こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
昨日の記事の続きになります。
「思考」より「行動」が先。
しかも、その行動によって、
その先の人生の創造も変わる。
例えば・・・、
「好きなことを仕事にすること」
コロナでますます目醒めた人たちが増えているそうです。
(自分の本音で生きる、と決めた人たちのこと)
今、「好きなことを仕事にしたい」
と思っている人の参考になれば・・・、
うれしいです
ニール・ドナルド・ウォッシュ著
「神との対話1巻」より
Q: どうしてわたしは、ほんとうにしたいことをして暮らしていけないんでしょうか?
なんだって?
あなたは楽しく過ごしながら、金をためたいというのか?
兄弟よ、あなたは夢でも見ているのではないか?
(兄弟:神がわたしたち人間(著者を含む)に向けて使った言葉)
ほんとうに好きなことをして暮らしているひとは、
何がなんでもそうしたいとこだわっている人だ。
彼らはあきらめない。
決して、譲歩しない。
好きなことができない人生なんてあっては
ならないと思っている。
だが、ここでは別の要素も考えなければならない。
たいていのひとがライフワークについて
考えるとき、欠けている要素だ。
何かで「在ること」と「行動すること」には
違いがあり、たいていのひとは後者に
力点を置いているということだ。
それが「いい」とか「いけない」ということではない。
あなたが何を選ぶか、
どうすればそれが実現するかというだけだ。
あなたが平和と喜びと愛を選ぶなら
行動を通じてでは獲得できないだろう。
ふたたび神と一体になることを選ぶのなら、
そして最高の知識、深い理解、終わりのない共感、
全面的な目覚め、限りない充足を選ぶのなら、
行動では、達成できないだろう。
いいかえれば、
あなたが発達することーー魂の発達をーー
選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成することはできない。
「行動すること」は体の働きである。
「在ること」は魂の働きである。
身体はつねに何かをしている。
毎日、毎分、何かをしようとしている。
身体は魂に促されて何かをするか、
魂に反して何かをする。
人生の質はこのバランスによって決まる。
魂は永遠に在るものだ。
身体が何をしようとも、魂は在るがままに存在する。
あなたが、人生とは
「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。
あなたの魂にとっては、
暮らしのために何をするかなどはどうでもいい。
人生が終わるとき、
あなたもどうでもいいと思うだろう。
魂にとっては、どんな行動をするかではなく、
その間どんなふうに在るかだけが大切だ。
魂が追求しているのは在り方であって、
何をしているかではない。
Q: 魂はどんなふうでいたいのですか?
あなたが望む在り方であれば、何でも。
幸福、悲しみ、弱さ、強さ、喜び、
復讐、洞察、盲目、善、悪、男性、女性、なんでもかまわない。
望むような在り方をしようとしてごらん。
どちらも同じことをしているのに、
あるひとたちは大金を稼ぎ、
あるひとたちは、暮らしがたたない。
どこが違うと思う?
技術があるかないかもひとつの見方だ。
だが、第二の見方をしてみよう。
ほとんど同じ技術を持った二人の人間がいる。
どちらも大学を出ていて、クラスで一番だったし、
自分のしていることをよく理解していて、
自分たちのツールをらくらくと使う術を知っている。
ところが、ひとりの方がうまくやっている。
一方は苦労ばかりだ。
その場合はどうだろう?
魂の関心ごとはただひとつ。
あなたがどこへ行くか、ということだけだからだ。
あなたは不安と呼ばれるところへ行こうとしているのか、
それとも愛と呼ばれる場所か?
人生に出会うとき、
あなたはどこにいるのかーーー
そして、どこからきたのか?
さて、同じような資質をもった二人なのに、
ひとりは成功し、ひとりは失敗したという例だが、
それは「していること」のせいではなくて、
「在り方」のせいだ。
ひとりは開放的で、親しみ深くて、
細やかで、親切で、思いやりがあって、
陽気で、自信があって、仕事を楽しんでいる。
もう一方は、閉鎖的で、よそよそしくて、
冷たくて、不親切で、陰気で、
自分がしていることを嫌っている。
さて、あなたがより高い在り方を選ぶとしよう。
あなたは、善、慈悲、同情、
理解、赦し、愛を選ぶとしよう。
神聖を選ぶとしよう。
そうしたら、どんな経験をするか。
それを教えよう。
存在は存在を引きつけ、
経験を生む。
あなたは身体によって何かを生むために
この地上にいるのではない。
魂によって、何かを生むために
この地上にいる。
身体は魂の道具にすぎない。
身体を動かす動力はあなたの精神だ。
だから、あなたが地上にもっているのは、
魂の欲求に従って、創造するための動力機械なのだ。
私が何度も読み返して、
付箋をバンバン貼った箇所でもあります。笑
本は3巻に分かれていて、これはほんの一節です。
私も「好き」を仕事にしているひとりですが、
やはり、心からの「好き」を体現することが大切だと感じています。
お金を稼ぐためなのか。
親の期待にこたえるためなのか。
生徒のためなのか。
自分のためなのか。
「どんな思い」がベースになった行動か、
ということが大切なのです。
わたしは、まず
「自分のため」の行動、
をするようにしています。
「どう在りたいか」
が大切だから。
「ピアノが好き」
という自分を体現、表現する。
これが、「わたし」だからです
たとえば、
生徒に新しい曲を弾かせたいと思った時、
まず自分が弾いて聴かせてあげます。
(あえて、弾かない先生もいらっしゃいます)
その時に、レベルの高い生徒の場合は、
自分も当然練習しないとうまく弾けないので、
練習します。
その時のエネルギーは、
生徒のため、はもちろんなんですが、
「わたし」が弾けるようになる とわたしがうれしい
だって、私自身が幸せを感じるから。
このエネルギーは必ず生徒に伝わるから
生徒のための練習は、
わたしのための練習でもあります。
発表会の選曲も、
生徒が本番の舞台で弾き終わった時の
満面の笑み、達成感を想像して曲を選ぶ。
そうすることで、
私も幸せな気分になれるのです
ひと(他人)のため=じぶん(わたし)のため
やっぱりここは、イコールなんだなぁと思います
今日は、「新月」
〇〇したい
も大事だけど、
〇〇なわたしで在りたい
という願いを思い描いてみるのもいいかも
今日は2本立てで、書いていきたいと思います
2つめは、「神との対話」とは違うお話の予定です
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ