日野宿本陣
 
甲州街道沿い、佐藤彦五郎新選組資料館の真裏にあります。
 
ここは佐藤彦五郎の家だったので、それも当然と言えば当然のこと。
 
 
 
本陣、といっても正確にいうと脇本陣。
(一時期本陣を務めていたこともありますが)
 
本陣はこの隣にあり、同じく佐藤家が担っていました。
そちらを上佐藤、脇本陣を下佐藤と通称していたそうです。
 
脇本陣のみ現存。
ちなみに、東京都内に残る唯一の本陣建築です。
 
 
土方歳三の姉の嫁ぎ先であったため、幼いころに両親を亡くした歳三はこちらに居ついていたそうです。
 
歳三が幼いころの建物は火災で焼失していますが、鳥羽伏見の戦いに敗北後、関東に戻ったときに訪れたときはすでにこの建物でした。
 
また、脇本陣が賊に襲われたことから、武芸の必要性を感じた佐藤彦五郎は、ここに天然理心流の道場を開き、近藤勇や土方、沖田、井上源三郎らが汗を流したということで、新選組に深い縁をもつ場所でもあります。
 
式台玄関。
 
 
入館は脇の入口、土間からです。
 
土間にはゆかりの品が展示されています。
 
 
入口から見た様子。
 
 
 
 
お雛様が飾られていました。
 
玄関の間
 
 
ここで、歳三がごろりと昼寝をしたという言い伝えがあります。
 
式台玄関を中からみた様子
 
 
床板が磨き上げられて綺麗です。
 
控えの間
 
 
季節に合わせて、菊の柄の着物が飾られていました。
 
なんだか横溝正史の世界を彷彿とさせる妖しいまでに美しい着物。
 
奥の控えの間
 
 
歳三の命により函館戦争を離脱し、歳三の遺品を持ってきた市村鉄之助が、維新後に新選組憎しとなった世の中のほとぼりが冷めるまで、2年ほどここにかくまわれていたそう。
 
市村は年若かったので、歳三があえて日野に自分の遺品を持っていくように命じ、その命を助けました。
 
上段の間
 
 
ただし、当時の上段の間は、彦五郎の四男の養子先の有山家が焼失した際、その続きの一間とともに有山家に移築されています。
 
有山家は非公開。
 
現在の上段の間は、当時の中の間と下の間に当たります。
 
とはいえ、柱に細工の細かい鯉の彫刻があるなど、立派なものです。
 
 
本当の上段の間も見たかったな。
 
お庭
 
 
ふんだんに写真を掲載していることからもお分かりの通り、ここは写真撮影可。
 
受付の方に写真を撮影していいか伺ったところ「どこでも撮っていただいてけっこうです」との気持ちのよいお返事。
ありがたや。
 
つづく。