こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございますニコニコ
 
 
週末は、ゆるい記事を照れ
 
 
先週末、京都へ行ってきました紅葉
 
 
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東寺。
 
 
前回行ったのは、3年前。
(もう3年になるんだ・・・、ついこないだの記憶照れ
 
 
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いつも、東寺の講堂の仏さまには、
圧倒され、しばらくフリーズしてしまいます。


詳しい講堂の仏さまについての記事はこちら下矢印


 
わたしの祖父は元高野山の修行僧だったので、
子どもの頃から、般若心経やら、仏像さんには
とても親しみを感じていました。
 
 
仏さまをみると、合掌したくなる・・・。
 
 
いつもそんな衝動にかられますおねがい
(道端のお地蔵さんにも・・・)
 
 
お四国に遍路した際に、
さらにわたしの内面で、
「仏さまに向き合うことは、自分自身と向き合うこと」
ということに気づかせてもらえたような気がします。
 
 
ここの講堂の立体曼荼羅を表現している仏さまたちを拝むたびに、
自分の中にある、”光”の部分と”闇”の部分を見せてくれるのです。
 
 
大日如来さまは、真言密教でいうと「宇宙そのもの」。
まさに”光”をあらわす仏さまで、
自分自身の”陽”の部分を見せてくれます。
 
 
いっぽう、不動明王さまは、「煩悩を焼き尽くす仏さま」。
言い換えると、大日如来さまの化身。
こういうお姿で、”闇”の部分を見せてくれるのです。
 
 
時には、”光”となり、
時には、”闇”となる。
 
 
わたしたちにそのまま、当てはまりますよねニコニコ
 
 
仏さまは決して、外側の偶像崇拝ではなく、
自分の中にある、一側面を見せてくれているのだと思うと、
手を合わせるのも、自分自身に手を合わせているのと同じだということがわかります。
 
 
自分自身の存在に、感謝。合掌。
 
 
お遍路に行っている時には、
そこまで気づいてはいませんでしたが、
「ご自愛」を深めていくうちにだんだんと
このことがわかってきたような気がします。
 
 
「ほんとうの自分」(ハイヤーセルフ、魂、源、大いなる存在)は、
いつもわたしのことを気にかけています。
 
 
その存在に敬意をあらわす。
 
 
これが、合掌。
のほんとうの意味なのではないかと思いますおねがい
 
 
 
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境内を歩いていて、心が洗われましたおねがい
 
 
身体はちょっとお疲れでしたが、
心はパワフル!!
 
 
目にするものすべてが美しく、
京都のまちなかにあるのに、とても静かでしたおねがい
 
 
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませハートキラキラルンルン