先日、汗ばむ陽気の中、つつじ祭りが開催されていたのでハイキングに出掛けてきました。
決してなだらかとは言い難い坂道を登ると、佳景を拝む事ができます。
この日は紫外線が強く、急な初夏の訪れを肌で感じました。
見晴らしの良い場所で撮影した写真ですが、平面の写真には収めきれないほどの規模のつつじの群れを眼下に、全体的にまだらな色合いではあるものの、まとまりを感じました。
青空を仰ぐことができたのは、好天に恵まれた証でもあります。
新緑が美しく、時折、小鳥のさえずりが耳に心地よく響きました。
住宅街で耳にする小鳥のさえずりよりも、空間が広大であることが感じられる、反響を感じられたさえずりでした。
この傾斜と立ち位置とが上手く組み合わさり、つつじの花が滝のように見える自然の偉大な力に感激。
「木漏れ日を感じながら」とは言い難いほどに頭上の葉がまばらなのも良い塩梅だと思います。
この日は、約3年ぶりに1日で1万2000歩以上歩いた日になりました。
友人と途中まで車で向かい、駐車場からハイキングコースが始まり、陽気に咲き乱れるつつじの花に吸い寄せられるかのように展望台まで登ったのです。
外国人の観光客も多く、日常が戻りつつある事を肌で感じた一日でした。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
最近、ピアノに向かうスタンスが変わってきました。
ショパン ノクターン第5番 Op.15-2を練習していると、虚飾にまみれた組織や、その組織を構成せざるを得ない者の背景にあるもの、その組織の20年前の状況、そして、その組織がもたらす影響により20年後に顕在化するであろう事…。
絶景スポットが絶景を形成するのは、偶然であるようで、実は観光業界が水面下で様々な手入れを入念におこなってくださっている努力と天候と生息する植物や動物の状況と、そこに実際に足を運ぶ観光客たちとの複合的要素が絡み合った必然の産物であり、どれが欠けても絶景ではなくなるように、クラシックピアノの楽曲の演奏に於いても、同様の事が言えるのではないかと私は考えています。
絶景スポットの水面下にあるものは美しく、ピアノの演奏の水面下にあるものは甚だしく醜い。
醜いものとの関わりを断ちながらピアノを趣味として続ける事により、私は何を得ようとしているのか。