こわいのよ
違うレールの上走る 気分なの〜
「ボン・ボヤージュ」、彼と旅行に行く女の子の気持ちを歌う。
松本隆さんが松田聖子のアルバムのために書いた詩。
初めての二人旅、でも心はもどかしく、罪悪感が。
当時十代のわたしが思い描く理想の大人像は、理性的であること。
ちょっと意固地なレールを走ってしまったかなと思う。
でも、思春期の時、親のことで、いろいろ学んだことがあったから〜。
こんなことが頭をよぎったきっかけは、斉藤由貴スキャンダル。
三連休、暇に任せて久しぶりにワイドショーをみてた。
彼女がその気になれば舞い上がらない男性なんて、そうはいない。
だって、斉藤由貴だよ。
不倫を認めない宗教の信者の彼女、
宗教を持っていてこうなら、持っていなかったら、どうなっていたか。
相手は、イケメンのお医者さん。
わたしの職場近くの診療所の医師も、長谷川博巳似のハンサム、優しく素敵。
向こうがその気になれば、さすがのわたしだって。。。
が、そうはならない。大人のうたかたの片恋で終わる。
人知れず軌道修正する機会もあっただろうに。
それが出来ていれば、誰も傷つかなかった。
当の二人の傷は、時間が経てば意外と消える。
でも、周りの人たちの傷痕は、薄れることはあっても残る。
ところで、相手のドクター、
女物のパンツ被って、写真撮って、、、感心さえする。
実は、ブリーフを被らされたことが、ある。
中学生の頃。
洗濯物を取り込んで仕分けしていた時、兄にやられた。
自分のパンツを妹に被せておいて、指さして笑っている。
こういうセンスって、今も昔も、わけわかんない。
パンツは被るものではない、履くものじゃ。