いつも訪問、ありがとうございます
どっちが幸せか・・・
損得勘定でいくと、きっと
「愛されたい」になるのではないかな
でも、わたしは・・・。
どっちも、両方
です。
この世の真実は、
二極性の世界なので、「愛し、愛される」の両方がワンセットなのです
「愛してほしい」は、奪うエネルギー
「愛したい」だけでもきっと、欠乏感からくる奪うエネルギーになるのでしょう。
愛する⇄愛される
双方向で循環しているかたちが、本質的な”愛”になるのではないかと思っています。
本質的な”愛”を体験するためには、
自分を”愛する”ことが大前提になります。
自分自身が欠乏感を感じている状態では、
「クレクレ・・・」というクレクレ星人になってしまうからです。
自分を満たす・・・。
完全な部分はもちろん好きだけど、不完全な部分までも受け入れる。
これができてはじめて、人を本質的に愛するという体験ができるのだと思います。
「自分を満たす」のは、
自分勝手ではないのか・・・、という人がいますが。
自分勝手、とは
自分本位ということです。
他人と比較して自分が優位に立つような言動をする、ということ。
つねに「他者との比較」がそこにはあります。
私の言う、「ご自愛」は、
比較という概念ではなく、
自分のありのままを受け入れることによって、
他人のありのままを受け入れる・・・。
他人がどんな言動を取ろうとも、
マウンティングしないで、自分を守ることもしないで、
ただただ受け入れる・・・。
私も、あなたも、 オッケー
ということです。
自分勝手な人は、自己肯定のできていない人。
自分を肯定できないので、
他人を肯定できないのです。
まずは、「自己肯定感を上げる」。
「無条件の愛」ってやつね
お母さんが赤ちゃんに向ける”愛”はまさにこれ。
何にもできない我が子が愛おしくてたまらない・・・。
そんな状態って、お母さん自身は赤ちゃんから何かしてほしいと望んでやっているのでしょうか。
ただただ、存在しているだけで”愛おしい”はずです。
私たちもそんな存在なのです、本当は・・・。
でも、
「何か足らない」
「だから補わないと認めてもらえない」
と言って、無理してがんばって認めてもらうためにする。
本当は、『存在している(在る)だけで尊いのよ』
私の好きなことば。
天上天下唯我独尊
てんじょうてんげゆいがどくそん
お釈迦さまのことば。
わたしたちはみな尊い存在である
「唯我」は
「わたしだけ」という意味ではなく、
「わたしたち」という意味になるそう。
すでにお釈迦さまは、
「ワンネス=みんなひとつ」ということを知っていたのです。
だから、”無条件の愛”とは
たったひとりに向けるものではなく、
わたしに関わる人全てに向けることができる、ということ。
みーんな、好き
みたいなかんじでしょうか。
その中でも、”LOVE”の愛はとっても人間としての学びを深めることができると思っています。
二極性の世界を存分に感じることができるわけなので
「男女」という意味で。
(今は性を超えて恋愛可能な時代になっていますけどね)
とても素晴らしい体験ができる、と思っています。
「結婚」という制約にとらわれないで
人を好きになり、愛し愛されることは
生きていくうえでも、とても大切なことだと私は感じています
先日、伊勢神宮へ行った時のこと。
御神酒をいただける休憩所の付近に、
神鶏さまが対で歩いていました。
伊勢神宮で初めて鶏を見たのですが、
その鶏さんが可愛くて・・・
メスの鶏がオスの方へ歩いて行ったのです。
下の写真のように、近づいて行って並んで歩いていました。
そしたら、メスの鶏さんが向きを変えて、
オスの方を見たのです。
(写真はちょっとメスがそっぽを向き始めていますが、本当に見つめあっていましたよ)
しばらく、そんな時間が続いていましたが・・・。
だんだん、メスさんが向きを変えはじめ・・・。
とうとう、プイっと去って行きました
(オスさんの視線が・・・切ない)
ずーっと、オスさんはメスさんを見ていました。
なんかとても微笑ましい場面でした。
オスさんは、とても立派な外見をしていますが、
やはり、男は外見だけではダメなのでしょうか・・・
(切ない・・・)
神社で、神鶏さまを見かけることは少ないと思いますが、
まさか対で見られるとは思っていなかったので、
とってもラッキー
しかも、目の前で2羽のかわいいしぐさを見せてくれたので、
ベストタイミングでここを通りがかってよかったー
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ