父の医療用麻薬の投与が始まった日,

父の面会開始時刻前に母の施設へ行きました。

途中にあるお花屋さんには,

紫陽花が沢山並んでいました。

母は父が亡くなった事を知りません。

認知症の母に父の死を知らせるか弟とも相談し,

弟の出した結論に従いました。

棺に入った父の姿を見た時,

火葬が終わり骨上げした時,

これで良かったのだと思いました。

以下,とても気分の悪いお話になります。

父は闘病3年8ヶ月の間,

6回も入院し,6週間に一度のペースで通院していましたが,

母からどこの病院へ行くのか,

何の病気なのか聞かれた事はありませんでした。

認知症の母がどんな世界で生きているのか,

多くの時間を共有して来ましたが,未だに想像する事は出来ません。

母はショートステイに出掛けてからも,

父の事を尋ねる事は一度もありませんでした。

ところが父が亡くなってから面会に行く都度,

母の第一声は「お父さんはどう?」。

66年の結婚生活,

何か感じる事があったのでしょうか。

初めて父の事を尋ねられた時,

Aは一体どんな顔をしていたのでしょう。

母との面会を重ねるにつれ,

母の知る権利を奪っているのではないかと感じ始めています。

弟は母にほとんど会っていなかったので,

母の現況も知らず,知ろうともせず,

認知症の母を混乱させたくないと簡単に結論を出しましたが,

意思疎通ができない訳ではない事を考えると,

知らせなくて本当に良かったのかと良心の呵責に苛まれます。

「お父さんはどう?」と聞くだけで,

何の病気なのか,容態はどうなのか,

どこの病院に入院しているのか,いつ退院できるのか,

具体的な質問がない事には,

申し訳ないけれど少しだけホッとしています。

知らせる,知らせない,どちらが正解かはわかりません。

でも,Aはこれからずっと母に嘘をつき続けなければなりません。

とても重い物を背負って行く事になりました。

Aは一人で悶々としているのに,

弟は未だに母の所へ面会にすら行っていません。

父が初めて入院した時に母が言った,

「私は男の子を生んだけれど,私に息子はいない」,

あの言葉が思い出されます。

 

 

明日が今日よりも幸せな一日になりますように。

Aでした。