モンゴルに来て間もない頃、私は「この国は物価が安い」と思っていた。
当時の為替水準や、ローカル向け価格を見れば、日本よりも生活費は確かに低く感じられたからだ。

 

ところが、生活が長くなり、仕事をし、人付き合いが増えていくにつれ、その印象は大きく変わっていった。家賃、外食、輸入食材、酒類、車関連費用。確かに数字だけを見ると、日本と大きく変わらない、むしろ高いと感じる場面も多い。気がつけば「モンゴルは意外と高い」という言葉を、自分自身が口にするようになっていた。

モンゴルで生活を始めた外国人や駐在員の多くが、「思ったより物価が高い」と口をそろえて言うようになってきた。

しかし、それは本当に「物価が高い」からなのだろうか。

 

その大きな理由の一つは輸入依存度の高さだ。鉱山開発が進み、国が豊かになるにつれ、輸入品の種類も量も増えていった。ウランバートルで消費される商品やサービスの多くは海外からの輸入に頼っており、輸入価格はドル建てが基本になる。さらに、モンゴルは内陸国なので輸送距離も長くなり輸送費も商品価格に転嫁されるので、為替が下落すれば、その影響はダイレクトに生活費に跳ね返ってくる。

もう一つは、都市部にコストが集中していることだ。人口の約半分がウランバートルに集まり、住宅、交通、インフラ、サービスに需要が集中する。結果として、家賃や外食費はローカル平均よりも大きく押し上げられる。

 

さらに外国人の場合、ローカル向けではなく「外国人向け価格帯」の質やサービスを利用するケースが多い。安全性、言語対応、品質を求めるほど、選択肢は限られ、支払う金額は上がっていく。例えば、吉野家の牛丼Mサイズで700円ぐらいするし、清潔感のある小洒落たイタリアンでパスタを食べると1,500~2,000円はかかる(2025年末時点)。

一方で、モンゴル人はこの物価環境に慣れており、支出を調整する知恵を持っているようだ。外国人が感じる「高さ」は、物価そのもの以上に、生活構造とお金の使い方の違いから生まれているのかもしれない。

 

20年以上モンゴルで暮らしてきた経験を通して見えてきた「モンゴル人のお金感覚」について、少し整理してみたい。

 

インフレ社会がつくるお金の感覚

モンゴルでは、物価が上がることは特別な出来事ではない。日本は最近でこそ2~3%で物価上昇しているが、モンゴルの物価は、前のブログで書いたように5~10%で年々上昇しており、日本と比べればとんでもない数字だ。
「去年より高くなった」「数か月前とメニューの値段が違う」という会話は日常で、将来も物価は上がるものだという前提で人々は行動しているように思う。そのため、現金を長く持つこと自体がリスクという感覚があるようだ。
給料が入れば、すぐに家族への仕送り、必要な支払い、消費に回す。最近、女性たちは化粧品に使うお金も多くなってきたと聞く。ボーナスもらえば、海外旅行で使い切る。貯金よりも「今使う」ことの優先順位が高い。
日本のように「貯金をしてから使う」のではなく、「使うべきものに使い、残れば貯める」という順番だ。

特に、人とのつながりに関わる支出――誕生日、家族行事、仲間との食事――は優先順位が高い。貯金よりも「今をどう過ごすか」を重視するようだ。外国人が驚くようなパーティー費用も、彼らにとっては浪費ではなく、必要経費なのである。

 

モンゴル人が考える「高い・安い」の基準

外国人が「高い」と感じるモンゴルの物価も、モンゴル人の感覚では必ずしもそうではないように思う。そこには、判断基準そのものの違いがある。モンゴル人の比較対象は、海外ではなく国内だ。「去年より高いか」「知人より高く払っていないか」が重要で、日本や欧米と比べる発想はあまりない。

ある時、日本のお菓子をたくさん置いているお店に入って、モンゴルでどんなものがいくらで売られてるのかな~と見ていたら、お店にいたモンゴル人親子のお父さんが子供に対して「日本のものは品質が良いから欲しいものを買いなさい」と言ってるのを聞いて、「あ~、この人たちにとっては、高いとか安いとかでなく、品質の良い日本のものを買う」ことが、その場の価値であり、喜びなんだと感じさせられた。

 

また、支出のメリハリが非常にはっきりしている。
食事や交際費、誕生日パーティーなど「人との関係」に関わる出費は惜しまない一方で、服装や日用品は驚くほど質素だ。同じ服を長く着続け、持ち物に強いこだわりも持たない人が比較的多いように思う。

もちろん一部には、ファッションや宝飾品にお金を使う富裕層もいる。しかし、モンゴルは、日本のように流行を先取りしたり、機能性を追求した商品が次から次に市場に溢れ出てくるような環境にはない、ある意味「孤立した市場」なので、総じてモンゴル人の普段の生活は質素だ。

 

モンゴル駐在員が陥りやすいお金の失敗

モンゴルに来たばかりの外国人、特に駐在員が直面しがちなのが、「気づかないうちに出費が膨らむ」問題だ。

 

代表的なのが家賃である。治安や設備を優先するあまり、相場感が分からないまま高額物件を選び、毎月の固定費として重くのしかかる。

 

次に多いのが外食と酒だ。限られた選択肢の中でお気に入りのお店に通っているうちに、週末の会食や突然の誕生日パーティー参加が重なり、支出が増えていく。買い物もしかりで、日本製や韓国製の食品や日用品を見つけると、ここぞとばかり値段も見ずに買ってしまう。

 

さらに車関連費用。
車両価格だけでなく、修理、部品、保険、ガソリンまで含めると、日本以上にコストがかかるケースも少なくない。

こうした失敗の多くは、「日本の常識」をそのまま当てはめてしまうことから生まれる。

 

合理的なお金の使い方

モンゴル人のお金の使い方は、決して無計画でも贅沢志向でもない。
それは、先が見えにくいインフレ社会を生き抜く中で、自然と身についた合理性だと思っている。

価格そのものより、「損をしていないか」を重視し、将来よりも「今」を大切にする。
時間にルーズ、衝動的――そう見える行動も、背景を知れば違った意味を持って見えてくる。

インフレと共に生きる国では、「今を大切にするお金の使い方」こそが、最も現実的な選択なのだろう。

 

「モンゴルは物価が高くなった」と言われるようになって久しい。実際にウランバートルで生活していると、外食、日用品、家賃など、あらゆる場面で値上がりを実感する。では、この体感は数字でも裏付けられているのだろうか。

 

手元のデータを見ると、モンゴルのインフレ率は2006年以降、概ね5〜10%前後で推移してきた。特に2007〜2009年、2011年前後、そして近年もインフレ率は高止まりしており、日本の低インフレに慣れた感覚からすると、かなり大きな上昇幅だと言える。

さらに見逃せないのが為替だ。2006年には1ドル=約1,190トゥグルグだった為替は、2024年には3,400トゥグルグ前後まで下落している。約20年で3倍近い通貨安である。これは、輸入品に依存する都市生活者の物価が上がる構造をそのまま表している。

 

 

たとえば、輸入食材、酒類、化粧品、家電、車。これらは価格が「ドルベース」で決まり、為替が動けば即座に値段に反映される。一方で、給与水準やビジネスの収益が同じスピードで上がるわけではないため、「生活は楽にならないのに物価だけが上がる」という感覚が生まれる。

 

興味深いのは、モンゴル人自身がこの環境にかなり適応している点だ。値上げを前提に行動し、現金を長く持たず、モノや体験に変える。インフレ社会ならではの金銭感覚が、生活スタイルにも表れている。

 

「モンゴルの物価は高い」という一言の裏には、慢性的なインフレと通貨安という、構造的な背景がある。数字で見てみると、それは決して気のせいではなく、日々の生活の中で感じる違和感そのものだということが分かる。

 

モンゴルで生活を始めた外国人や駐在員の多くが、口をそろえて言うのが「思ったより物価が高い」という言葉だ。家賃、外食、輸入食材、酒類、車関連費用。確かに数字だけを見ると、日本の地方都市と大きく変わらない、むしろ高いと感じる場面も多い。

 

その大きな理由の一つは輸入依存度の高さだ。ウランバートルで消費される商品やサービスの多くは海外からの輸入に頼っており、価格はドル建てが基本になる。為替が下落すれば、その影響はダイレクトに生活費に跳ね返ってくる。

もう一つは、都市部にコストが集中していることだ。人口の約半分がウランバートルに集まり、住宅、交通、インフラ、サービスに需要が集中する。結果として、家賃や外食費はローカル平均よりも大きく押し上げられる。

 

さらに外国人の場合、ローカル向けではなく「外国人向け価格帯」のサービスを利用するケースが多い。安全性、言語対応、品質を求めるほど、選択肢は限られ、支払う金額は上がっていく。

一方で、モンゴル人はこの物価環境に慣れており、支出を調整する知恵を持っている。外国人が感じる「高さ」は、物価そのもの以上に、生活構造とお金の使い方の違いから生まれているのかもしれない。

モンゴルでの生活も気づけば20年を越えた。
仕事でも私生活でも多くのモンゴル人と関わってきたが、日本人として「なぜ?」と戸惑う場面も多い。プライドの高さ、自己主張の強さ、酒の席での豹変、男女の距離感の近さ——日本の常識では測れない行動に驚かされることも少なくない。一方で、人の名前を決して忘れず、仲間や家族を何より大切にする姿勢には何度も助けられてきた。今回は、長く一緒に暮らして見えてきたモンゴル人の気質と文化について、実体験をもとに整理してみたい。

 

【自己主張】

モンゴル人の性格は、総じて自尊心が強く、自分の考えを大切にする人が多いように思う。

また、自分の意見をはっきり伝えることに抵抗がなく、思い切りがよくてオープンな性格と言える。私は、時々セミナーの講師をやっているが、質問を求めたり意見を求めたりすると、必ず何名かが発言する。

日本だったら、恥ずかしいとか、自分の意見に自信がないという気持ちが先行して、大勢の前で発言するのを控える人が多いが、モンゴルは違う。

 

【酒と豹変のリスク】

モンゴルの酒文化を語るとき、欠かせないのがウォッカである。普通はこれを小さなワンショット・グラスに注いで豪快に一気に飲みほす。アルコール度数は約40度と高く、日本のビールとは比べものにならない強さだが、これには明確な理由がある。モンゴルの冬は非常に厳しく、マイナス30度を下回ることも珍しくない。かつて十分な暖房設備や医療がなかった時代、少量で体を一気に温めることができ、保存性にも優れた蒸留酒は、生活の知恵として合理的な存在だった。

また、遊牧民として移動を続けてきた歴史の中で、酒は単なる嗜好品ではなく、重要な社交の道具でもあった。客に酒を勧めることは歓迎の意思表示であり、共に飲むことは「敵ではない」「仲間である」という確認の行為だった。酒の席は信頼関係を築く場であり、形式的なものではなく、人と人との距離を一気に縮める役割を果たしてきたのである。

さらに社会主義時代、ソ連の影響によってウォッカ文化は公的な場にも深く浸透し、祝い事や公式行事と酒がセットで行われる習慣が定着した。その結果、現在でも酒の席は感情が表に出やすい場となりやすく、特に飲み慣れていない人が強い酒を一気に飲むことで、感情の起伏が激しくなることもある。

こうした背景を知ると、モンゴルの酒の席で起こる出来事も、単なるマナーの問題ではなく、長い歴史と厳しい自然が育んだ文化の延長線上にあるものだと理解できる。もちろん個人差はあるが、酒と感情の距離が近い文化であることを知っておくことは、モンゴル社会と付き合う上で大きな助けになる。

 

上流階級の人は普段から飲む機会も多いし、飲み方も心得ている人が多いと思うが、中間層以下で、飲む機会が少ない人が、この強い酒を飲むと酔って豹変する人もいる。モンゴル人は、プライド高く勝気な人が多いので、こういう人が酔っぱらうと、たいてい口論が始まり、殴り合いのケンカに発展することも少なくない。ある時は、レストランで女性同士が殴り合いのケンカをしているのに遭遇したこともある。

もちろん夜道も危ない。特に酔っ払いがたむろしているような場所は避けて通るべきだ。外国人と悟られて金銭を狙われることもあるし、女性の独り歩きは酔っ払いに絡まれる可能性も高い。私の長いモンゴル生活の中で、日本人男性が酔っ払いに襲われた話もあるし、不幸にも襲われて亡くなられた日本人女性もいる。

 

【男女の距離感】

モンゴルでは、ハグやキスをする習慣があるからか、日本と比べて男女のスキンシップに対する心理的なハードルが低い。

ある時、比較的混んだ会社のエレベーターの中で、私の隣にいた男性が、私の前に立っている女性の肩に付いているゴミを手で掃ったあと「肩にゴミが付いてたよ」と言った。日本だったら断りもなしに身体に触れたりすると「何するの!」みたいな感じで、肩に触れられた女性がムッとして怒りそうだが、その女性は「ありがとう」と言い、男性も「どういたしまして」と言って、終わってしまった。これはごく一例だが、男性同士、女性同士の友達間でありがちな相手の身体に触れるしぐさが、男性と女性の間でも普通に行われる。男女間でのスキンシップやボディタッチに、日本ほど警戒されることは少ない印象を受ける。

 

【独特なお決まり動作】

<テーブルをコンコン>

モンゴルでは、誰かの身に何か不幸が起こるかもしれない、みたいな不吉な発言をしたりすると、それを聞いた人がこぶしでテーブルをコンコンと叩く。これは「バカなことを言わないで!」みたいな戒めの意味と、不吉な言葉を打ち消す意味があるようだ。

 

<突然の握手>

モンゴル人は、他人の足に自分の足が触れると、握手をして礼を尽くす。

例えば、大きな会議テーブルの下でお互いの足が触れたりすると、礼を尽くすため、瞬間的にテーブルの上にサッと手を出してお互いが握手を交わすので、最初に見た時は、なんで突然握手してるのだろう?と驚いた。

街中でのすれ違いざまやエレベーターの中や、場所はどこでも、お互いの足が触れたり、ぶつかったりしたら、お互いサッと手を差し伸べて握手する。日本だったら、例えば混雑時の駅のホームなどで他人の足に触れようものなら、にらみ返されそうだが、モンゴル人は瞬間的な握手でお互いの礼を尽くす。

 

【意外な長所】

モンゴル人は非常に記憶力に優れていると思う。

長いモンゴル生活をする中で、いろんな人にお会いしているが、大変申し訳ないことに、名前と顔が一致しない人も多い。しかし、モンゴルの方は、多分一度しかお会いしてないと思っている方でも、道路ですれ違ったりすると「藤本さん!」と名前を読んで声をかけてくれる。

モンゴル人は記憶力にも優れている。今は携帯電話のメモリー機能が発展したので、自分以外の電話番号は殆ど覚えていない。丸紅ウランバートル駐在当時のガラケーの時代、もちろん携帯に電話帳機能はあったが、モンゴル人の多くは電話番号を打ち込んで電話を掛けており、中には100人ぐらいの電話番号を暗記している人もいた。

 

時間にルーズだったり、自己主張が強かったり、「なぜ?」と思うことは今も多い。
しかし、家族や仲間を大切にする姿勢、自由な発想、面倒見の良さは、昔も今も変わらない。
その国民性があるからこそ、ここまで長くモンゴルで仕事を続けてこられたのだと思う。

日本語の母音は「あ、い、う、え、お」の5つだが、モンゴル語には母音が7つある。「う」と「お」に口先を小さくして発音する音と、大きく開いて発音する音がある。日本語には口先を大きく開いて発音する「う」はないし、口先を小さくして発音する「お」がない。また、日本語にはない、喉から出す音もあったりして、まず発音が難しい。

 

モンゴルで生活を始めた頃、私も一度は本気でモンゴル語を勉強した時期がある。挨拶や自己紹介だけでなく、簡単な会話ぐらいはできるようになりたいと思い、単語を覚え、文法に向き合った。外国で仕事をする以上、現地の言葉を話せるに越したことはない、そう思っていたからだ。

 

丸紅ウランバートル駐在中、確か週3回だったと思うが、出社前に1時間ほど、Gan-Ulziiさんの奥さんのNarantuyaさんに教えてもらった。

Gan-Ulziiさんという方は、元々Buyan Cashmereの社員で、ジャルガルサイハン氏の通訳として、1996年に丸紅の東京本社に来られた時以来、約30年経った今も親しくさせて頂いている方で、私が最初にお会いしたモンゴル人でもある。Gan-Ulziiさんは、その後、2004年に日本のアパレル販売会社であるVenti-Unoの矢作社長の支援を受けて独立され、Snow Fieldという会社を設立された。島精機製作所の中古編み機でニット製品を作って、Venti-Unoに輸出するという仕事を始められた。その後、2008年に紡績工場、2010年に染色工場を作り、順調に事業を拡大され、今では規模こそは、GobiやCashmere Holdingに及ばないが、糸から最終ニット製品までできる数少ない一貫工場となった。

 

丸紅ウランバートル着任直後だったと思うが、奥さんのNarantuyaさんが以前日本で生活されていた時に、JICA研修センターのモンゴル赴任前研修で、協力隊員や専門家にモンゴル語を教えられていたということを知り、ならばこの人にモンゴル語を教えてもらいたい、と思い、個人レッスンをお願いして勉強を始めた。

 

モンゴル語のアルファベットの読み書きから始め、助詞の使い方、動詞の過去形、現在進行形などを覚えたあとは、文章を作る(書く)練習をした。毎回、授業終了時に与えられる課題(宿題)を夜、家でやって、次の授業では、作ってきた文章の確認という勉強が中心だったので、会話よりも読み書き主体に勉強した。語彙が増えたり、耳が慣れてくると、会社で社員が電話で話す内容も、全部ではないが、何について話しているぐらいは分かるようになったし、モンゴル語の新聞も辞書を片手に、ゆっくりだけど、意味を理解しながら読み進められる程度にはなった。

 

2013年にTDBリースに来てからは、モンゴル語を「勉強する」ことも、「使う」ことも、徐々に減っていった。理由は単純で、仕事や日常生活の多くが、結局は日本語か英語で回るようになってしまったからである。また、ITの進歩によってインターネット経由で英語で直接得られるモンゴルニュースも増えたし、最近では便利な翻訳ツールもあるので、モンゴル語の必要性が徐々になくなり、私自身の学習意欲もなくなっていった。

Narantuyaさんとの個人レッスンで使っていた何冊もの本・ノート・辞書は、いつかまた使うかも?と思って大事に保管しているが、結局一度も手に取ることはない。

 

ただ今でも、買い物、食事、タクシーでの移動などの日常生活ではモンゴル語を使えるし、仕事上でもモンゴル語で話されている金額や数字は瞬時に理解できる。

 

モンゴル語を勉強したこと自体を後悔しているわけではない。現地の言葉に触れたことで、考え方や距離感、人との接し方が少しだけ理解できた気がするからだ。今は流暢に話せなくても、耳には残っているし、場の空気を読む助けにはなっている。

語学は、使わなければ忘れる。当たり前のことだが、モンゴルでそれを身をもって実感した。今は無理に話そうとはしていないが、また必要になれば、きっとどこかから拾い直すのだと思う。そんな距離感で、今もモンゴル語と付き合っている。

 

モンゴルで12月に行われる忘年会は、新年会「シンジル(新年)パーティー」と言われる。モンゴルに滞在した日本人は必ず経験するインパクトのあるパーティーだ。

 

一般的には会社ごとに大きな会場を貸し切って、食事を取りながら、その年の功労者を表彰したり、音楽、ゲーム、ダンスを楽しむ。TDB銀行を初めとする大企業では社員が1000人以上いるので、早いところは1年前に予約を入れ、数少ない大きな会場を貸し切ってのパーティーとなる。

 

女性たちは、3ヶ月ぐらい前から、今年はどんなドレスにしようかと頭を悩ます。ショップで既製品を買うと同じドレスを着ている人と出くわすリスクがあるので、とにかく個性的に着飾るためにオーダーメイドで仕立てる女性も少なくない。

中には、胸元が大きく開いたドレス、背中が大きく開いたドレス、チャイナドレス、などなど、女性たちが1年で一番おしゃれをするのがシンジル・パーティーである。

当日、女性たちは朝から美容院に行って、ヘアスタイルと化粧を整え、最高のイベントに備えるので、中には、この女性は誰?と普段の容姿とのギャップに驚くような女性もいる。もちろん、男性もタキシードに蝶ネクタイというのが一般的。

モンゴルのパーティーは、新年会にしろ結婚式にしろ、食事のあとは飲んで踊るというのが一般的で、夜中まで踊り、踊り疲れて帰宅する。

 

そういえば、パーティーやイベントで、日本人には理解できないことが2つある。

1つは、開演時間までに来る人が少ないという点。例えば、招待状や案内状に「開演時間19時」と書いてあったとしても、19時までに来る人は外国人ぐらいで、大抵のモンゴル人は30分から1時間ぐらい遅れて来場する。なので、開演時間19時と書いてあっても実際に始まるのは20時ぐらいというのが殆どである。遅れて参上するのが格好いいと思っているのか、単に時間通りに参上できるような時間管理ができないかのどちらかだろう。

 

2つ目は、開会の前でもテーブルについた人から食べ始める点。来場者がテーブルにつき始めると、各テーブルにサラダが配膳され始める。日本では、会場にほぼ全員が入場して席に着き、開会のあいさつや乾杯があってから食べ始めるが、モンゴルのパーティーでは、同じテーブルの人が揃っていようがいまいが、開会もしていないのに着席した人から配膳されたサラダを自由に食べ始める。

これは、どういう慣習なのだろうか。時間通りに来る人が少ないから、時間通りに来た人たちが手持ちぶさたにならないようにご自由に召し上がってください、という意味なのだろうか。メインの食事は開演後に出されるので、最初に配膳されるサラダは、おそらくそういう意味だろう。

 

モンゴルの人はみんなスピーチが上手だ。パーティー会場などで、不意に指名されても皆さんスラスラと言葉が出てくる。恥ずかしがらずに自分の思うことを伝えるコミュニケーション能力に長けている。

だからかもしれないが、モンゴル人は、親戚が集まった時や友人同士で集まった時などは、よくもそんなに長時間話す話題があるな~と呆れるほど延々と話し続けている。おそらく、ちょっとした話題にそれぞれがいろんな角度から食いつき、ときに茶化して笑い飛ばしたり、共に怒ったり、共に泣いたりしているのだろう。アパートの隣の家や上の家に大家族が集まったときは、夜中まで会話が絶えないし、酔っぱらって歌い始めた時には寝たくても眠れない。

 

モンゴルで暮らしていると、年齢に関係なく誕生日を盛大に祝う文化に何度も出会う。子どもはもちろんのこと、40代、50代、時にはそれ以上の年齢になっても、家族や友人、同僚が集まり、当たり前のように誕生日パーティーが開かれる。日本では「この年になると誕生日はあまり嬉しくない」といった声を耳にすることも多いが、モンゴルではそうした感覚はあまりないように思う。

誕生日は「年を取ったことを意識する日」ではなく、「ここまで無事に生きてこられたことを皆で喜ぶ日」という位置づけに近い。厳しい自然環境の中で暮らしてきた歴史があるからか、一年を無事に過ごせたことそのものに価値が置かれているように感じる。年齢を重ねることは衰えではなく、経験と尊敬の証でもある。

 

誕生日には、必ず誰かが声をかけ、ケーキを用意し、歌い、写真を撮る。派手でなくても「祝う」という行為そのものが欠かせない。そこには、年齢や立場に関係なく、一人の人間として存在を大切にする価値観が表れている。

日本的な感覚でいると、少し照れくさく感じるかもしれない。しかし、この文化に慣れてくると、「祝われること」「祝うこと」は、人間関係を温め直す大切な機会なのだと気づかされる。何歳になっても誕生日を祝うモンゴルの習慣は、人と人とのつながりを大切にする社会の象徴なのかもしれない。