私の知人に台湾在住日本人で中国語の通訳を業としているバイリンガルがいるのですが、彼女は日本語が分からない周りの台湾人たちから「日本語を話している時は慎ましやかで上品な話をしているように聞こえる」と頻繁に言われるそうです。

 彼女曰く、日本語を話す時の相手と中国語を話す時のそれとで何か対応方針を変えている気はなく、日本語のトーンそのものが落ち着いて聞こえるだけではないかとの事でした。

 

 即ち、同じ内容を同じ心境で同じように伝えようとしても、傍から見れば伝えたい話の内容が、使用する言語によって全く異なるように感じられることがあるということです。

 

 この事例と同じように、同じクラシック曲をピアノで演奏した時と他の楽器で演奏した時とでは印象が異なるのではないかと考えたのですが、そもそも作曲された時点でどの楽器で奏でる音なのか計算されていることがほとんどであることから、この素人見解はすぐに私の中で取り消しをすることになりました。

 

 

 ちなみに、この通訳の彼女は以前、

 「中華圏の人たちは案内中にクレームを直接に率直に申し出るから不満に感じていることが解りやすい。

 日本人は言葉にも態度にも出さずに『ありがとうございました』と言って帰っていった後に仲介業者を通して日本語でクレームを送ってくることがあるから通訳業を始めてから日本人の『ありがとうございました』という言葉が信用できなくなった」

 とぼやいていました。

 

 現在、退職代行サービスが日本で繁盛している事情を考えても判る通り、日本人の中には対面で自分の意思を表示することが苦手な人が多いのかもしれません。

 退職に限らず、人間関係の不満(現在、日本で「モヤモヤ」と表現される感情)を第三者には思う存分打ち明けられる人が多い一方、本人に直接告げたり本人からの連絡を遮断したりする強硬手段に出られる人は少数派である気がします。

 私自身は、話が通じない相手だと判断したらすぐに見切りを付けて関係を断つのですが、所謂ブロックと呼ばれる、電話番号やアドレスを拒否リストに入れる行為は躊躇してしまいます。ブロックすると、相手が新しいアドレスを発行して執拗に送信してきたり、拒否されたことに対して激昂してストーカー化することを警戒してしまい、受信はするけれどもこちらから反応しないことが一番の防衛策なのではないかと結論付けたからです。

 危険人物に対して「やめて」と直接お伝えする行為は、いつ走り出すか分からない野生のライオンに対して「大人しくしていて」とお願いするのと同じぐらい自分の身が危険に晒されることなのです。

 

 そう考えると、対面で自分の意思を表示することが苦手な日本人の心境として、相手からの報復を恐れているというのが一つの理由として挙げられるかもしれません。

 

 ただ、退職の意思をお伝えする相手が野生のライオンのような危険人物である確率は極めて低いと思うので、直接お伝えしても問題ないと私は考えているのですが、職場環境によるのでしょうか。

 

 日本語の「モヤモヤ」という概念・感情について、「陽だまり」同様他の国の言語に訳すのが非常に困難である気がしてなりません。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

   ・モーツァルト 幻想曲K.397 ニ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 この形式でブログを投稿し続けて思うことですが、1年前はバッハ インヴェンションを全曲通して打鍵することすらできなかったのに、今は不調な日でさえも最低限インヴェンション全15曲を途中で止まらずに練習できているので、大人になっても成長し続けているのかもしれません。

 「途中で止まらずに練習できている」、この記載に対して低次元だと呆れるようになったのも、途中で止まらずに全曲練習できるようになったからで、昨年は1分前後の短い練習曲ですら一度に15曲も練習するだけで非常に困難を覚えていました。

 

 小学生の頃、全曲を1曲ずつ練習し、先生の前で分割しながら全15曲演奏の合格をいただいたはずなのに、大人になって一度に全15曲を止まらずに練習する事すら困難を覚えるのは、何らかの認知機能が低下したのかと本気で心配していたのですが、1曲ずつ仕上げていくのと積算していくのとでは性質が異なるがゆえの現象だと痛感しています。

 

 言語と同様、ピアノも触れていなければ以前習得したことをすぐに体現するのが難しいのだと思います。