クリスマス時期から年末にかけ、雪が舞う日もあり、一時期は寒さ起因の体調不良から更新を控えざるを得ませんでしたが、無事2022年最終日を迎えることができました。
今年の雪は、幻想的に舞うと云うよりも、上白糖の塊が直撃してくると云う状況に近いように思えました。
一時期、端末機不調によりAmebaにログインできない日が続いた事も有りましたが、記事を更新していない日であっても、今年「も」毎日ピアノの練習に取り組むと云う日々を送りました。
そこで、何故毎日ピアノの練習に取り組んでいるのか、理由を考えたところ、私の場合は、楽曲を弾けるようになりたいから・ピアノの技術的な面を向上させたいから・どこかで演奏したいからと云ったものではなく、自分自身への信用問題に関わる事だと云う事が明らかになりました。
何か自分自身に義務を課している訳では無いのですが、今年一年間(ピアノを再開して約2年11ヶ月間)ピアノの練習に取り組んだ結果、導き出した事は、何かを信じられると云う感覚は、自分自身に嘘偽りが無いからではないかと私は考えています。
よく、猜疑心が膨れ上がった者が、交際相手に内緒で携帯電話の中身を盗み見て何かを突き止めたり安心したりしたいと云う心情を耳にしますが、この類の事を私は今まで一度も実行に移したことがないどころか全く脳裏に過った事すら有りません。
この理由について考えてみたのですが、自分が直接目にしていない所で何が起こっているのか、何が起こっていないのか、確実に信じる事ができる理由の一つに、自分自身に嘘偽りが無いからと云う事が挙げられ、これが長じて自分自身への自信に繋がるのではないかと云うのが現時点での私の見解です。
本年末、某音楽教室を退会して参りました。
発表会の件などを巡り、様々な事が有りましたが、確実に判った事は、私には、第三者に練習成果を確認していただかなくても自分なりのやり方で練習を続ける習慣が身についていたと云う事です。
「先生の前で弾くから」、「誰かに褒められたいから」、「発表会で恥をかきたくないから」、etc.このような想いが先行していたのだとしたら、発表会に出ない事が判明した時点でとうに練習を止めているはずです。
これは、裏を返せば、第三者からの賞賛や軽蔑が私のピアノへの取り組みに左右されないと云う事とほぼ同義で、私がピアノの練習をする際の起爆剤となるものは、私自身の中に有る意識のみだと云う事です。
本件に付随する記事について、コメント欄などで温かいお言葉をくださった方々へ改めてお礼を申し上げます。
そもそも、ピアノを練習しているにもかかわらず、発表する機会を持たないと云う事自体、矛盾している趣味なのではないかと考え、2023年は何か機会が有ればストリートピアノ以外の発表の場に出る事も検討しています。
今年は初めてストリートピアノに参加し、一期一会の関係ではあったものの、僅かに言葉を交わす事ができた方もいらっしゃり、想いの方向性は違えど、ピアノに愛着を持っている方が多いのだと実感しました。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調
・ショパン ノクターン第9番 Op.32-1 ロ長調
・シューマン 幻想小曲集Op.12 飛翔 へ短調
そんな本日、ショパン ノクターン第9番の第1小節の音色に拘り続け、結局ノクターン第9番の通し練習は1度のみおこなうことになりました。
今年発表会で演奏するはずであったショパン ノクターン第5番 Op.15-2については、独学のまま或るTV局のカメラが回っている前で通して演奏してしまったと云う度胸が有るのか無いのか判らない体験もしました。
練習方法も改善点も全て自分で考え、指導する者も居ない状態、これが私の「真に向いている趣味への取り組み方」なのだと捉えています。