こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
落ちているゴミを拾うとき・・・。
あなたは、「人の目」を気にしますか
誰かが見ているからよい行いをする。
こういう人はとても多いと思います。
前を歩いていた人がポイ捨てをしたら、
あなたはきっとこう思うでしょう。
「ここはゴミ箱じゃないよ。道路にゴミを捨てるなんて。」
そう思うだけで何もしないのは、
ただ批判しているだけにすぎません。
批判するのもいいけど、
その人が捨てたゴミを拾ってゴミ箱に入れましょう。
人のいるところでしかよい行いをしないのは、
誰かにみられてなんぼ、と思っているから。
「見返り」という期待をしているからです。
これは誰にもみられていないと
よい行いをしても意味がない、
という前提があります。
ほんとうに、誰もみていないの
こんな疑問が出てきます。
じつは・・・。
”自分”という観察者がいるので、
誰もみていない、ということはありません。
究極的には、行っている人も見ている人もいないんですけどね。
(それはまたどこかで記事にするとして・・・)
「自分」という存在は、
見ている存在でもあり、
見られている存在でもあります。
エネルギーは双方向に影響し合っているので、
批判は自分に批判を向けているのと同じ。
無意識に批判している人は、
無意識に批判のエネルギーを受け取っています。
受取拒否は、
「抵抗」というかたちであらわれますので、
必ずその”代償”を負うことになります。
この世は、
エネルギーの双方向のキャッチボールです。
実際は、キャッチボールというよりは
外も内もないので、
ダイレクト(反映)なんですけど・・・。
いま、あなたはどんな感情を抱いていますか
その抱いている感情を
そのまま身体が表現しあらわれを起こしています。
体調が悪い人は、
ネガティブな感情を表しています。
体調がいい人は、
ポジティブな感情を表しています。
ただ、それだけ。
それがいい、悪いということはありません。
ただそれが自分を知るための
すべてこの世の「ギフト」なんです。
●「さとり」感想記事からの「いま、ここに在ること」について
●とにかく、「感じるちから」が大切
体は、「五感」があるから存在しています。
まずは、五感を感じることへの感謝を。
そして、五感をとおして私たちは人間として
肉体として存在しているという気づきを得る。
エネルギー体である「ほんとうの自分」は、
五感を超えた存在なので、
五感を感じることによってそれを超越していく。
五感は人間として。
五感を超えた(五感を切り離した意識)はエネルギー体の〈わたし〉として。
わたしは身体ではありません。
わたしは思考ではありません。
人に褒められるからするのではなく、
自分自身が自分自身に褒めてあげることをしましょう。
何かになろうとしなくていいんです。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ