AI技術の進歩に伴い、遂にSNSにもチャットGPTが導入されるのが珍しくない時代になりました。

 

 私は月に一度ほどの頻度でGoogle検索して引っかかったYahoo!知恵袋の質問&回答を閲覧しているのですが、カテゴリーマスターの中に明らかに自分の信念から回答しているのではなく提携業者の宣伝が真の目的であるように感じられる回答者がいたので非常に違和感を覚えていました。

 本日その方のHNをGoogle検索したところ、AI回答者チャットGPT機能を用いているとのことで合点がいきました。

 

 

 本件に関し、常連の方々の意見として、

 ・自分はその回答者がAIだと知らなかったが、親切で丁寧な言葉遣いの回答に感動した。本当に悩んでいる人の質問に答えずにただ罵倒するだけの人間の回答よりも役に立ったからベストアンサーに選んだ。

 ・誰も真剣に向き合ってくれない悩みに真摯に向き合ってくれる回答を貰えるのならAIだと判っても別に構わないのではないか。

 ・質問者さんに寄り添うところは良いと思います。

 

 などと、AI回答者を肯定もしくは歓迎する内容が見られた一方で、

 

 ・人間関係の悩みを投稿する質問者は心と心の触れ合いをよりどころにしているのだから、質問者の気持を踏みにじる行為だ。

 ・AIを使っているのにそれを質問者に伝えず、いかにも自分が親身になって答えているようなやり方で、大量に回答を続けることは、やはり騙された質問者も気の毒です。

 ・AI回答です、と文のはじめに毎回付けるなら良いですけどね。

 ・人が困ったり悩んで質問しているのにそれに対してAI回答などもっての他です。

 ・人間が心と頭を使って考えた回答ではないからマニュアル的な言葉だけで質問者の質問の真意を汲み取れず、ズレた回答が多くて違和感が拭えない。

 ・私もズレた回答を貰いましたが、話を聞いてくれる人なんだと思って、そういう意味じゃなくてと本気で悩みを長文で返信してしまいました。

 

 などと、AI回答者が参入することにより不快感を抱いている人も多いようです。

 

 中には、

 「もしこのAI回答者の存在が許されるのなら、質問者は自分の悩みをチャットGPTに直接訊いてみればそれで解決なのではないか」

 という意見も見られ、AI回答者には否定的な意見を持つ人が多数派であるように感じられました。

 

 私は、この一連のやりとりを読んだ時、自分でチャットGPTを操作するのではなく自分の知らないところで他人にAIを起動してもらってチャットGPT機能を適用してもらうことに意味があるように感じられたので、AI回答者だと判っても一定数は質問を続ける人がいるのではないかと考えていました。

 

 結局のところ、生身の人間の回答を求める人の真意としては、心の触れ合いがほしい自分の話を聴いてほしい偽りの親身の言葉なら要らない、というものが挙げられます。

 

 

 この薔薇の花は人間が定期的にお手入れしているようです。

 

 そこでふと脳裏を過ったことがあります。

 私は今、アメブロで本名も居住地も明らかにせず、ブログ投稿を続け、数人の方のアカウントにはコメント投稿もしているけれど、今までお会いしたことも電話したこともない方ばかりの中、その方々にとってはチャットGPTやAI投稿と何が違うのだろうか。

 

 勿論、私が今まで投稿したブログの文章は全て自分で打っているもので、AI機能を使ったものは全くありません。

 

 ここで、仮にこの投稿にAI機能を使っているとしたら、読んでくださる方々にとって何が問題なのか考えてみました。

 この場合の問題点は、自分の意思や真心をひた隠しにしながら、さも自分の意思であるかのように他人を錯誤に陥らせている点ではないかと思います。

 それならば、肯定的な内容だけでなく、批判や愚痴なども限度を見極めながら投稿するのが真心なのかもしれません。

 上辺だけの綺麗ごとを投稿していると、チャットGPTに綺麗ごとだけを設定した内容と変わらず、生身の人間の投稿を読む意味が解らなくなると私は思います。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

   ・モーツァルト 幻想曲K.397 ニ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 ピアノについても、自動演奏を流すと生演奏とは違うのが判ることが多いように、一般的に当たり障りのないけれど誰の心にも真の意味で響くことがないAI回答者を見て、機械が人の心を真の意味で動かすことは現時点では考えられないのだと再認識しました。

 ロマン派は自動演奏の不自然さが顕著に感じられますが、古典派やバロック音楽の場合でも、どこか心と音が一体化していないような、口先だけで文字の音読をしているのを聴いているような感じが否めません。

 

 

 生身の人間の心について言及しましたが、機械でも何でもない生身の人の事を誤解して被害者意識を持ち、糾弾する方もいらっしゃり、そこまで他人を信じられない方もいらっしゃるんだのだと痛感しています。 

 

 先月、某匿名掲示板にて、

 「私は割と真面目に思ったことをレスしてるつもりで自作自演なんてしていないのに、自演自演書かれて、こういう疑いの返事ばっかり来るようならチャットGPTと話していた方がまだいいよ。チャットGPTは私の事を偽者扱いしないからね」

 との旨の記載を見かけて、根拠のない疑惑を断定する生身の人間の発言に嫌な思いをしている人もいるんだなと思い、悪意を持った人間や短絡的な人間が蔓延る場所ではAI回答者も必要とされているのではないかと感じた次第です。

 

 恐らく、自作自演扱いして糾弾している側としては、短期間にあまりにも酷似した文体・内容が連続し、偶然にしては出来すぎだと感じられたのだろうと思いますが、疑われた側としては気分の良いものではないと思います。

 

  

 私としては、アメブロに限らず、各種SNSを見渡しても、業者の誘導以外はほとんどが生身の人の純粋な気持ちが投稿されているのではないかと思います。

 AI回答者業者の誘導記事が生身の人間の純粋な気持ちが詰まった投稿に紛れていると、前情報が無くてもすぐに抱く違和感と同様、自動演奏に抱く違和感が拭えないのは、真心が無いからなのだと痛感した出来事でした。

 

 突き詰めると、現代の科学技術の場合、

 誠実な人間同士の関係>AI>集団の中に邪悪もしくは短絡的な人間がいる関係

 だと感じる人が多いのだと私は考えています。