こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
先週の雨の高野山。
静けさと自分の心がリンクしていくのがとても心地よかった
私たちは日々、いろんなできごとの
中を生きています。
楽しいこと、辛いこと、
悔しいこと、嬉しいことなど。
そのひとつひとつのできごとに
一喜一憂しながら生きるのって、
けっこう辛くないですか
まぁ、人生ってそういうものでしょ。
という声も聞こえてきそうですが・・・
できごとに翻弄されない生き方ができたら
幸せですよね
常にわたしの内側は平和である。
人間ですから、
気分の浮き沈みは誰にでもあるもの。
でもそのドラマの中に
どっぷり浸かるのではなく、
「あードラマに浸ってるわ、わたし」
と、ちょっと第三者的見方ができたら
ふっと心軽くなりませんか
ドラマに浸るために、
この世に生まれて来たのではなく、
ドラマに浸っている自分ですら、
楽しみながら生きていく。
そういった心の「在り方」が
できたらいいな、と思っています。
それ生は我が願うに非ず、
無明の父我を生ず。
私は我が欲うに非ず、
因業の鬼、我を殺す。
「性霊集」より
空海さんの言葉。
「過去にこだわらず、
いまを生きる」
この生は自分で願ったものではなく、
無明(苦の根源)を父として
生まれてきたもの。
死もまた望みではないが、
因業の鬼神がやってきて
私を殺すのだ。
「鬼が我を殺す」という
心を刺すような句は、
輪廻転生の世界では、
過去の悪業が原因となって
必ず死という報いをもたらすということ。
私たちは過去生から今世「宿題」を持って、
生まれてきました。
その「宿題」を今世でやって、
そしてさらに魂を磨いていく、
というのが今、生きている、
ということなのだと思います。
過去生にどんな宿題があったかは
さておき、
今世生まれてから、私たちが
歩んできた道のりにも
「業」があります。
その「業」をひきずって
生きていかなくてもいいよ、
と私は思っています。
過去をひきずって生きる、
ということは
過去から何も自分は変わらない、
という前提を持っているから
ということだからです。
「過去」は「過去」
「今」は「今」
過去、自分がどんな人間だったか、
何をしてきたか、にこだわるのではなく、
今、を生きる。
人は過去にしてきたことを
とても愛していることが多いのです。
頑張って勉強して、
いい大学に入って、
一流企業に就職して、
結婚して、子供が生まれて・・・。
それらを「大切にする」ことも大事ですが、
問題は「今」、幸せか・・・、
ということ。
幸せでわたしは満たされているのであれば
それでいいと思います。
でも、なんかしっくりこない、
わたしはこんな現実を受け入れたくない、
と思っているのであれば、
過去にしがみつくのではなく、
過去は過去、と割り切って、
今この瞬間を生きていきませんか
「去年の今頃は〇〇していたなぁ・・・」
とふと考えること、ありますが、
それが、
「あの頃はよかったなぁ。あの頃に戻りたい・・・。」
と思っているのであれば、
ずーっとこの先も自分はそのまま変化しない、
と決めているということです。
過去の自分を捨てる、
わけではないけれど、
過去のわたしは過去のわたし。
今のわたしは今のわたし。
違う人なんだ。
「去年の今頃〇〇していたなぁ。
今年は△△をしてみようかな。」
のような感じで
常に新しいわたし、
今の新鮮なわたしでいること。
そうすると、
状況が変わってくるのです。
「過去」のタイムライン上に
「今」があるのではなく、
「今」「今」「今」という
パラパラ漫画のような「瞬間」を
生きているのだから。
わたしたちには、本来
「いま」しかないんです。
「今ここ、平和でありますように。
ありがとうございます」
自分に言ってあげましょ
心がふっと軽くなると思います。
今、この瞬間のわたしに感謝
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ