今日は珍しく
私の仕事中に母から何度も何度も
私のスマホに電話が来ていた。
異常なほどに来ていた。


実家から離れて長いけど、
仕事終わりはほぼ毎日、
お母さんに電話してる。

だから、
私の仕事が終わる時間は
ちゃんと把握してるはずなのに。

ちょっとイラっとした。

仕事中にこんなに電話したって
出られるわけないのに。

家に着く頃に電話しようと思ったら
また電話が掛かってきた。


ワンコールで出た。
「何かあった?」
少しイラッとしてたから、すぐに聞いた。

『ななが死んじゃった』

ななは、私が7歳の誕生日に
プレゼントしてもらった柴犬だ。

ななという名前は、
飼うと決めた日に
お店の帰りの車の中で
父と母に提案した名前だった。

正直テキトーに付けた。

みみ、ちゃちゃ、なな

どれがいい?

と、とりあえず自分が覚えられる名前にした。


そしたら、
みみもちゃちゃも、母の友人のあだ名だった。

聞いた事があると思ったら
そりゃそうだろうな、
というオチだった。

両親は、
あの子に合いそうだね!

と、ななになることを
喜んでくれていたのを覚えている。

でもごめん、テキトーだったの。


5月に難病に罹っていた祖母が亡くなって
6月に生まれたななは
我が家に7月に迎え入れられた。


そこからは、
よく言うことだが、
妹ができたようで毎日とても楽しかった。

まだ幼かった私は
1人でお散歩には連れて行けないから
祖父や父と一緒に連れていった。

喧嘩もするけど、ごめんねもする。
ごめんと言われても、
嫌だったら次の日まで
私がそっぽ向いてる日もあった。

ななはずっと外で飼っていたから
地域の人みんなから愛されてた。

近所のちびちゃんにいじられたのか、
目に傷を作ったこともあった。
その時は手術が必要なくらい、
重症になってた。
だけど、
ななは人と関わること、
子供たちに触られることも喜んでた。

人が大好きな子だった。

本当に人が好きな子だったんだ。

近所のおじいちゃんやおばあちゃんにも
よく撫でてもらった。

近所のおばちゃんは買い物のついでに
お散歩にも連れて行ってくれた。

怪しい人以外には全く吠えない賢い子だった。

人どころか、野良猫にも吠えなかった。

私が3年生になった頃、
野良猫がななのご飯を食べているのを見つけた。

猫嫌いの母は怒った。
でも、猫も飼ってみたかった私は受け入れた。
私以上にななが受け入れてたから、
誰も文句を言う筋合いはなかった。

それからは
気がつけば野良猫がななの小屋にいた。
近所の人たちも、
初めのうちは

餌が取られるよ!?

と心配してくれていたけれど

いつしかその光景を
微笑ましく見るようになっていた。

そして私はその猫をキャラメルと名付けた。

私の祖父は
キャラメルのことも可愛がり始めた。

私のことと同じくらい、
それはほんとに孫を愛でるように
ななのことはもちろん、
キャラメルのことも可愛がっていた。


私が6年生の時に
そんな祖父も他界した。

相次いで、
私の家の目の前で
キャラメルが事故に遭い
最後の力を振り絞って
私の家の駐車場で亡くなった。

それからななは
誰かを待つように
遠くの道を見る時間が増えていた。

そのまま後を追ってしまうのではないかと
心配になるほどだった。

父が、祖父の分まで愛情を注ぎ
ななはまた明るい日々を送れるようになった。

そうやって長い間
我が家で大切に、愛し愛されて
おばあちゃんになるまで育った。

3年程前から、前足に腫瘍ができて
歩くのが辛そうになっていた。

それでも、

私がお散歩に行こう!

と言うとしっぽを振って目を輝かせていた。
その顔が大好きだった。




子供を産ませてあげられなかったこと
最期を迎える時、私があげた毛布で温めてあげられなかったこと

この2つが、
ななを愛し尽くした私の後悔だ。

今週のお休みに、毛布を買いに行こううと思っていたのに。1歩遅かった。1歩どころか100歩も1000歩も遅かった。


ななは今日、2020年12月14日に
玄関と私の部屋の前にあるいつもの寝床で
眠るように息を引き取っていたらしい。

お昼までは
ちゃんといつものようにお昼寝してたそうだ。

父曰く、
お昼寝のときと、
亡くなっているのを発見したとき

体の向きは反対になっていたそうなので、
本当に、
発見される直前まで生きていたのかもしれない。


さっき、
両親と電話したとき、
毛布をかけてあげているせいか
まだまだずっと、
体が温かいと言っていた。

もしかしたら冬眠してるだけかもしれないよ?

なんて言うくらい、

意外と我が家は明るい。

私も父も母も
きっとななも
みんながみんなをこれでもか
というほど愛し尽くしているからだろう。


私が大学に進学するタイミングで上京してから
ほとんど全てのお世話を1人でしてくれていた父は
きっと今頃、
ひとり、号泣しているのだろう。

私もこの文章を書きながら、
思い出し、泣いている。


ななはどうだろう。
もう、頑張らなくていいからね。
足はもう痛くないよ。

明日、帰るから。
だから、一緒に寝ようね。

明日は、特別だよ。
私のお部屋で一緒に寝よう。



2004/6/20~2020/12/14
享年16歳

さすが我が家の家族!
長生き一族にいただけあるね!

16年も一緒にいられて嬉しかったよ!
悲しいし
寂しいから
どれだけ泣いても足りないけど
しばらくしたら
また
ななが好きな我が家のように
笑顔になれると思うから

おじいちゃんとおばあちゃんと
キャラメルと
おばちゃんと
みんなで一緒に
見守っていてね。

これは私のエゴだけど。
私のエゴだから
まだまだ私のことを見ていてね。

これからは今までよりも
もっともっと
私の傍にいてね。


実は冬眠してるだけならいいなって
願いながら、明日、会いに行くね。


おやすみ、なな。
まだまだ、ずっと、ずーっと、愛してる。