急激に冷え込み、朝からピアノに向かう手がかじかみ、起床後に身体の内側から温める必要性を痛感するようになりました。
今週に入り、水仙の花が見頃を迎えています。
いつ見ても、巣で親鳥が餌を運んでくるのを待つ雛が口を開けている様子が連想されます。
極寒の中に咲く花からは、生命力を感じると共に、競い合いながら何らかの試練に耐えているかのような印象を受ける事が多いです。
そのような中、街中に雪だるまのオブジェを目にし、本日の気温とこの材質が表現する雪の感覚とが見事にイメージとして一致しており、思わず見入ってしまいました。
些細な装飾に季節感が溢れ、触覚で感じ取る肌を突き刺すほどに痛い冷たい風が、視覚にも反映されているので、細部に拘って製作してくださった事に感謝しております。
明日1月20日は大寒と云う事で、大寒を題材とした有名な俳句を思い出しました。
「大寒の 入日野の池を 見失ふ」 水原秋桜子
『古鏡』より
水原秋桜子と言えば、「馬酔木」を主宰した事で広く知られています。
俳誌の「馬酔木」は「あしび」と読みますが、植物の「馬酔木」は、「あせび」と読みます。
「馬酔木(あせび)」は有毒成分を含んでいるがゆえ、「悪せ実(あせみ)」と呼ばれ、そこから「あせび」と呼ぶようになったと云う言い伝えと、読んで字の如く馬が実を食べた時に酔ったような様子で脚が萎えていくさまから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、変化を重ね、「あしび」と呼ばれ、次第に「あせび」と呼ばれるようになったと云う言い伝えとがあります。
引用した水原秋桜子の俳句についてですが、季語は「大寒」。
意味は「真っ赤な夕陽の刻、光っていた野の池の所在を見失ってしまった。広々とした野路の彼方に見えた水の光か。」と云うものです。
水原秋桜子は東京都の出身で、この句が詠まれた約100年前は大寒の日と云えど東京に雪が積もり池が凍ると云う事は恐らくないだろうと推測されます。
滅多に雪をお目にかかる事の無い私は、夕陽に照らされた極寒の中の池は、水面が寒々しくもやや輝いている事を想像できます。
俳人や歌人は、同じ日本国内であっても、雪国に住んでいた方が詠んだ作品とそうでないものとで冬の捉え方や表現が全く異なり、小学校や中学校で学ぶ作品は、雪国が舞台となるものが多く、私が義務教育時代にあまり冬の風物詩を詠んだ作品に共感を覚える事ができなかったのは、雪国の様子を体感した事が無かったからなのかもしれません。
知識として、雪は触れると冷たく積もると歩きにくくなり、時には滑りやすくなる事や、首都圏と東北地方、九州地方とで経度の関係により日の入りの時刻が異なり、「暗くなったら帰る」と云う時に指すおおよその時刻が国内のどこの話なのかで異なる事などは以前から考慮するようには努めていました。
しかし、やはり実体験に勝るものはないと常々痛感しています。
釧路を旅行で訪れた際、11月上旬であるにもかかわらず、午後4時半には暗くなっていた経験から、日の入りが早いと云う事が生活にどのような影響を及ぼすか、僅かながら感じ取る部分が有りました。
一つ例を挙げると、北国では駅周辺のお店が閉まるのが早い事と日の入りが早い事との相関関係が、現地に赴いて実感できた気がします。
現在、大人になってからは、自由意思で旅行に出掛けたり、様々な地域の出身の人たちの話を直接聴いたり、インターネットを通じてリアルタイムで投稿してくださる方の写真を閲覧したりできるようになり、想像力が遥かに豊かになり、過去の経験と照合して状況把握が比較的容易になった気がします。
各地の状況をご報告してくださっている皆様、ありがとうございます。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・シューマン 幻想小曲集Op.12 飛翔 へ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
本日は、以前から「スケール、スケール」と記載していた通り、スケールを全調練習しました。
現状、変ロ短調に非常に弾き辛さを感じます。
上行の、右2(黒鍵)→右3(白鍵)→右4(黒鍵)→(指くぐり)→右1(白鍵)と云う流れが弾き辛さを形成しているので、
・右4(黒鍵)→(指くぐり)→右1(白鍵)の往復を何度かゆっくり練習する
この方法で少し様子を見てみようと思います。
スケールと言えば、再開後に初めて数ヶ月間習いに行ったピアノの先生が、レッスンの初めにランダムで4オクターブ×2往復を見てくださったのが印象的です。
レッスンの始まりの時、中学時代は毎回ハノンの任意の番号の1曲と、スケールをランダムで長調と短調(旋律的・和声的共に)を見てくださっていたので、基礎練習を見て頂けるのは当たり前だと認識していたのですが、大人になってそうでもない事に気付き、当時の先生方には非常に感謝しております。
今思い返せば、再開後に習っていた先生は、私が"As dur","cis moll"などと指示されてすぐに調性を日本語訳できない事にお気付きになったのか、「毎回ランダムにスケールの長調と短調をレッスンの初めにやりましょうか」と提案してくださり、このお陰で調性のドイツ名を覚える事ができたことに加え、私のスケールの弱点をすぐさま指摘してくださったので、非常に有難かったです。
ピアノのレッスンも、人との関係性も、相手が何を求めているのか、何をしたら相手の困り事の解決に繋がりそうなのか、どのような言葉を選んで発したら相手に自分の意思を正確にお伝えする事ができるか、過去の実体験と想像力とを上手く融合させて総合的に判断する事が肝要なのだと思います。