永訣 | りんこのブログ

りんこのブログ

好きなことを、好きなだけ、
好きな時に書いてます。

あんにょん。。。



日曜日から、悶々としていて、

ようやく今日、気持ちに区切りがついたの。



忘れたくないのでここに記しますが、

きっと支離滅裂です。

とっても個人的なことなので、

テキトーにスルーしてください。



















ずっと私のブログを読んでいた方なら、

「知人を警戒中」で、ブログを読みに徘徊しても、

どなたのブログにもペタを付けずに読み逃げしていたこと、

ご存知の方もいらっしゃるかと。。。。


なぜ、知人を警戒中だったのかというと、

その知人の言動で気に入らないことがあったときに、

私は少なからず傷ついて、ガマンできずに、

このブログ内で、悪口めいたことを書いたり、

毒を吐いたりしたことがあったから。



でも、それは本当にちっちゃい事。


決して悪い人ではなかったのに、

ここには書けないほど、細かい、些細なことの積み重ねで、

いい加減うんざりして、とても苦手になってしまった知人。


彼女に、このブログのURLを教えてくれと言われて、

でも、どうしても教えたくなくて、

たま~に更新する、別宅の「兄弟専用ブログ」しかないよ~って答えてあった。

ど~して私が心を開けないその人に、ここの存在を教えられるものか、

そう思って、そのままの気持ちを書いたこともあった。


でも、それは、

その彼女を心から憎んでいるわけではなくて、

ただ、私の心理状態を見せるのが、イヤだっただけ。。。


だって、職場では弱い自分を見せたり、

大好きなものをアツく語ったりはしていなかったから。

それ以上に、いつもここでは、

好きなことを、好きなだけ、好きな時に率直に書いているから。



でも、そんな心配をする必要が、

一切なくなってしまった。


もう、彼女が私のブログを見つけ出して、

接触してくることを恐れなくていい。

なぜなら、7日の日曜日、

突然彼女がこの世から旅立ってしまったから……。







日曜日、だらだらと過ごしながら、

ちょうどお昼を過ぎたぐらいの時間に、

1件のメールがケイタイに届いた。



いつもケイタイは、出かけるときぐらいしか気にも留めなくて、

ほとんど放置状態なので、誰から連絡がきても、

発見が遅れることが多いのだけど、

その日は、たまたまケイタイを目の前に置いているときに、

メールが届いた。


それは、その彼女のケイタイからだった。


また、誘いのメールかなぁ。。。

それともグチかな???



そんなふうにしか思わなかった。

気乗りしないまま覗いてみると、

信じられない言葉が綴られていた。


-------------

母の携帯から失礼します。


娘の○○です。

今朝、母が逝去いたしました。


生前は大変お世話になりました。

・・・・・・

-------------



はぁ?  何コレ?

何の冗談???


そんなふうに思った。


しかし、スクロールしていくと、

通夜の日時と場所、告別式の予定が書かれていて、

“喪主 ○○ ○○(ご主人の名前)”

で締めくくられていた。



あの元気印の彼女が亡くなった???

ウソ?

信じられない。。。。

彼女は、職場の仲間だった。

お昼を一緒に過ごすのが日課だった。


あるとき、コチラの気持ちも察することなく、

何の気なしに悪気なく彼女が放った一言を、

私の心に余裕がなくて、

聞き流せずに真に受けてムッとしたこと。


そして、それとは別のことで、

いつもなら彼女は、「ま、いっか…」で済ませるのに、

ある一つのことだけ、

ものすごく神経質になって、それにばかりとらわれていたこと。


そのことのために、助けを求めるように相談されても、

私には立場上、どうしてあげることも出来ないのに、

毎日毎日、メッセが来る。

最初は聞いてあげていたが、

だんだん、時も場所も考えずにそのことを口にするようになり、

次第に、私だけでなく、同じように話を聞いた仲間が皆、

意識してしまって、少なからずよくない影響が出始めた。



私が何ができるかを考えて悩んでみても、

一向に事態が好転する要素がなくて、板ばさみになったせいで、

もう同じ話を何度も聞きたくない心情にかられ、

夜も眠れなくなって体調を崩して、ボロボロになっていったこと、

あんな思いは二度としたくない、、、と、

少し彼女とは距離をおきたいな、、、真剣にそう思ったこと。


彼女のいいところのほうが、

ずっとずっと多かったはずなのに、

それを忘れてしまうほど、

嫌な印象に変わってしまった。


そのときは、私と彼女との間にあった、

今考えてみれば、どうということはない出来事を、

すべてを忘れられずにいたから、苦しかった。

許せずにいたから、何度誘いのメールや電話があっても、

ブログを教えてくれって言われても、ゼッタイ、イヤだ! と思った。


他の事に時間をとられて、

返事をするのを忘れてしまうことも多かったし、

答えにくいメールが来たときは、

言葉を選んで考えているうちに、だんだんめんどうになって、

返事をしないことも返事だと思って敢えて無視したり、

のらりくらりとかわしてきた。


一年という時が経って、そういった感情が薄れてきて、

そろそろ会ってみても大丈夫かも……

って思い始めていたのに、

もう会うことは、永遠に叶わない、ということだろうか?



娘さんからのメールを見て一呼吸おいて、

やっぱり納得できないから、

思い切ってケイタイに電話を入れてみた。


10回以上コール音がしたのに、留守電になってつながらず、、、、

私の心臓は、バクバク音を立てていた。


この電話にメッセージは残せない。


一旦切ったけれど、

すぐに折り返し電話が入った。


「彼女のケイタイから電話だ。。。」


なのに、、、

間違えて切ってしまった。


私、動揺してる。。。



慌ててもう一度かけ直してみると、

今度は留守電ではなく、人が出た。


だけど、私が知ってる彼女の声じゃない。。。。




とりあえず、コチラの名前を名乗ってみると、

「あ、娘の○○です。」

と、女性の声。


「あの先ほど、メールをいただきました。

“母”って、□□さんの事ですか?」


「そうです。母です。

突然メールを差し上げてすみません。」


「え? あの、、、今朝、のことですか?」


「そうです。。。(言葉に詰まってすすり泣く声)」



詳しく聞くと、

家族が寝静まるくらいの時間にお風呂に入って、

朝、ご主人に発見されるまでの、

わずか4,5時間のうちに、

息をしていない状態になっていたとのこと。



言葉が出なくなった。


お風呂場やお手洗いで倒れるって、

話にはよく聞いたことがあるけど、

まさか、彼女が……?



うちのダーリンのママと同じ、くも膜下出血だったとのこと。



電話口でお嬢さんは、

涙を堪えながら、でも、丁寧に、そして気丈に応えてくれた。



きっと、状況に納得できないながらも、

いろいろしなくてはならない“手続き”。

その合間を縫って、メールを送ってくださったはず。

本当の悲しみの時間は、

葬儀が終わって、ひと段落してからしかやってこない……。



自分も味わった状況だけれど、

こんな時、どんな言葉をかけたらいいのか!?



電話で、お嬢さんと話したことで、

私は、彼女が亡くなったことを、まだ、信じたくない状態ではあったけれど、

まずは冷静に、事実として一旦話を受けとめ、

それから、

彼女と関わりがあったと思われる人、

とりあえずオンニたちにメールし、

そのあと、思いつく人にメールを入れた。


みんな反応は私と同じ。

「びっくりしちゃった」

「どうして?」

「悪い冗談じゃないよね?」。



娘さんが冗談でそんなメールを、わざわざ送るわけがない。

信じられない状態だったけれど、

通夜に行くか告別式に行くか、具体的な話をした。


隣の席で仕事をしたMAKOちゃんには、

メールで連絡したけど、随分時間が経ってから電話がきた。

一通り説明したあと、こう言われた。

「そういえば彼女、りんこさんのことよく話していたよ。

 ホントによく話してた。。。」



そんなふうに、彼女と親交のあった人たちとやりとりをしながら、

私は、自分がとってもちっちゃな人間で、

そう大したことではない事に対して、

意固地になっていたことを、

ものすごく後悔していた。



彼女と最後に会ってから13ヶ月余り。


何度連絡があっても、

発見が遅れたり、タイミングが悪かったり、

答えるのに困って考え込んでしまったり、

時間が失礼かと返信を先延ばしにして、結局忘れたり、、、、

そんなことを繰り返しているうちに、

その顔も、声も、仕草も、

二度と、直接目にすることはできなくなってしまった。



悪気がないことは、わかっているのに、

どうして、私は頑なだったんだろう?

どうして、許すことができなかったんだろう?




そんな良心の呵責から、

この日は“regret”というタイトルの記事を書いた。







こちらからゼンゼン連絡をしなくても、

何度も電話をくれたり、メールをくれたのは

どうしてだったんだろう?


私は、ある時期を境に、

彼女に関する事は“拒否”モードだったのに。


お嬢さんも、

どうして私にメールで知らせてくれたんだろう?



付き合いの程度からすれば、

お通夜か告別式か、どちらかに行けばいいのだろうけど、

一番最近の彼女のことを知りたい気がして、

どちらにも顔を出した。



お通夜では、いつも行動を一緒にするオンニたちではなく、

一番最近の彼女と会った人や、

1週間後に会う約束をしていた人たちと同行した。

その人たちが言うには、

「そういえば彼女は、本当に頻繁に、

 りんこさんの事を話していたよ、この前も……」



オンニ、、、

オンニのことも、私のことも、

とても気にかけていた様子で、

「会いたい」って言っていたんだって。。。

一緒に仕事をしていたころに、

戻りたいって言っていたんだって。。。





それなのに、私たちは、ごく最近まで彼女と親交があった人たちよりも、

彼女のいいところ以外を知りすぎて、

彼女の心に近づきすぎて、

よくない印象が強く残ってしまっていたから、

誘われても気乗りしないことが多くて、

「別に、今会わなくてもいいや」って、

思っていたよね?


今にして思えば、

私たち、もうちょっとだけ、

彼女の言葉に、気持ちに、

心を寄せてあげるべきだったのかな?


もう、遅いんだけど……。




お通夜の席は、本当に人が多くて、

機械的に焼香した。


遺影の彼女は、満面の笑みだったけど、

私の記憶にある彼女とはちょっと違ってた。

最近のものだったんだろうか?


焼香後、同行した人たちと彼女にまつわることを話しながら、

人の波がひいていくまで、しばらく待機して、

彼女の顔を見せてもらった。


人の顔を上から見下ろすなんて、

そんなこと普段はないから、

やっぱり知らない人のような気がした。


どうしてそこで眠っているの?


とても不思議な感覚だった。


喪主であるご主人と長女さんには

お悔やみの言葉を伝えたけれど、

私は、まだ信じきれないでいた。



だから、涙は少しは出たけど、

妙な緊張感のせいで、

それ以上、涙は出なくなった。




家に戻ってからも、

不思議と平常心でいられた。

いつもなら、激しく落ち込むのに。




そして、普通に朝が来た。


今日は、オンニたちに会う。


オンニたちとは、この一年の間にほぼ月一で会ってる。

いつも楽しくおしゃべりしたり、ランチしたり、

トンネタで盛り上がったり。主にここがメイン。



だけど、今日は違う。

一緒にお昼を過ごしていた彼女と“別れ”を告げる日。



お通夜より参列の人が少ない。

仕事で来られない人が多いから、

誰の告別式でも同じようなものだ。


でも、ご遺族の反応が、

通夜のときよりも、激しかった。


在りし日の彼女を思い出そうという演出のナレーションが流れると、

一気に胸が詰まってきた。


それまで忘れていたことも、

具体的に思い出されてきた。


弔電もまた、彼女の人となりを示すのに十分だった。


「あなたのそのキラキラの笑顔に会いたくて、

 クラス会に出向いたよ」


そうだ。


いつも、明るい人だった。

ハキハキした口調での朝の挨拶。

何にも悩みはないかのようなギャグの連発。

ご主人や娘さんたちのグチをいうときでさえ、

笑いにかえて話していたっけ。


娘さんたちに触発されながら、オシャレでもあったし、

反面、肝っ玉が据わった感じもあったし、

何にでも好奇心を示す人だったし、

人懐っこくて、パワフルで、ハツラツとしてて、

まず家庭が一番で、

4人と3匹のお世話をしながら、

毎日忙しくて大変だけど、

会社に来るのが楽しいと言っていたね。



価値観は違う人だったし、

明け透け過ぎる性格だから、

距離をおきたいときもあったけど、

いつもイキイキしたアナタのことを、

すごく羨ましく思っていたよ。



その元気はどこから来るのかって

思ってた。



私とはものすごく年が離れているわけじゃないのに、

早く結婚して子供を産んだせいで、

青春時代を楽しめなかったんだよね?


子供達から手が離れたら、

今度こそ遊びまくって、

第二の人生を楽しむんだって言ってたよね?


娘3人を持ったから、

「娘の誰かがヨメに行く日は、

とてもめんどうみれそうにないから、

暴れそうなダンナから避難しなくちゃ」、って言ってた。


長女さんの嫁入りがまもなくやってくるはずだったのに、

ご主人から避難するどころか、

誰にも行けないところに避難しちゃって……。


しばらく話をしないでいるうちに、

先に嫁がれた次女さんには、

あと3,4ヶ月で初孫も生まれるそうじゃない?


そうなったら、

「おばあちゃん!」

ってからかってやろうと思ったのに、

一目も見ることなく、

誰にも知られずに、

急いでいかなくてもいいじゃない。



三女さんは、アナタがいなくなって、

どうしていいかわからずに、

誰よりも悲しみを全身で表わして、

アナタの棺から離れなかった。



その姿が、やっぱりただの悪い夢ではないと、

はっきり知らせてくれたよ。


ハンカチが用を成さないぐらい、

涙が溢れたよ。


オンニたちも、

押し寄せる悲しみに、

声を出さないように泣くのが精一杯。



人の命はあまりにも儚いって、

アナタから教えてもらうとは思わなかった。


誰にでも平等に明日は来る、

そう思っていたけれど、

本当はちがうね。


確かに明日は来るけれど、

そこにいつものように自分がいられるかどうかは、

全く保証されていないってこと、

アナタが証明してくれた。


今日、見送る時間が来るまでは、

そこにずっとアナタのカラダはあったけど、

もうそこから立ち上がることはないんだ、

笑いかけてくれることもないんだ、

それを認めるのは、

とてもツライことだったよ。



アナタが大切にしていた家族は、

アナタが頑張って、すべてのことをやってしまっていたせいで、

きっと途方に暮れているよ。


ママがいなくて何もわからないって。



一人娘のアナタがあまりにも先を急ぐから、

アナタのお母さんは、きっと怒っているよ。

「どうして先に逝ってしまうんだ」って。



ご主人も、葬儀のときは辛そうな顔を見せていなかったけど、

一人になる時間に、ふっと思い出して、

アナタの面影を探すと思う。

呼びかけたときに誰も答えてくれなくて、

とてもさみしがっていると思うよ。



犬も食わない夫婦喧嘩をしても、

ご主人はアナタを「最愛の妻」って呼んでいたよ。

そして、二人の思い出の曲で、

アナタとのこの世での別れを飾ってた。


私もその席にいたほかの人も、

「ああ、明るいアナタらしい曲だ」、そう感じた。


涙で送ってはいけないんだって思った。


私がアナタを思うよりも、

アナタは、私をいつも気にかけてくれていたようで、

ありがとう。


アナタに対しては、

私はいつも誠実ではなかった。

今更許してもらえないだろうけど、

ありのままのアナタを受け入れてあげられなくて、

本当にごめんなさい。




仕事場じゃないところで会いたかったな。

そしたら、ずっといい友達でいられたかも。





アナタと同じ年になるころには、

負けないぐらいパワフルになっていたい。


いつもキラキラしているね、って

思われる私になっていたい。


面倒なことも全部引き受けられるぐらいの

心の大きな女性になっていたい。




ずっと忘れない、とは言わないよ。


時々思い出すよ。


アナタを思い出すときに、

涙はいらないんだよね?



もう、一人で全部引き受けて、

無理して頑張らなくていいんだよ。


後のことはご家族に任せて、

すべてがうまくいくように、

ご家族を見守ってあげてね。




今日から、キラキラした笑顔のアナタを、

私の目標にするよ。

負けないように頑張る。




ゆっくり、安らかにおやすみなさい。。。