こんにちは。

いつも訪問、ありがとうございますニコニコ

 

 


 

 

昨日の記事上矢印

多くの方に見ていただき、ありがとうございますおねがい

 

 

 

今日は、「子供の教育」について、

”神”的視点からお勉強していきましょハート

 

 

 

今日も、「神との対話2巻」からの抜粋です。

 

 

 

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子供たちには、「智恵」を与えることが大切。

 

 

 

智恵とは、応用された知識。

 

 

子供たちに知識を与えるとは、

何を考えるかを指示することだ。

つまり、子供たちが何を知るべきかを指図し、

あなたが理解させたがっていることが真実だと教えることだ。

 

 

いっぽう、子供たちに智恵を与える場合は、

何を知るべきかも、何が真実かも指図せず、

子供たちが自分の真実を見つけるにはどうすればいいかを教える。

 

 

学校では、今までとは逆のことを重視すべきだ。

今は意識偏重で、智恵には重きがおかれていない。

 

 

批判的な考え方、問題解決、論理といったクラスを

多くの親は脅威だと感じカリキュラムから追放したがる。

 

 

どうして、愛のイメージを隠しておくのか?

どうして、あなたがたは子供たちが

自分の身体とその機能を恥ずかしがったり、

戸惑ったりするようにしむけるのか?

喜びについて、あなたがたはどんなメッセージを

子供たちに与えているのか?

身体について、どんなことを教えているのか?

 

 

どうして、子供たちに動きや音楽、芸術の喜び、

おとぎ話の神秘、生命の驚異を教えないのか?

どうして、子供のなかに自然とあるものを引き出さずに

不自然なことを強要するのか?

 

 

また、どうして子供たちに論理と批判的な考え方、

問題解決、創造、自分の直感と最も深い

内面的な知識という道具(ツール)の使用方法を学ばせず、

すでに破綻しているのになお継続されているルールや

社会のシステムや、結論を記憶させるのか?

 

 

 

最後にものではなく、概念を教えなさい。

 

 

 

つぎの、三つの基本概念を中心にした、

新しいカリキュラムを考えなさい。

 

 

 

”認識”ーーー”誠実”ーーー”責任”

 

 

 

子供たちに幼い頃から、この概念を教えなさい。

 

 

 

この概念を教えられ、植え込まれ、

この概念にひたる。

 

 

書くこともおなじく、

このコアとなる概念が中心となる。

 

 

それに、子供たちの自分を表現する能力が発達するにつれて、

課される教科も同じだ。

 

 

計算技術もこの枠組みのなかで教えられる。

算数と数学は抽象ではなく、

生きるための宇宙でもっとも基本的な道具(ツール)だ。

 

 

すべての計算技術の教育は、

もっと大きな人生体験のなかで位置付けられ、

コアとなる概念とその関連事項に関心をもち、

そこに重点を置くようにしむけられる。

 

 

「関連事項」というのは、

「派生物(スピンオフ)」だ。

 

 

 

公平さ、ひとに親切に優しくすること、

仲良くすること、寛容であること、

ひとを傷つけないこと。

ひとを平等にみることーーーー、

 

 

 

自分を信じること、

他人を尊重し、他人の生き方を尊重すること。

 

 

 

子供たちが完全な人間として成長するために

深く理解しておくべきことがたくさんある。

 

 

今話したことは人生でいちばん大切なことなのに、

学校ではそういうことを教えていない。

 

 

誠実とはどういうことか。

責任とは何か。

 

 

 

ひとの気持ちを認識し、ひとの生き方を尊重するとはどういうことか。

 

 

それは親が教えることだという。

 

 

だが、親は自分が教えられたことを伝えるだけだ。

 

 

父親の罪は息子に伝わる。

家庭では、親がその親に教えられたことを教えるしかない。

 

 

 

今のあなたがたの教育システムは答えを出すことを主にしている。

 

 

 

だが、問いかけることを主眼にした方が、

ずっと役にたつだろうに。

 

 

 

誠実とはどういうことか?

責任感とは?

公正とは?

ものごとの意味とは?

2+2が4だというのはどういうことか?

どんな意味を持っているのか?

 

 

高度に発達した社会では、

すべての子供たちに自分で答えを見つけなさい、

創りなさいと励ます。

 

 

あなたの前にある過去のデータを見て、

あなたは同意するか、反対するか?

あなたはどう考えるか?

いつも、鍵になるのはこの問いかけだ。

 

 

つねに、これが焦点だよ。

あなたはどう思うか?

それが大切なのだ。

 

 

子供たちはきっと、

親の価値観を問いかけるだろう。

 

 

子供たちが自分の価値観を創りあげるうえで、

親はいつだって、大きな役割をになっている。

 

 

最大の役割と言っていい。

 

 

学校は初等教育から高等教育まで一貫して子供たちに

自分自身の価値観を探しなさい、

その価値観をどう活用するか、どう応用するか、

機能させるか、

さらには、どう問いかけるかを追求しなさいと励ますべきだ。

 

 

子供たちに価値観を問われたくないという親は、

子供を愛していない親だよ。

 

 

子供を愛しているのではなく、

子供を通じて自分を愛している親だ。

 

 

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”神”的視点の子供たちの教育は、

とても辛口であると同時に、

現実にあったらどんなに「今」が

幸せな世の中になっているだろうか・・・、

という、夢のような考え方ですね。

 

 

 

私も、5年くらい前から、

「子供たちの主体性」を育てたい!!

と思い、ご父兄さまのレッスンの見学をお断りしております。

 

 

 

昨日の記事でも書いたのですが、

親が子供のレッスンの見学をしたい

一番の理由は・・・・、

 

 

 

「自分が子供のピアノの状態を把握したい」

「自分が知っていたい」

 

 

 

ということだと思います。

 

 

 

以前、よくレッスンを見学されるご父兄さんがこんな風に言っていました。

 

 

 

「子供のピアノの練習に関わっていたい」

「自分の子育てには子供の成長を目の前で見ることが大切だと思うから」

 

 

 

その考えも素晴らしいと思うし、

正しい、間違っていることもありません。

 

 

 

子供の練習に関わっていることと、

ピアノの練習に口出しすることは、

意味が違うのではないかと思います。

 

 

 

「関わりたい」のなら、

そばでそっと見守るだけでも、

関わっていることにはなりますし、

生徒にとっても、

親に縛られずにのびのび練習できるので、

子供の主体性は伸びると思うのです。

 

 

 

ご父兄さんが教室でレッスンの見学をする時、

たいていの生徒は、

後ろに座っている「お母さん」が気になって仕方ありません。

 

 

 

私との会話も、いつもとは違うトーンで、

自分の意見をはっきりと言わないケースがほとんど。

 

 

 

これで、子供の主体性が伸びるはずがありません。

 

 

 

子供がのびのび自分の意見を言って、

それを講師と交わし、

自分の練習に生かす・・・。

 

 

 

これが、主体性をもって

自分で考えてする練習、なのではないかと思っています。

 

 

 

昨日の記事でも書きましたが、

私は、親の失敗を繰り返させたくないのです。

 

 

 

親がピアノに挫折した経験がある人ほど、

ピアノに対するこだわりが強い。

 

 

 

それを子供におしつける傾向が高いこと。

 

 

 

それをすると、

子供も同じ経験をします。

 

 

 

私は、これを繰り返してほしくなくて・・・。

 

 

 

ちなみに、私の母親は、

ピアノの経験はゼロですので、

ほとんど何も言わない人でした。

 

 

 

言われてたら、

続かなかったかもしれません・・・アセアセ

 

 

 

子供さんには、励ましの言葉をかけてあげてハート!!

ママの愛で・・・ハート

 

 

 

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませハートキラキラルンルン