口当たりまろやかで品のある果物ラ・フランスが市場に出回っています。
私の好きな果物のうちの一つなので、見つけ次第購入する習慣がつきました。
1つのラ・フランスの4分の1程度の分量の皮を剥いて、生でいただくのが最近の私のお気に入りです。
非常にシンプルで、それでいてラ・フランス独特の素材の味を堪能できます。
剥いた果皮と真ん中の果しんは廃棄するのですが、可食部が80%以上の重量を占めるため、生ごみの嵩も重量もさして負担にならないのが嬉しいところです。
このラ・フランスは、通常一般人が目にする市場に出回っている形は上記添付画像のように既に収穫されていますが、栽培されている果樹園では、葉の生い茂った木になっています。
私たちが通常口にするラ・フランスは、ラ・フランスと云う植物全体のごく一部に過ぎない事が判ります。
私が今年の春先から練習を始めたショパン ノクターン第5番 Op.15-2についても、ショパンと云う一人の作曲家が生み出した作品のうちのごく一部で、この一曲を自己流に練習し、解釈したつもりになっていたのではないかと今では自分を省みる事が多いです。
また、昨日から言及しているシューマンの幻想小曲集Op.12 「飛翔」についても、幻想小曲集Op.12は8曲から構成されており、「飛翔」ただ1曲だけを聴いてシューマンを知ったつもりになったり、幻想小曲集Op.12について解ったつもりになったりするのは傲慢と云うよりも寧ろシューマンに失礼に値するでしょう。
そうは言っても、やはり自分が惹かれた作品のうちの一部の音を自己流とはいえ出す事ができるようになると歓びに浸る事ができるのが本音です。
昨今、タイムパフォーマンスの観点から、映画や舞台作品、小説などの一部を抜粋して報道されたり掲載されたりする事が多いですが、要約や抜粋が蔓延る事に因り、その作品に興味を持った人が原作を全て鑑賞・読書すると云う事も有るので、作品紹介として機能し、大勢の方々に存在を認知していただく事が目的であれば、この報道や掲載の方法は成功したと言えるでしょう。
しかし、作者以外の第三者による要約や、断片的な部位を世に広める事により、作者の製作意図が誤解されてしまったり、派手なパフォーマンスではないものの非常に重要な部分を見落としてしまう恐れが生じると私は考えています。
つまみ食いは労力を要さずして重要ポイントをもぎ取っていった気になるのかもしれませんが、その代償として、上辺だけの認識しかできないと云うデメリットも生じます。
これは、対象が表現者に限らず、一般人についても該当するのではないでしょうか。
例えば、私自身のブログ記事のうち、1投稿のみを読んでくださった方が、私と云う人物を認識する際、私本人を誤解してしまう確率が非常に高いと考えられます。
現時点に於いて、既に600投稿以上ございますので、最初から最後まで通して読むには非常に時間を要しますが、何か私の意図を知る目的でご覧になる場合、投稿日時順に飛ばさずにご覧になる事をお勧め致します。
ピアノのレッスン曲を練習していき、1曲を先生の前で演奏するのではなく、2小節程度途中を抜粋して先生の前で弾くだけで、私のピアノに関する技量がお解りになる先生なのかもしれませんが、このブログの存在を某会社にお伝えしたところ、まさに読み方にレッスン形式が顕著に表れていますね。
私のバックグランドをご存知になる目的でタイトルで閲覧の要不要の判別が付くとお考えであれば、それは大きな誤りですので、寧ろ、全くご覧にならない事をお勧めします。
アメブロの中にいらっしゃる大人のピアノ再開者の方が、昨年、「『超絶技巧』とタイトルに書かないと見て貰えないと思っているのか。何でも構わないから人目を惹き、見て貰おうとして『超絶技巧』と記す人が多過ぎる」との旨、記載していらっしゃいましたが、言い得て妙です。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1~15番
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
本日は、シューマンの幻想小曲集Op.12 「飛翔」について、敢えて全く楽曲分析をせず、音高と音価を合わせる指の運動をしてみました。
邪道かもしれませんが、この曲をメトロノーム四分音符=168に合わせて全ての音を拾う事を繰り返す事により、インテンポで「打鍵」ができるようになるのです。
メトロノームは止めずにずっと鳴らしたまま、拾えなかった音についてはいつまでも付き纏うことなく次へ進む、この作業を繰り返すことにより、数日間で音楽的な事を無視した動作が一旦は身につきます。
音楽的な事はその後身につけると云う方法で学ぶのも一つの習得の手段だと私は新たな発想を生み出しています。
いずれにせよ、私には向いていなかったピアノなので、好きなように試行錯誤して練習法を模索していくつもりです。
ショパン ノクターン第5番については、私が判断したペダリングや運指について、第56小節や第57小節など、数日間にわたり考案した最適演奏方法を先生の前で披露する事は一度も有りませんでした。
左高速アルペジオ+左で右のFis音に受け渡すと同時に、una cordaを使用するのが私のやり方だったのですが、レッスンに通っていたにもかかわらず、一度として先生の前で披露する機会がなかったのは、私は独学ができると判断されていたからなのかもしれません。
現在、再び独学を続けております。
譜面上の音符や記号の中で、一つとして不要な記載は無いはずなのですが、昨日、シューマンの幻想小曲集Op.12 「飛翔」については、主旋律を担う音のみを拾って通して最後まで弾くと云う暴挙に出ました。
主旋律のつまみ食いは、何となく弾けた気分になるので心地良いですが、運指を考える事も楽曲分析をする事も無く、90年代後半に流行した何らかの鍵盤タッチゲームに参加しているだけのような虚しい感情にも襲われます。
さすがに、この曲の主旋律を担う箇所がどこなのか判らない事はないはずなので、練習法は無限に有るのだと今更ながらに実感しています。