こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
私が2年前に衝撃的な出会いをした本
ニール・ドナルド・ウォッシュ著
「神との対話」
その前からこういった本は読んでいましたが、
この本は、私の価値観を大きく変えてくれた本です
前回の続き。
あなたがたは自分が何者であるかを知らず、
だめな存在だと考えている。
では、どうして自分はだめな存在だと思い込んだのか。
そう思わせたのは、
あなたがたが無条件で信じた唯一の人たち。
母親と父親だ。
親は、あなたをいちばん愛している。
それならどうして偽りを教えるのだろう。
親は、こうしてはいけない、こうしなくてはいけない、
と叱りはしなかっただろうか。
大胆な想像を巡らせているときに、
そんなことはやめなさい、と言わなかったか。
その言葉を聞いて、あなたはそれを神のメッセージの基準に合わず、
神のメッセージではないにもかかわらず、そうだと思った。
愛は条件付きだと教えたのは、親だ。
あなたはそれをたびたび感じ取った。
そして大人になってから、その経験を愛する人との関係にあてはめる。
その経験をもとに、わたしについて考え、その枠組みにとらわれる。
「神は愛に満ち溢れている」とあなたはいう。
なぜかって。
親に突き放された経験があるから。
親に罰せられた苦しみを知っているから。
だからわたしの場合も同じだと思うのではないか。
あなたがたは、無条件に愛されるというのは
どんなことかを忘れている。
神の愛の経験を思い出せない。
あなたは「親」の役割を神に投影して、
良いか悪いかを判断して、
褒美を与えたり、罰したりする神を想像する。
ほんとうのわたしとは関係がない。
それは不安のうえに築かれた現実で、
復讐心をもった恐ろしい神という考え方に根ざしている。
不安を秘めた愛という現実が、
あなたがたの愛の経験を支配している。
愛の経験を創り出していると言ってもいい。
なぜなら、あなたがたは条件つきで愛されるだけでなく、
自分も同じように、相手を条件付きで愛していることに気づくからだ。
自分には愛し方を変える力はないと思っている。
つらい思いをして愛し方を学んだのに、
また無防備になったらきっとひどい目にあうと思う。
本当は、愛し方を変えない方がひどい目にあうのだ。
愛について、(間違った)考え方をしているから、
あなたがたは純粋な愛を体験できない。
それに真のわたしをしることもできない。
人間の考え、言葉、行為のすべては、
愛か不安かのどちらかの感情がもとになっている。
他に選択の余地はない。
これ以外の選択肢がないからだ。
だが、どちらを選ぶかは自由に決められる。
まだ、第1章です、ここ
そこから、人間関係、お金、仕事、パートナーシップなど
人間のいわゆる「問題」と言われていることがらに
”神”が触れていきます。
ほんとうに興味深くて・・・。
もう、5回以上読み返しています
「わたし」の内側に”神”のエッセンスがあり、
本当は、スピリット的にはすべてにおいて完璧。
なにも足りてないところなんてない、のです。
でも、
この3次元の世界は
物質の世界。
肉体を持つ私たちは、
肉体であるがゆえに、
不完全な存在なのです。
女性・男性、という性に分かれているから。
だから、完全さを求めて
男女がくっつくのです・・・。
これは、この3次元においての自然の摂理なのですよ
男性と女性がくっついて、
完全な存在になったかのように感じる。
本能・・・ってこういうことなのね・・・。
だから、「足りてない」と思うのは、
人間としては当たり前の考え、なのです。
3次元的にはね・・・。
ものごとをやり遂げるパワーなんかは、
スピリット的に言えば、
「可能性は無限大」
なのですよ、本当は・・・。
制限をかけているのは、
わたしたち人間の意識、なのです。
松岡修造さんの
「できる できる
」っていうのは、
あながち間違っていないのかも
魂的には、
できるんだから・・・
失敗を恐れずに、やってみようね
「神との対話」からの気づき。
もう少し続きます
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ