【旅行期間:2022/11/10-13】
 
函館市の端まで車を走らせ、訪れたのは「立待岬(たちまちみさき)」
 

 
かなり細い道を車ですり抜けていき、墓地を横目に進みます。
その墓地の中には「石川啄木一族の墓」もありました。
車中でそっと手を合わせる。
 
津軽海峡、下北半島が見渡せる絶景
 
 
一周ぐるりとどうぞ
 
 
左端は函館市街
 
 
しかしめちゃくちゃ風が強くて、華奢とはいえない私でも吹き飛ばされそう。
 
 
「これ、ヅラの人はやばいね」と私が言うと、連れが
「ヅラ殺しの岬」と命名(笑)
 
 
 
うーん、さっきまで曇っていたのに、いい天気!!
 
 
そしてここから山道を少し車で走り、函館八幡宮駐車場に停車。
函館八幡宮鳥居横の階段を登って向かった先は「碧血碑」
 
 
中国の故事「義に殉じた武士の血は三年たつと碧色になる」から命名。
 
国内最大の内戦となった戊辰戦争で命を落とした、旧幕府軍の土方歳三ら約800人を慰霊するために建立されました。
 
 
戊辰戦争最後の戦地となった箱館。
 
終戦後、新政府軍は旧幕府軍戦死者の埋葬を許しませんでしたが、それに異を唱えたのが侠客の柳川熊吉でした。
熊吉は実行寺住職の日隆らの協力を得て、打ち首を覚悟しながらも、町中に放置されている遺体を回収。
結果的に処刑を免れた熊吉は、函館山の山麓に土地を購入し、実行寺などに収めていた遺体を改葬し、7回忌にあたる1875(明治8)年には、旧幕府軍の中心メンバーであった大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、碑を建てたのです。
 
 
碑を建てたときも、戊辰戦争について書くことははばかられたため「此事(このこと)」とのみ記されています。
 
 
碧血碑に上る手前左手には、この土地を購入して慰霊碑の建立に尽力した柳川熊吉の義挙を伝える石碑が建っています。
 
 
 
下の写真は、ベニサラサドウダンの木
 
 
会津地方の山地に広く自生している樹木。
この地に眠る会津藩士の霊を慰めるために献樹されたものです。
 
比較的新しい案内標識が建てられていました。
 
 
 
 
 
碧血碑がある場所は、鬱蒼とした山の中。
 
夏は藪蚊が多いそうで、私たちが訪れたのはちょうどよい季節でした。
 
なかなか訪れることができない場所なので、この機会に来て手を合わせることができてよかった。
 
函館市街を望む。
 
 
つづく。