こんにちは.
いつも訪問、ありがとうございます
エックハルト・トール著の本
「さとりをひらくと
人生はシンプルで楽になる」
をアメンバー限定記事で
わたしなりに解説しています。
(現在アメンバーの募集はしておりません)
現在、70回を超えている解説記事。
第1回〜30回までを一般公開にしています。
(加筆修正をしてあらためてアップしています)
よかったらこの機会に
読んでみてくださいませ
「無意識」
無意識とは、
心理学・脳科学における現在の一般的な用法としては、志向的な表現が可能であるにも関わらず一人称的主観として体験されない事態のことを指す。すなわち、失神のような心身状態の喪失ではなく、心的(あるいは脳内)で志向性のある何らかの過程があると想定できるにも関わらず、その一部あるいは全部が意識の流れ[1]として体験されない事態を意味する。無意識がどのような事態を意味するのかは、どのレベルの意識(覚醒(arousal,vigilance)・気付き(awareness)・自己意識(self-consciousness)など)を想定するかによって変わるために、学術的記述においても概念・用法は流動的である。従って、無意識は単一の過程・現象と考えるよりは、複数の現象群に対して与えられた名称と捉えた方が良いだろう。また、意識と無意識の境界はどこにあるのか、意識的過程と無意識的過程はどのような関係にあるのかなどに関しては、まだ議論の余地が残されている。
(ネット参照です)
載せた意味もわからず、
貼りつけてしまいましたが、笑、
要するに、主観として体験されない事態のようです。
脳はしっかり起きていますが、
自分の言動などを意識の流れとして
体験しない、ということ。
ますますわからない
ドアを閉める、
という行為をしているのにもかかわらず、
「わたしは、ドアを閉めた」と
認識しないで、行動すること。
あとから、
「あれ、ドア閉めたの誰」
「わたし、ドア閉めたっけ」
みたいな時、です。
家のカギをかけたか、
何度も確認してしまうケースも、
これに当てはまると思います。
ルーティン作業は、
まさに、この無意識が
行っていることが多く、
あとから振り返って、
こんなにもたくさんのことを
しているのに、
わたしは大して何もしていないと
感じるようなものです。
無意識にする言動がいけないわけではなく、
こういう無意識を意識することによって、
自分の言動に集中することができるので、
パフォーマンスが上がります。
生きている心地、
を感じることができます。
上にリンクを貼った記事の中にあるように、
「無意識に生きる」と、
思考の産物をこしらえることになり、
思考が自分自身になり変わって、
”人生の操縦席”に座るようになります。
パワーを、思考(エゴ)に譲ってしまう状態。
本来のパワーは、
源、ほんとうの自分、
ハイヤーセルフ、
自分の中心となる存在が
操縦しているのですが、
操縦席にエゴが座ると、
人生がエゴにコントロールされていき、
思うようにいかない、という
できごとに見舞われます。
「ほんとうの自分」を
操縦席に座らせるためには、
「瞑想」がおすすめです。
じーーっと、
ただリラックスできる姿勢で
呼吸に意識をするだけ。
出たり入ったりする空気を感じる。
2〜3回ぐらい深呼吸すると、
気持ちがすーっと楽になってきます。
その状態が、
”ほんとうの自分が操縦席に座った”
証拠です。
これも、頭で考えないでくださいね。
ただ、いい気分を感じればいい。
瞑想の他に、
- いま、私はドアを閉めた
- いま、私は顔を洗った
- いま、私は階段を降りた
- いま、私はガスの火を止めた
思考を超えること。
それが、「いまに在る」ということです。
だから、思考しているうちは、
「ほんとうの自分」を
感じることはできません。
そして、思考は、
「自分自身ではありません」
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ