こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
今日は、ベートーヴェンが生きていたら・・・、
250歳のお誕生日です
Happy Birthday
雪組さんの公演に合わせて・・・といいますか、
今年のベートーヴェンメモリアルイヤーに合わせて、
今一度、ベートーヴェンという人にスポットを当てたいと思います。
その②です。
1792年にルートヴィッヒはボンを去り、
ウィーンへと移ります。
同時に、ルートヴィッヒには、
肉体的に苦痛を感じ始めていた。
難聴・・・。
耳鳴りが昼夜やまず、
また胃腸の病気にも悩まされていたそう。
しかし、はじめはそのことを誰にも話さず、
人に気づかれないように、
彼は人を避けるようになった。
1800年を過ぎた頃、
もはや隠しきれなくなったルートヴィッヒは、
ヴェーゲラーとアメンダという友人に打ち明けている。
アメンダ宛には、
『僕の親しい、善良な、愛情深いアメンダよ・・・
きみがぼくのそばにいてくれたらと、
どんなにしばしば思うことだろう。
きみのベートーヴェンは今ひどく不幸なのだ。
ぼくの病気はますます悪くなる一方だ。
僕は治るだろうか?
もちろんぼくはそれを望んでいる。
しかし望みはほとんどない。
ぼくの愛するすべて、ぼくにとって親しいすべてを
避けなければならない。』
ヴェーゲラー宛には、
『ぼくはみじめな生活を送っている。
2年以来、ぼくはあらゆる人の集まりを避けている。
なぜって、ぼくは人々と話をすることができないからだ。
ぼくは耳がだめなのだ。
もしぼくの仕事が何かほかのものだったら、
まだなんとかできるだろう。
だが、ぼくの仕事では、これは恐ろしい状態だ。
ぼくの敵どもが知ったら、いったいどう言うだろう。
しかもその数は少なくないのだ。』
この悲劇的な悲しみは、この時期のいくつかの作品の中に現れている。
「悲愴ソナタ(作品第13番)」や、
「ピアノのための第3のソナタ(作品第10番)」のラルゴ。
そして、肉体的な苦痛の他に、
別の苦痛も加わっていた。
恋愛の苦しみ。
ベートーヴェンは、生涯独身であったが、
恋い焦がれる相手は、常に存在していたといいます。
そして、相手もまたベートーヴェンに想いを寄せ、
お互いに想いあっていたのにもかかわらず、
その恋は実らなかったようです。
というのも、
ベートーヴェンは、自分よりも身分の高い女性
(伯爵令嬢とか男爵令嬢など)を好きになる傾向があり、
恋はしても、結婚となると周りからの反対などで、
深い仲になっては終わる・・・ということを繰り返していたとのことです。
そしてまた、すでに相手のいる女性(結婚していたり、おつきあいしていたり)に惹かれることもあり、障害のある恋にいつも悩まされていて、
その情熱が作曲の原動力にもなっていたようです。
こう言ってはなんですが、
見た目は無骨で強面な人なのに、
モテていたんですよね。
きっと内面にある力強い生命力と、
才能(ピアノが特にうまくて、即興演奏が得意だったこと)が女性を惹きつけていたのかな
好きな人の前で、ピアノを即興で弾いてあげたりしていたようです
女性ならうれしいですよね。
自分のために、曲を作ってくれて
それを目の前で、即興演奏してくれたら・・・
きっと見た目はどうでもいいのかもしれません・・・笑
そして、筆マメな彼は、
自分の熱い想いを手紙にして送っていたとのこと。
ラブレターですよね・・・。
詩的な表現が多かったようで、
一生涯友であった、エレオノーレ(愛称ロールヘン)から「詩」を学んだからでしょうか。
音楽ではもちろん、筆でも詩人だったようですね。
この頃(1800年頃)、
彼の恋愛の対象は、ブルンスヴィック家の従姉妹のジュリエッタだったようです。
ベートーヴェンは彼女に、
ピアノソナタ(月光ソナタ)を献呈する。
この時に、親友のゲーヴェラーに次のような手紙を送っている。
『彼女は僕を愛してくれ、
僕もまた愛している。
2年ぶりにまたいくらか幸福な瞬間を楽しんでいる。
結婚して幸福になれると考えたのは今度が初めてだろう。
ただ身分が違う。で、いまは・・・結婚などできないだろう。』
こんなふうに、ベートーヴェンは、
恋い焦がれるも、結婚できない身分とわかっていたからこその
苦悩を抱えていたのですね。
とても強い結婚願望があった、と
思われます。
ちなみに、「月光ソナタ」という名前は、
ベートーヴェン自身がつけたものではなく、
もとは「幻想曲風ソナタ」という。
のちに、詩人がこの曲を聴いて、
「月の光に照らされたスイスのルツェルン湖で、
波に揺れている小舟のようだ」と評したことからきています。
とても美しい曲ですので、
一度聴いてみてくださいませ
長くなるので、今日はここまでです。
まだ続きます・・・予定
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ