グラデーションの色合いが優美さを感じさせるPeace(ピース)と名付けられた薔薇の花です。

 フランスを作出国とし、1945年に世界平和を願って付けられた名前だそうです。

 当初は味気ない番号で呼んでいたとのことですが、作出したフランシス・メイアンが当時アメリカに居たパートナーへ贈り、アメリカで正式にPeace(ピース)と名付けられたため、英語の命名がなされることとなったようです。

 

 

 夕焼け色から重苦しさを取り除いたらこのような色合いなのではないかと感じるような美しさ。

 優美でありながらもどこかしら清々しい印象を感じます。

 

 

 以前、外国語と音楽について耳にした時に頭の中で思い浮かべる事に焦点を当てて記しましたが、今回は伝えようと発している時に考えている事に絞って記したいと思います。

 前回の記事はこちら。

 

 

 まず、伝えようと発している時とは、外国語であれば何か伝えたい概念があり、それを口にしているまさにその瞬間のことを指し、伝えたい内容が自分の中に何もない状態から作り出す過程については除外して考えることとします。

 ここで、音楽、特にピアノの場合、この状態に該当する状況を想定すると、即興などの例外を除き、譜面それ自体は頭の中に入っている状態ではないかと思います。私が予てよりクラシック曲の練習に際して暗譜が必須なのではないかと記していた理由がこの外国語と音楽との関連性にあります。

 

 外国語を口頭で発する場合、既に自分の中にある伝えたい概念を言語化するため、習得が不十分であれば適切な単語を思い出しながら短文を組み立てる過程を必要とします。この過程を全く必要としないのは、ネイティブスピーカー並みにその言語を習得できている場合ではないでしょうか。

 私は、日本語に関してはネイティブスピーカーだと言い切れるのですが、誰かと口頭で会話する時や大勢の前に出て一人で話す時にこの過程の必要性を感じたことはありません。発するか否か相手の様子を見計らいながら慎重に考えながら言葉を選んで発していくことはありますが、その場合、お伝えする概念そのものに揺らぎがあるわけではなく、タイミングが適切であるか、また、相手の反応から切り口を変えた方が賢明なのではないかなどと考えながら、一方的な演説にならないよう心遣いをしているのです。

 即ち、ネイティブスピーカー並みに言語を習得できている場合、この過程はさほど意識せず飛ばすことができ、その場に相応しい発言になるよう聴き手の様子を気遣うこともできるのです。

 私自身、習得が不十分な言語、例えば中国語の場合は、適切な単語を思い出し、頭の中に文字を思い浮かべて発音するので精一杯のことが多いですが、日本語の単語や、英語の頻出単語の場合、伝えたい概念を認識すると同時にそれを意味する適切な単語が頭に浮かび、道路標識を見て即座に動作として何をすべきか反応できるように、ごく自然に口を衝いて出てきます

 

 ピアノを含め、楽器を演奏する場合、調性や音価を充分把握していないまま楽器に触れる行為は、習得が不十分である外国語を話す時のように、適切な単語を思い出しながら短文を組み立てる過程を必要とする状態なのではないかと私は考えています。

 暗譜している楽曲に関しては、ネイティブスピーカーのような状態で演奏できるのではないでしょうか。

 ゆえに、クラシック曲の練習に際し、一度は暗譜が必要なのではないかと考えているのです。

 

 更に言えば、その言語の正しい発音ができることとピアノの正しい打鍵ができることとが、何かを伝える事に於いてほぼ同様の要件だと考えています。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・ハノン 1~14番,23番

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

   ・ショパン 即興曲第1番 変イ長調

 ・ショパン スケルツォ第1番 ロ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 本日は、最近打鍵が不安定な箇所が目立つので、久しぶりにハノンをやり直しました。

 

 連日のショパン 即興曲第1番への取り組みは、ショパン スケルツォ第1番第9小節からの速い動きに際して、私の意図しない曲の流れになることが多く、流れを意識してショパン 即興曲第1番に取り組むとリズム感が付くのではないかと期待を抱いていたのです。

 

 

 この楽曲の中間部は比較的緩徐で以前暗譜したつもりだったのですが、本日久しぶりに弾いてみると頭の中で譜面を思い出しながら鍵盤に向かうことになってしまい、暗譜に関して不十分な箇所があると打鍵しながら頭の中に譜面が浮かぶものだと痛感した次第です。