こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
久しぶりに宝塚のお話
宝塚、雪組さんの公演が3週間後に幕が上がります。
この公演は、トップスターの望海風斗さん、
トップ娘役の真彩希帆ちゃんのご卒業公演となっています。
(その他に6名の方の退団も発表されています)
最近、宝塚に行けてない
当たっては公演中止・・・が3回
わたしは、宝塚に行けるのだろうか・・・
この公演はぜひとも
劇場で観たい
そう思っていたら・・・
宝塚大劇場、A席ですが当選しました
これで、行ける・・・かも。
とても楽しみです
今年は、ベートーヴェンのメモリアルイヤー。
生誕250年の記念の年です。
世界各地でベートーヴェンの作品が取り上げられ、
演奏されたことでしょう・・・(予定)
でも・・・、軒並み中止。
それでも、ベートーヴェンファンの方は
自宅で、ベートーヴェンのメモリアルを楽しんでいる、と
思います
私も、あらためて、
”ベートーヴェン”という人を研究し、
あまり自分自身触れることのないベートーヴェンのピアノ曲を
もう一度振り返り、あらためて弾いてみたいと思いました
(ちょっと人物的に好きになれない、というのと作風がとても激しいものが多いので・・・)
私は、ショパンさんを敬愛しておりますが、
今回、宝塚で望海さんがベートーヴェンを演じられると知ってから、
「おや望海さんがベートーヴェン
それはお美しいベートーヴェンになるのでは・・・」
といった期待と、あまり詳しくないベートーヴェンについて、
音楽家としても研究意欲がわいたということです
(最近バロック音楽にも興味があり、「バッハやろうよ」という内なる声がやってくるのを後回しにしながら・・・笑)
公演が始まる前にわたしなりに、
ベートーヴェンさんについて、ちょっと深めておこうと思います
今日は、ベートーヴェンご自身のお話。
(気が向いたら、ベートーヴェンに関わる人物についても書きたいと思います)
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
ルートヴィッヒは、
1770年12月16日がお誕生日。
教会の記録では、17日となっているけど、
それは洗礼を受けた日のようなので、
出生は、その前日だろうと推測されています。
ドイツのボン、という街で生まれます。
父親は、宮廷テノール歌手のヨハン、
母親は、料理人の娘マリア。
家族の愛情には恵まれなかったようです。
ベートーヴェンはおじいちゃん子だったようです。
父親はとても厳しい人だったようで、
息子を売り出してお金持ちになりたいとの欲望から、
モーツァルトのように天才音楽家にするために、
英才教育を父親から受けていたようです。
(暴力的に教育を受ける、といった感じのようです)
たしかに、音楽の才能は幼い頃からあったといわれています。
11歳で劇場のオーケストラの一員になり、
13歳でオルガン弾きになる。
そして、17歳の時に母親が亡くなる。
ルートヴィッヒにスパルタ教育をしていた父親は
息子を幼くしてデビューさせようとしたが
失敗し、それからも息子の教育を続けたが、
家計の切り盛りすらできない父親は自分に限界を感じ、
酒に溺れ、自分の年金を使い果たすほどの浪費家になり、
その後ルートヴィッヒが一家の主人となり、
父親の年金を管理するようになった。
そして、悲しみを抱えたまま、
ルートヴィッヒはボンのある家庭に愛情深い支持を受けた。
ブロイニング家の一家。
その中でも、エレオノーレ(愛称:ロールヘン)は、
彼よりも2歳年下で、彼は彼女に音楽を教え、
彼女は彼に詩を教えた。
優しい性格の彼女は、
ルートヴィッヒの初恋の人と言われていますが、
いろんな説があるようです。
(あとから違う人が初恋の人と言われたりしています)
そして、彼女はルートヴィッヒの親友でもある、
医者のヴェーゲラーと結婚します。
その後も生涯、3人の間には温かい友情関係があったようです。
ボンを離れて、ウィーンへ移ってからも
故郷のライン川への想い、自然が息づく美しい街を
いつまでも忘れることはなかったそうです。
『ぼくのふるさと、ぼくがこの世の光をはじめて見た美しい国、
それはぼくがそこを去った時と同じように、
いつもぼくの眼の前に美しく、はっきり見える』
(ゲーヴェラーへ宛てた手紙の内容、より)
ちなみに、ルートヴィッヒはかなりの「筆マメ」だったようです。
他にも、友人や想いを寄せる人に手紙を書いています。
「書く」ことが好きだったのでしょうね
今日は、ここまで。
後半のルートヴィッヒさんは、
また次回です。(後半が何回あるかわかりません)
”愛”あふれる週末をお過ごしくださいませ