「さようなら西黒田幼稚園」 統合廃園で園児、住民らがイベント | 近江毎夕新聞

「さようなら西黒田幼稚園」 統合廃園で園児、住民らがイベント

 長浜市立長浜南幼稚園(現神田幼稚園=長浜市)への統合で、三十一日で廃止、閉園となる、市内常喜町の市立西黒田幼稚園(土川将与園長、園児三十二人)で二十七日夜と二十八日に閉園記念イベント「ありがとう西黒田幼稚園」があり、園児、保護者、地域住民約五百人が、幼稚園四十年の歴史にピリオドを打った。
 同園PTAと西黒田ふるさと振興会議(尾崎清会長)で組織する「ありがとう西黒田幼稚園イベント実行委」(委員長=別符剛司・西黒田幼稚園PTA会長)が主催したもので、二十七日午後七時から園舎周辺に電飾を付け、園児のメッセージ入り「青竹ロウソク」を並べて、園舎との別れを惜しんだ。地元の花火業者の協力で本格的な花火の打ち上げもあった。
 二十八日は、藤井勇治市長らがあいさつ。六年前に創作された「西黒田幼稚園のうた」の歌い納め合唱、プロジェクター映像での園の歴史紹介、人形劇サークルてんとうむしの「金太郎」、琴サークルらの演奏・朗読「かさ地蔵」の上演などがあった。また、園庭では金魚すくいや綿菓子などの模擬店が登場。相撲大会、もちつき大会などもあり、最後は風船を飛ばし、この日のために作詞した「ありがとう幼稚園のうた」を全員で合唱した。「お兄さんが通った、お姉さんが通った、みんな大好きな青い屋根の幼稚園。思い出いっぱいの幼稚園―」園児らの元気な歌声に目頭を押さえる住民もいた。
〔写真〕「西黒田幼稚園のうた」を合唱する園児ら


存続の声封殺 園児減少を理由に
 長浜市教委が園児数の減少を理由に西黒田幼稚園を神田幼稚園に統合する方針をPTAに示したのは一昨年末。昨年三月には両園の通園エリア自治会にも説明会を開いていた。西黒田幼稚園の存続を求める住民の声もあったが、西黒田地区の地域づくり協議会会長ら役員は発表直後から「統合やむなし」との見方を示し、事実上、園存続を求める住民の声を黙殺していた。
 市教委によると、西黒田幼稚園の統合計画は、市ががかつて設置していた協議機関「市学校規模等適正化検討委員会」の答申に基き、「一クラス園児数が十人を割り込み、今後さらに減少が予想される園」を対象に平成二十年度に立案されたという。市教委では統合の理由を「社会性などを育む幼少期の学びの環境では集団教育の規模が大切。十人を下回る規模は適正とは言えない」などとしている。しかし、統廃合の判断基準とされた「十人以下」は、学校規模等適正化検討委員会の答申や、文科省指針では示されておらず、市教委が地元説明で示した任意の数字。また市教委は長期的に地域の出生数、児童数が減少し続けるとする、客観的根拠も示していない。
 西黒田幼稚園は昭和四十五年に開園して以来の園舎で老朽化や耐震性の不足が問題となっていた。一方、同時期に開園した神田幼稚園は旧神田小学校校舎を園舎に転用していたが平成十二年に改築。西黒田幼稚園に比べ園児数が少ないにもかかわらず園舎が新しいことを理由に神田幼稚園への統合とした。
 西黒田、神田の両幼稚園は三歳、四歳、五歳で各一クラスを開設。平成十九年度の園児数は両園全六クラスで十人以上だったものの、平成二十年度から神田幼稚園で三歳児、四歳児各一クラスが九人と、一ケタ台に減少。西黒田幼稚園でも三歳児一クラスが六人に急減していた。平成二十一年度は西黒田幼稚園で三歳児クラス八人、四歳児クラス六人、神田幼稚園で三歳児クラス三人、四歳児、五歳児両クラス九人と一ケタ台クラスが五クラスに及び、十人を超えたのは十八人の西黒田幼稚園五歳児クラスのみだった。
 統合初年度の平成二十二年度の園児数は三歳児十五人(うち旧西黒田幼稚園学区八人)、四歳児十人(同七人)、五歳児十五人(同六人)の計四十人。教諭は二人増の七人となる。同園ではバス通園を始めるための園庭整備、フェンス整備などを終えていた。