「ツァガーンサル(Цагаан сар)」というモンゴルの旧正月、今年は2月18日です。

ツァガーンサルは、太陽暦ではなく太陰暦(月の満ち欠け)で計算され、モンゴルでは伝統的に、チベット仏教系の暦を使って日を決めますが、例年1月~2月のどこかにその日が来ます。日本の正月と同じように三日間が休日になります。お店やレストランなども基本的に休業です。一方で、1月1日の元旦は、モンゴルでは1月1日だけが祝日で、1月2日から通常営業です。

 

ツァガーンサルは、直訳すると「白い月」。ここでいう“白”は、清らかさ・はじまり・幸運の象徴です。

 

旧正月の前夜(日本でいう大晦日)は「ビトゥーン(Bituun)」と呼ばれます。この日はとにかく準備の日。

各家庭では、大掃除(1年の厄を払う)、食事を大量に準備、供え物を整えます。

特に、多くの訪問客を迎える家庭では、ツァガーンサルの2週間ぐらい前から数千個のボーズ(蒸し餃子)を手作りする家庭もあるようです。マイナス30度の世界なので、冷凍庫に入りきらない分は窓の外へ。天然のフリーザーです。

 

ツァガーンサルで有名なのが、ボールツォグ(揚げパン)を山のように積む光景です。ボールツォグ、乳製品、干し肉、お菓子を段々に積み上げます。

この段の数にも意味があり、奇数が縁起が良いとされています。これは単なる飾りではなく、「豊かさ」「繁栄」「家の力」の象徴と言われています。つまり、見せるおもてなしのようです。

 

ビトゥーンの夜は、基本的に家族と静かに過ごします。全員そろって食事、年長者の話を聞く、騒ぐというより静かに満ちる時間を過ごします

 

ツァガーンサル当日は、両親、祖父母、年長の親戚の家、日頃お世話になっている年長者の家庭などを訪問します。年長者から順番に回るのが基本です。皆さんが一斉に家庭訪問をするので、お正月とはいえ道路も渋滞します。

 

モンゴル旧正月の特徴はゾルゴフ(Zolgokh)という挨拶です。若い人が両手を差し出し、年長者の腕を下から支えながら挨拶します。意味は、「あなたを支えます」「教えを受けます」という敬意の表現だそうです。

 

朝から親戚訪問スタート。皆さんが一斉に1日で何軒も回るのですが、どの訪問先でも出てくるものは、ほぼ共通:

  • スーテイ・ツァイ(塩味のミルクティー)

  • ボールツォグ(揚げパン)

  • バターや乳製品

  • 蒸し肉

  • 伝統菓子、そしてウォッカ

以前、私も社員や友人に誘われるままに、確か一日に3~4軒ぐらい訪問したことがあるのですが、一軒目は楽勝。ただ、一軒目で食べ過ぎると2軒目以降が大変です。家庭ごとに味は多少違っても、テーブルに並んでいるものは基本的にほぼ同じ。食べないと失礼なので、その前に訪問した家庭で食べ過ぎてお腹いっぱいでも、また次の家庭でも食べるしかない。ウォッカも勧められると断りづらい。夜、家に戻ったときには満腹で苦しくて倒れこんでしまいました。あの経験をして以来、ツァガーンサルのお招きはお断りするようにしています。

炭水化物、脂質、高カロリー乳製品をとことん胃に詰め込む一日になります。モンゴルの人は、初日だけでなく3日間それを繰り返すので、ツァガーンサル休暇中に3キロくらい体重が増えた、という話もよく聞きます。 

 

ツァガーンサルは、単なる年明けではありません。年長者への敬意、家族のつながり、共同体の確認。そして、お腹がはちきれそうになるまで続く祝福の時間。

モンゴルの一年は、こうして満腹から始まります。

実はモンゴルには、子どもの髪の毛を初めて切る「特別な儀式」があります。 日本人から見ると少し不思議。でも背景を知ると、かなり理にかなっています。

 

地域によって異なるようですが一般的には、

  • 男の子:3歳や5歳
  • 女の子:2歳や4歳

で、初めてしっかり髪の毛を切ります。というか、男の子も女の子も丸坊主にします。 理由はとてもシンプルで、

  • 髪=命・魂の一部

  • 小さいうちは神様・自然からの授かりもの

  • 成長の節目まで大切に守る

という考え方があるからです。

つまり、 「切らない」のではなく「守っている」という感覚です。

 

儀式当日は、引退したお相撲さんの断髪式のように、

  • 親戚や親しい人が集まる

  • 年長者から順番に少しずつ髪を切る

  • 切るたびに、祝福の言葉をかけ、切った人がお祝いのお金や贈り物を渡す

よく言われる祝福は、

  • 健康に育ちますように

  • 学びのある人生になりますように

  • 幸運が続きますように

といった、とても前向きなものです。

モンゴルの子どもの髪の毛を切る儀式は、髪を切る=成長を祝うことであり、「成長と人生の節目を祝う行事」、またそれを家族と共同体で見守る文化です。

 

そして切り落とした髪の毛は、そのまま捨てるのではなく、大切に保管する家庭も少なくありません。理由は、 魂の一部を粗末にしないという考え方からのようです。

 

「最初の髪切りは特別」 という意識は、今も大切にされています。

日本の「初宮参り」「七五三」に近い感覚かもしれません。

 

それだけではなく、モンゴルのカレンダーには常に「髪を切る良い日」というのもあり、その日に限ってヘアサロンは朝から晩まで次から次に髪を切る人で忙しい一日になるようです。その日は「運気を整える日」とも言われ、大人でもその日に合わせて髪を切る人がたくさんいます。

 

モンゴルでは、髪を切ることは単なる美容行為ではありません。
それは「運を整えること」。
子どもの成長を祝うこと。
そして人生の節目を大切にすること。

髪の毛ひとつに、ここまで意味を込める国。それがモンゴルです。

日本では、親から独立して結婚して子供が生まれると、子育ては夫婦の責任になりがちですが、モンゴルでは、家族の誰かに子供が生まれると、おじいちゃん、おばあちゃん、親の兄弟・姉妹など、家族・親戚みんなで子供の面倒をみることが多いです。

もちろん中には、育休をしっかり取って子育てをする親もいますが、私の回りでは、女性は、自分のお母さんやお祖母ちゃんに子供を預けたりして、出産後すぐに職場に戻る人が多いように思います。

 

そして親戚、近所、その場にいる大人は、誰の子であっても、叱る・助ける・守る人が多いように思います。だから、こどもも「大人はみんな味方」という感覚で育つようで、小さなころから教えてもらう、助けてもらうことに慣れていて、「ねぇ、おねえさん」とか「ねぇ、おにいさん」と、恥ずかしがることなく質問できる子供が多いし、聞かれた人も、まるで自分の子のようにやさしく接する人が多い気がします。

 

日本の子育ては、時間通り、ルール厳守、周囲に迷惑をかけない、が重視されますが、モンゴルでは、多少の遅れは気にしない、子どもは子ども、静かにできなくて当たり前で、日本は「守る子育て」、モンゴルは「生き抜く子育て」のような気がします。日本の子育ては安心設計、モンゴルの子育ては適応設計とも言えると思います。

 

日本では、日が暮れて暗くなったら子供は外で遊ばないものですが、モンゴルでは夜遅くまで、アパート周辺のバスケットコートなどで遊んでいる子供をよく見かけます。モンゴルは冬が長いので、外で遊べるのは、せいぜい5月~9月。外で遊べる季節には思いっきり遊ばせてあげよう!という親心からなのか、夜の10時、11時でもたくさんの子供たちが遊んでいるのを見かけます。

日本人から見ると「放置」のようにも思えますが、モンゴルの子育てを見ていると、 「日本のやり方が間違ってる」わけでも、 「モンゴルが雑」なわけでもありません。どちらが正しいではなく、 環境と文化が違うだけ。

モンゴルの子どもたちは、 小さい頃からたくましく、 でも驚くほど素直で情が深い。

子育て文化を知ると、 その国の価値観が一番よく見えてきます。

 

ただ、時代は変わっています。
モンゴルでも企業ガバナンスやコンプライアンスが求められるようになってきました。
ルールを明確に守る社会へ移行する中で、「柔軟に生き抜く」文化で育った世代は、少し戸惑う場面もあるかもしれません。
それは優劣ではなく、文化の転換期なのだと思います。

 

子どもたちは、その社会の未来そのもの。
守られて育つか、任されて育つか。
どちらの国も、きっとその国なりの「強さ」を育てているのだと思います。

日本では「血液型=性格」っていう話、よく聞きますよね。 でもモンゴルに来ると、あれ、血液型の話しないな…と気づくはず。 今回は モンゴル人の血液型分布日本人が誤解しやすいモンゴル人の性格 について、カジュアルにまとめてみます。

 

日本では血液型ごとにこんなイメージがあります:

  • A型:几帳面・真面目・協調性がある

  • B型:自由奔放・マイペース・個性的

  • O型:社交的・大らか・リーダータイプ

  • AB型:冷静・合理的・独自の世界を持つ

モンゴル人の血液型について、公式な全国統計はあまりないのですが、医療データや研究から見ると、

  • 1型(O型):約35〜40%

  • 2型(A型):約25〜30%

  • 3型(B型):約25〜30%

  • 4型(AB型):約5%前後

モンゴルでは1型~4型と表現する人が多いです。
日本だとA型が多いですが、モンゴルでは1型(O型)と3型(B型)が多めです。これは遊牧民の歴史や環境適応の影響とも言われています。
 
なぜ、O型とB型が多いのか?

理由の一つは、モンゴルの厳しい自然環境。 長距離移動や狩猟・牧畜生活が続いた中で、O型は環境変化に強く適応しやすかったと考えられています。

(※性格論ではなく、あくまで遺伝・進化の話です)

 

日本人にとって不思議かもしれませんが、モンゴルでは

  • 血液型=性格という考えはほぼない

  • 血液型を知らない人も多い

  • 性格は「育ち・環境・個人差」で判断

なので、日本人が「あの人、几帳面だからA型かな?」なんていう話をしても誰も付いてこれません。

ただ、総じてモンゴル人に多いタイプは「B型:自由奔放・マイペース・個性的」と「O型:社交的・大らか」な人なので、上記のデータは間違っていないと思う。

 

もちろん医療現場(出産、手術、輸血など)では血液型は重要ですが、日本のように「学生時代に覚えておく」という文化はほぼありません。

 

血液型で人を判断しない、血液型より大事なのは、人そのものを知ることなのでしょう。

最初は、無口で冷たそうとか、協調性がないと感じることが多いかもしれませんが、慣れると、実は親切でフレンドリーな人が多いです。

モンゴルに来て間もない頃、私は「この国は物価が安い」と思っていた。
当時の為替水準や、ローカル向け価格を見れば、日本よりも生活費は確かに低く感じられたからだ。

 

ところが、生活が長くなり、仕事をし、人付き合いが増えていくにつれ、その印象は大きく変わっていった。家賃、外食、輸入食材、酒類、車関連費用。確かに数字だけを見ると、日本と大きく変わらない、むしろ高いと感じる場面も多い。気がつけば「モンゴルは意外と高い」という言葉を、自分自身が口にするようになっていた。

モンゴルで生活を始めた外国人や駐在員の多くが、「思ったより物価が高い」と口をそろえて言うようになってきた。

しかし、それは本当に「物価が高い」からなのだろうか。

 

その大きな理由の一つは輸入依存度の高さだ。鉱山開発が進み、国が豊かになるにつれ、輸入品の種類も量も増えていった。ウランバートルで消費される商品やサービスの多くは海外からの輸入に頼っており、輸入価格はドル建てが基本になる。さらに、モンゴルは内陸国なので輸送距離も長くなり輸送費も商品価格に転嫁されるので、為替が下落すれば、その影響はダイレクトに生活費に跳ね返ってくる。

もう一つは、都市部にコストが集中していることだ。人口の約半分がウランバートルに集まり、住宅、交通、インフラ、サービスに需要が集中する。結果として、家賃や外食費はローカル平均よりも大きく押し上げられる。

 

さらに外国人の場合、ローカル向けではなく「外国人向け価格帯」の質やサービスを利用するケースが多い。安全性、言語対応、品質を求めるほど、選択肢は限られ、支払う金額は上がっていく。例えば、吉野家の牛丼Mサイズで700円ぐらいするし、清潔感のある小洒落たイタリアンでパスタを食べると1,500~2,000円はかかる(2025年末時点)。

一方で、モンゴル人はこの物価環境に慣れており、支出を調整する知恵を持っているようだ。外国人が感じる「高さ」は、物価そのもの以上に、生活構造とお金の使い方の違いから生まれているのかもしれない。

 

20年以上モンゴルで暮らしてきた経験を通して見えてきた「モンゴル人のお金感覚」について、少し整理してみたい。

 

インフレ社会がつくるお金の感覚

モンゴルでは、物価が上がることは特別な出来事ではない。日本は最近でこそ2~3%で物価上昇しているが、モンゴルの物価は、前のブログで書いたように5~10%で年々上昇しており、日本と比べればとんでもない数字だ。
「去年より高くなった」「数か月前とメニューの値段が違う」という会話は日常で、将来も物価は上がるものだという前提で人々は行動しているように思う。そのため、現金を長く持つこと自体がリスクという感覚があるようだ。
給料が入れば、すぐに家族への仕送り、必要な支払い、消費に回す。最近、女性たちは化粧品に使うお金も多くなってきたと聞く。ボーナスもらえば、海外旅行で使い切る。貯金よりも「今使う」ことの優先順位が高い。
日本のように「貯金をしてから使う」のではなく、「使うべきものに使い、残れば貯める」という順番だ。

特に、人とのつながりに関わる支出――誕生日、家族行事、仲間との食事――は優先順位が高い。貯金よりも「今をどう過ごすか」を重視するようだ。外国人が驚くようなパーティー費用も、彼らにとっては浪費ではなく、必要経費なのである。

 

モンゴル人が考える「高い・安い」の基準

外国人が「高い」と感じるモンゴルの物価も、モンゴル人の感覚では必ずしもそうではないように思う。そこには、判断基準そのものの違いがある。モンゴル人の比較対象は、海外ではなく国内だ。「去年より高いか」「知人より高く払っていないか」が重要で、日本や欧米と比べる発想はあまりない。

ある時、日本のお菓子をたくさん置いているお店に入って、モンゴルでどんなものがいくらで売られてるのかな~、やっぱり高いな~と思いながら見ていたら、お店にいたモンゴル人親子のお父さんが子供に対して「日本のものは品質が良いから欲しいものを買いなさい」と言ってるのを聞いて、「あ~、この人たちにとっては、高いとか安いとかでなく、品質の良い日本のものを買う」ことが、その場の価値であり、喜びなんだと感じさせられた。

 

また、支出のメリハリが非常にはっきりしている。
食事や交際費、誕生日パーティーなど「人との関係」に関わる出費は惜しまない一方で、服装や日用品は驚くほど質素だ。同じ服を長く着続け、持ち物に強いこだわりも持たない人が比較的多いように思う。

もちろん一部には、ファッションや宝飾品にお金を使う富裕層もいる。しかし、モンゴルは、日本のように流行を先取りしたり、機能性を追求した商品が次から次に市場に溢れ出てくるような環境にはない、ある意味「孤立した市場」なので、総じてモンゴル人の普段の生活は質素だ。

 

モンゴル駐在員が陥りやすいお金の失敗

モンゴルに来たばかりの外国人、特に駐在員が直面しがちなのが、「気づかないうちに出費が膨らむ」問題だ。

 

代表的なのが家賃である。治安や設備を優先するあまり、相場感が分からないまま高額物件を選び、毎月の固定費として重くのしかかる。

 

次に多いのが外食と酒だ。限られた選択肢の中でお気に入りのお店に通っているうちに、週末の会食や突然の誕生日パーティー参加が重なり、支出が増えていく。買い物もしかりで、日本製や韓国製の食品や日用品を見つけると、ここぞとばかり値段も見ずに買ってしまう。

 

さらに車関連費用。
車両価格だけでなく、修理、部品、保険、ガソリンまで含めると、日本以上にコストがかかるケースも少なくない。

こうした失敗の多くは、「日本の常識」をそのまま当てはめてしまうことから生まれる。

 

合理的なお金の使い方

モンゴル人のお金の使い方は、決して無計画でも贅沢志向でもない。
それは、先が見えにくいインフレ社会を生き抜く中で、自然と身についた合理性だと思っている。

価格そのものより、「損をしていないか」を重視し、将来よりも「今」を大切にする。
時間にルーズ、衝動的――そう見える行動も、背景を知れば違った意味を持って見えてくる。

インフレと共に生きる国では、「今を大切にするお金の使い方」こそが、最も現実的な選択なのだろう。