鮮やかな色調のチューリップの見納めと共に、午前中から紫外線の強さを感じる日となりました。

 

 

 4月も下旬となり、初々しい社会人や学生たちが行き交う姿を見かけ、私自身も初心を意識する事が多いです。

 誰にでも最初は一年目の時期があり、誰にでも初めての経験があり、既に類似の物事を経験した者として相応しい振る舞いとはどのようなものか、はたと考える事が多い約3週間でした。

 

 

 あどけない表情で登校中の小中学生を目にするうちに、昔の印象深い出来事を思い出しました。

 

 私の小学生時代、まだ学校生活に慣れない小学校1年生の児童たちに対し、6年生お世話係として1年生の教室へ定期的に出向く制度がありました。

 当時小学校6年生だった私は、朝早めに登校し、始業前にまだ幼い1年生たちの身の回りの世話をする事になり、授業開始前にトイレに行きたいけれど行けないと泣き出してしまった女子児童に付き添って女子トイレの個室まで出向いたのですが、この女子児童は個室の扉の前でお腹の辺りを押さえながら号泣してしまいました。

 腹痛が酷いのかと思いきや、根気強く事情を尋ねてみると、お化けが怖くて個室に1人で入れないとのこと。

 

 私は、この理由を聞き出すまでの間、激痛に悶えている可能性を考え、救急車を呼ぶよう担任の先生に依頼した方が良いのではないか、そうすると先生を探すために私がその場を離れる必要があり、この女子児童1人を個室の前で放置してしまうこととなり不安を与えるのではないか、などと幾つもの可能性が脳裏を過り、判断に迷っていたのです。

 小学校のトイレを使ったことがない1年生の児童の中には、お化けの存在を信じてトイレの個室に入る時に怖がる者もいる。

 これは、この女子児童のお世話をしなければ、私の憶測の域にすら存在しない概念でした。

 

 結局、私が、風の音を遮断するために奥の方の窓を閉めたら、恐る恐るではありますが1人で個室に入って用を足す事ができて一安心し、1年生の担任の先生に事後報告。

 

 考えてみれば、お世話係初めての経験ですから、お互いに経験を積む中で成長していくのかもしれません。

 大変嬉しい事に、この女子児童は、同年の夏休み前、偶然近所ですれ違った時、私の事を覚えており、友達数人に囲まれながら元気いっぱいに手を振ってくれました。

 教室の中でおどおどしながら孤立気味だった彼女ですが、一緒に遊ぶ同学年の友達ができたようで、約3ヶ月間で見違えるような成長ぶりに感激した出来事でした。

 他人の成長にここまで喜びを感じた事に私自身が驚いた記憶が有ります。

 そして、この女子児童の名前を未だに憶えているのが不思議でなりません。

 

 

 ところで、このお世話係とは、特に誰からも強制されることなく私が自分から立候補して務めていたのですが、小学校6年生の頃の私には、困っている他人のために、特に他者の承認を求めることなく無償で何か助けになる事を進んでする意思がまだ宿っていたのです。


 まだ小学生の頃は私にも余裕が有り、困っている他人には人の善意を利用する狡猾さがなく、純粋に何かができないがゆえ他人の助けを必要としており、その助けに対して文句を言われる事もなかったがゆえの立候補と云う行為だったのだと今になって考えています。

 当時は、先生の目の届かない処で困り事を抱えている1年生の様子を積極的に1年生のクラス担任の先生に報告したり、何も報告しなくても特に発覚して責任を問われる訳でもない状態であったにもかかわらず、何の打算も無く純粋に困り事が解消される事を最終目標として過ごしていました。

 

 大人になるにつれ、忘れ物をした人に代替品として何かを貸すと、私の持参物を品定めされた上で文句を言われた挙句、お礼は一言も述べられることがなかったり、そもそも持ち掛けられた悩み事自体が食事を奢ってもらう事を目的として同情を引く手段としての捏造話であったりと、悪意に満ちた人物に出逢うことが多く、20歳を過ぎた頃には、自己防衛のため、困っている人を見ても見ぬ振りをするようになった気がします。

 

 

 世の中全体に余裕が無くなってきたのか、悪意を持った人物に何か手助けしようとして恩をで返された経験を積んだ大人が多いのか、多くの人の他人への態度は、過去10年間以上にわたる他人の言動によって形成されているのではないかと考えた春のひとときでした。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 誰にでも初めての経験があり、先生にも先輩にも経営者にも初めての経験が多々有るのだと思うと、今の先生方も多くの分野に於ける「初めて」を経験して今の在り方が確立されているわけです。

 

 今、私は、バッハのインヴェンションを全15曲通して毎日練習していますが、ピアノを再開した頃は途中で止まらずに弾ける楽曲が1曲もありませんでした。

 幼少期に初めて習ったピアノの先生から、まだ困っている他人の手助けを積極的におこなっていた小学生時代に教わった記憶を頼りに自分で練習し直したのです。

 

 私がピアノを再開して良かったと感じている事の一つに、あの頃の純粋な想いを永久保存したままの感覚で当時教わった楽曲の練習に取り組める事が挙げられます。

 当時、何の見返りもなく、誰と競う事も無く、純粋に「弾けるようになった」感覚に喜びを感じていたように、大人になってからも取り組める趣味が有って良かったと心から感じています。