毎日、死にたくないなあと思いながら生きてる。

2年浪人とか半期留年とか大学院進学とか。

 

人生遠回りしまくって、26歳。

就活の時期。

すごく嫌。

 

どうしようもなく。

入りたい企業一個出してそれでそこに入れるならいい。

でもちがう。

入りたくない企業にも山ほど出して内定出るまで頑張る。

みたいな?
 

早期選考?やってるわけないじゃん。

就活するために大学院入ったわけじゃない。

とかいいつつ、研究も今はろくにしてない。

 

思えば、なんで私ここにいるんだっけ?って最近人生をかえりみてる。

高校の同期はとっくに社会人。

なんなら5年目。責任ある仕事を任されてる頃だろうか。

浪人時代の同期も4年目とか。

大学の同期すら、3年目?

 

みんなはまた、どんどん前に進んでく。

なんか私さ、いつも置いていかれちゃうの笑

なんでかな?

 

大学も、1年どころか2年もかけないと、自分と向き合うこともできなくて。

本気で大学に行きたいと思うこともできなくて。

卒業も半年伸びて。

おまけに就職ピンと来なすぎて、その時ピークで楽しかった研究を続けようと大学院に進学した。

 

蓋あけたら、面接うけてても他の子達って21とか?笑

5歳下よwww

やばくね?

 

しかもさ、大学院いってると就職強いっていうけど、それは専門領域に就職する場合でさ。

一般企業に行こうとおもうと、むしろ未経験のくせに院卒給料、かつ歳も上。

メリット少なすぎて全然うまくいかないよね。

 

それでもさ、なんとか気持ちを持ち直して、頑張ってる毎日。

そんな毎日の中で、何回も思うの。

 

あれ、なんで就職しなきゃいけないんだっけ。

お金を稼がないと生きていけないのはわかってる。

でも、仕事って、この新卒採用って枠以外にも色々ある。

仕事って、もっともっとたくさんある。

 

 

でも私は慶應でたから、新卒だから、このタイミングでいわゆる”いい会社”にエントリーして内定取れた会社で働かなきゃいけない。

息苦しすぎた。

 

友達たちに色々話聞いてても、みんないうの。

慶應だし大手行けるよ、院卒だから強いよ、ホワイトな会社がいいよ、〇〇はやめなよ、××はおすすめしない。

なんで決めるの?私の人生なのに。

 

話をきいたのは私。

みんな就職していろんな意見を持って親切心でアドバイスしてくれてるのはわかる。

でもさあ。

 

”いい会社”の基準って誰がきめてるの?

いい会社ってなに?

いいことしてればいい会社?大手ならいい?給料高ければいい?ホワイトならいい?いい人が多ければいい?やりがいあればいい?

 

判断基準なんて人それぞれじゃん。

慶應だから。院生だから。

 

わたしはね、”いい会社”に入りたくて、慶應に入ったわけじゃない。

”いい会社”にいきたくて、大学院に行ったわけでもない。

 

就職したくて、生きてきたんじゃない。

 

就職は、本当はしたくないよ。

しなくていいなら。

でも生きてくためにお金は稼がなきゃいけないし、これから自分がやることもないから働く。

その程度のものであって、これまでの集大成としていい会社に行きたい。

なんて思ってなかったんだよ。

 

 

じゃあいい会社に就職しなかったら、わたしのこれまで全部失敗?なんで?

就職ってそんなに大事なん?人生のゴールなん?生きる目的なん?????

 

 

わたしは、就職するために働くために生きてるんじゃない。生きてきたんじゃない。

むしろ、これからも生きるために働こうとしてるだけ。

その上で、できるだけ自分が働ける環境だったらいいと思うだけ。

 

ただそれがどんな環境なのかわからなくて、みんなが言う、”いい会社”がそれなのかもわからなくて。

てか、新卒採用就職がそれなのかも正直わかんないの。

 

私、これまでずっとやりたいことに溢れた人生で、あれもやりたいこれもやりたい。

そう言っていつかを夢見て生きてきた。なんだかんだ毎日楽しく。

でも今、やりたいことが一つもない。やりたくないことばっかり。

 

 

新卒採用は貴重なカードだよ。大手は安定だよ。

だからなに。

私って安定したいの?新卒って枠にはまって生きることが私の幸せなの?

 

 

正論を言われるたびに、普通の常識的な意見を言われるたびに、

私は耳を閉ざしたくなる。

周りの声や環境に流されて、それに合った生き方をしなければならないの?

 

 

私の人生なのにな。

 

年重ねるほど、いろんなことに挑戦するのが怖くなる。

ダメだった時に、やり直す時間がどれだけ残されてるか怖くて。

時間がない。

 

私は20歳の時からずっと自分を周りに比べて若くないと思い続けて、とにかく時間と年齢に焦ってた。

でもさ、20なんて子供ってくらい若いじゃん。

なんなら、私、26だよ?若いよ。まだぜんぜん若いのに。

 

なんで自由に生きられないんだろう。

 

 

どうやって生きたいのか、わかんない。

でも、当たり前とか普通とか肩書きとかそういう堅苦しい枠にはまって生きるのは息が詰まる。

そんな価値観じゃなくて、私は私の意志で決めたい。

 

仮に大手で働きたいなら、そう思うのは私の意志であってほしい。

慶應卒だからとか、そんなことじゃなくて。

 

 

だってそうでしょ?

両親が言ってた。私が浪人しても見捨てないでくれて、大学にいけと言ったのは

「将来生きたい道を生きれるようにレールを増やすのが親の役目。その先は自分の好きに決めたらいい。」

 

慶應は選択肢を広げるためのレールであって、選択肢を狭めるものじゃない。

慶應でてたら大手にいかなきゃ行けないわけじゃない。まともに生きなきゃ行けないわけじゃない。

 

自分で決めれるために、慶應にいったんよ。

 

別にニートになったって、バンドマンになったって、なにしたっていいはずなんだよ。

どうして、”いい肩書き”を得た人間がその先の人生も”いい肩書き”のために生きなきゃいけないんだ。

 

私は高校生の時からずっとずっと、自由に生きたかった。

 

不自由すぎる。

でもそれすらもじぶんなんだ。

周りの意見や言葉なんて無視したらいい。

それができないのは、今手にあるものを手放せない私の弱さだ。

 

二浪してまで慶應はいったんだから、ここでしかできないことをやろう。

そうやって踏み込んだ研究の世界。

二浪してまで慶應はいったんだから、”いい会社”にいかないと。

二浪してまで慶應はいったんだから、”まともに”生きないと。

 

そうやって首を絞めてるのは私自身なのかもしれない。

 

 

後悔をしてるわけじゃない。でもいま、久々に、先が見えない。

そして初めて、やりたいことや進みたい生き方を探してる。

 

 

ただ就活を、まだやめない。

もしかしたらこの先の日々の中で、いつか決断して就職をしないと決める日が来るかもしれない。

でも今はまだ、決められないから、目の前にあるものを一つ一つこなしていく。

 

 

 

悩むのは仕方ない。

この先が私の人生第3幕なのだから。

今は浪人の時以上に先が見えないけれど。

 

そのうち見える何かがあることだけはわかる。

 

 

 

26歳。人生まだまだこれから。

自由に生きることを、まだ諦めたくない。

 

 

ゆい