この夏、あまりブログ記事を投稿していないので、夏の名残を感じる向日葵の花手水の写真を掲載します。
本来ならば、秋を感じさせる光景を掲載すべきなのかもしれませんが、現実として今は真夏の酷暑が全国的に続いているので実態に即して真夏の季節感を想起する写真が相応しい気もします。
毎年、お盆を過ぎた頃からショーウインドーのディスプレイが秋を意識した色合いや素材に変わり、季節の移ろいを視覚で感じ取っているのですが、実際にはまだ夏物を纏うのに相応しい天候であることがしばしばあり、この時期は肩書と実態との不一致を感じる事が多いです。
こう考えていると、昨今の日本の天候と日付から想起する季節感とが一致する時期の方が短くなっているような気もするので、そろそろ様々な事への認識を改める時がきたのかもしれません。
大人になると、人が話す時に表情と声のトーンと話し方と話す内容と実際に感じていることが完全に一致している事が僅かで、これらの調和の不釣り合いを感じて真の伝達内容を感じ取ることが多いように、今の時期は地球の気象として本音は真夏でいたいけれど肩書が秋に突入してしまっている状態が発生しているのかもしれません。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・シューベルト 即興曲Op.90-2 変ホ長調
・モーツァルト 幻想曲K.397 ニ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
最近、肉体的な疲労が激しく、日々練習メニューを変更しています。
昨日記した通り、今年7月頃からモーツァルト 幻想曲K.397 ニ短調に惹かれ、着手しています。
古典派ソナタの中でも有名な楽曲なので子ども時代習った方も多いと思います。
私自身、子ども時代はとりわけこの楽曲に惹かれていたわけではないのですが、大人になってピアノを再開して夏に涼を得る時の神秘的なイメージを抱き、やり直すことにしました。
ピアノを再開して感じていた事ですが、ショパンの楽曲はなんとなく弾けている気がする事が多い一方、モーツァルトの楽曲は誤魔化しが効かない気がするのです。
動作として単純なようで難しいのがモーツァルトなのではないかと私は考えています。
第22小節から始まるフレーズがテンポもリズムも乱れがちなので、メトロノームを使って丁寧に練習しています。
楽譜はヘンレ版を使っています。
モーツァルトの楽曲からは、曖昧さを感じず素直さを感じられる気がするのです。
私はショパンの楽曲を練習している時にどこか自分で自分を誤魔化している錯覚に囚われ、その錯誤から脱却すべく行き着いたのがバッハとモーツァルトでした。
ショパンの楽曲は聴いていると魅惑的で心地よさを感じるのですが、自分で練習していると明快に割り切れない心地の悪さを感じる事もあり、そのような時にモーツァルトの楽曲を練習すると軽やかさと明快さを感じ取ると共に自分のメカニックスキルの不足も感じる事が多く、今では当分の間は不定期にモーツァルトの楽曲も練習していこうと思っています。
ショパン スケルツォ第1番の練習記も落ち着いたら再開する予定です。
不協和音が多い楽曲を練習する前に、明快な古典派ソナタから取り組むのが賢明なのかもしれません。