AmebaのIDを作成後、30日間以上の星霜を経た今でもなおモニターの前で正式なHNを決めかねている私がいます。
自分の本名の「名前」部分に非常に愛着が有るが故に、本名を一部入れて使用したいのですが、個人情報の観点から、流石にそれは出来かねます。自分が被写体となった写真を何枚も添付していながらも、これだけは秘めておきたい部分なのかもしれません。
私は、自分の名前を名乗る時、密かに優越感に満たされながら、時には安心感を抱きながら、常に誇りを持っているのですが、web上に於いては、どれだけ自分の名前を気に入っているのか示す事が出来ないと云うジレンマを抱えながら生きています。
自分の本名が世界一好きな名前であるが故に、HNとして使用したい名前も本名となってしまい、実際にその欲望に忠実になって現代のネット社会に適用してしまった場合、様々な危険を誘発する因子となりかねません。その一方で、本名とは無関係のHNを付けたところで、私は満たされないネット生活を常に送る事になるのです。日々の生活を送る際、私が名前に対してどれだけのこだわりを意識しているか実感します。
私がネット上に於いて全く面識の無い相手と深く関わる事を躊躇する原因について核心に迫ると、毎回終着点が「HN」になる訳です。
真剣なやり取りを交わす際、HN=偽名ではリアリティが無く、私に対して投げかけられた言葉である事への実感が弱くなるのです。
同時に、「私はそんな名前では無く、本当はこんなに素敵な名前が付けられているのに」と云う、自らが侮辱されたような気さえ沸き起こる事があるのです。
後者の事象を避けるべく、HNとしては、日本人には通常存在しない横文字を付けるよう努めてきましたが、その際の注意点として、
・ローマ字表記では読み手の方が打ちにくいものを避ける(フィーチャーフォンが主流だった時代は特に)
・カタカナの場合、憶えやすく発音しやすい、3~5文字以内のもの
上記2点には細心の注意を払っていたつもりです。
更に、「他人と被らない」事も重要で、私が交流する予定の方々のHNとのバランス(一文字違いの方がいらっしゃると、周囲へ混乱を招く恐れがある)を考えながら付けていました。
HNとは、自分が「この言葉で呼んでほしい」と云う、他人への最初のメッセージであると捉えているが故に、未だにAmebaでのHNを決めかねてしまいます。
これ程までに本人が気に入った本名の名付け親である両親に改めて感謝すると共に、お気に入りの本名を付ける事は罪深い行為である事を痛感しています。
単にナルシストであるだけなのか、単純な性格であるのか、幼い頃から呼ばれていた名前から離れる事が出来ないだけなのか解りませんが、日本人の女性の多くは、姓よりも名の方が重視される傾向にある中、自分が与えられた名前にこの上なく満足していると云う事は、良いか悪いかの二者択一の場合、良い事なのだと前向きに捉える事にします。
ただ、この悩みについて、web上で相談する事はまず不可能であると云う事実が重くのしかかります。
何故名付けられた本名が気に入っているのか、細部にわたり理由が存在する為、その理由を省略して話を進める事は、核心部分に触れずに抽象的な話にしかならない事が容易に推測出来るからです。
そして、
名前を付けると云う技術に於いては、私は親を超える事が一生出来ないと云う事実を突き付けられたのと同義なのです。
名前を付けるスキルを高める事、これが当面の私の課題なのかもしれません。