた。
皇帝は、13皇子朱桂を代王、14皇子朱楧を粛王、15皇子朱植を遼王、16皇子朱暹を慶王、17皇子朱権を寧王に任じた。
皆、年長の親王の近くを割り当てられている。
これだけ分藩すれば朱棣や晋王の兵権は大幅に縮小することになる。
さぞ慌てているだろうと伯雅倫海別は分析した。
数年前、朱棣が親王の就藩を上奏したのは藍玉に対抗するのが目的だった。
しかし今回のものは違う。
1人五万石の親王の俸禄が朝廷の負担になっているので、減俸を願い出ようと考えていると朱棣は姚広孝に語った。
姚広孝は、この奏上は皇帝を喜ばせると話した。
感想
李善長の詩は、李斯の詩を改変し皇帝を批判するものだったと判明しました。
スッキリ。
胡惟庸が中書左丞に抜擢されることも李善長は読んでました。(4話)
皇帝の思考を読んでいた李善長ですから、この詩を詠めば皇帝が自分を処刑するだろう事は分かっていたと思われます。
だから、あえて処刑されようとした。
皇帝は「一族の命と引き換えに朕の悪名を歴史に残す気だ」と言っていました。
太子に尋ねられた李善長は、”もう皇帝とは進む道が違うから共存できない”と言っていました。
長年淮西派の功臣と皇帝との板挟みになってきた李善長ですから、”自分が死ねば淮西派の奴らを道連れにできる。この際死を選び道連れにしてやろ”という気持ちもどこかにあったのではないかと思いました。
私が李善長の立場だったら、何回迷惑かければ気が済むの?と絶対思ってたと思います。
高潔な方だから、俗な考えはしないのでしょうが、少しは俗な考えも持っていて欲しいという願望でした。
高煦が高燧を連れて勉強から逃げ、妙雲にお仕置きされている場面は可愛かったけれど暗示的でした。
高熾は自分の責任だと言って弟をかばってました。
まだ10歳ちょっとでこんなことを言える高熾、すごいなぁ。
「いい子ぶらないでください」というセリフは、朱高煦さんのセリフだと思うとすっごく可愛かったです。
背景には、高煦を自分に似ていると可愛がり高熾に厳しい朱棣と、長幼の序を大切にするべきと高煦に厳しい妙雲の接し方?考え方?の違いがあるみたいで、なんとも難しい。
ただの庶民の兄弟だったら何の問題もないんでしょうけれど、由緒正しい家系に生まれてしまったがゆえの難しさがありますね。
皇帝は朱棣と晋王に辺境の兵権を渡しましたが、すぐに13~17皇子を就藩させ兵権を大幅に縮小しました。
13~17皇子を就藩させるという斎泰の上奏に対する意見を求められた太子は、まだ早すぎるし朱棣などは不満に思うだろうが、年少の弟や允炆んいは良いことだと言っていました。
今回の弟たちの就藩は、朱棣らの兵権を抑えるためのもの。
高齢の皇帝は、世代交代を見据えてこの措置を採用したのだろうと思われます。
太子は朱棣が不満に思うだろうと言っていましたが、むしろ朱棣は減俸を願い出て朝廷の負担を減らそうと考えました。
今はまだ帝位を狙っていないから、兵権を縮小されても文句を言うどころか、減俸まで願い出ました。
太子や皇帝は朱棣が減俸を願い出れば喜ぶでしょう。
今回から、太子が咳をし始めました。
すっごく心配です。