日中、気温は高いものの、陽射しがやや柔らかな雰囲気になり、秋の訪れを感じ取りました。

 百貨店のディスプレイの中には、ハロウィンを意識した装飾の傍ら、ファーなどの晩秋に纏う衣類が見られ、人工的な展示物の中にも季節を感じ取る事ができる都市の心地良さを感じています。

 

 公道の至る所にコスモスが咲き乱れ、見頃を迎えていました。

 

 

 様々な色調を呈した中、ピンク色は秋桜という概念を代表するように感じます。

 秋桜は、一輪一輪が同種の形状を成している一方、咲く方向性がそれぞれ異なる事から、秋の実りの行く末はそれぞれだと云う事を暗示しているようにも捉えられます。 

 

 

 本日、帰りに60分間レンタルスタジオへ行って参りました。

 

 今年8月第1週より、最低でも週1回はグランドピアノに触れ、普段と異なる鍵盤やペダルの感覚を味わう事にしています。

 レンタルスタジオに居られる時間は限られているからこそ、練習を効率化するよう心がけ、最近になってその要領を得てきた気がしてなりません。

 グランドピアノでバッハのインヴェンションを数曲練習してみると、第15番のトリルが自宅で練習するより驚くほど滑らかに美しく入り、恍惚のひとときを堪能できました。

 

 そこで、渾身のショパンのノクターン第5番を1回通してみて感じたのですが、とに或る共通点が有る気がしてならないのです。

 この両者の違いは、科学的には理論で説明がつくのですが、感覚として、が常温でコップに入っている状態で零れ落ちるのと、高音で水蒸気となって大気中に拡散していく様子との違いのように、狭い部屋の中で発していると吹き抜けのある場所で発しているそれとで響きが異なり、状況によって「かたち」が異なるのように感じるのです。

 

 が自由自在に形を変えて同じところに留まらないけれど人間の或る行為により或る程度は形や温度を意図的に変えることができるように、私は、を自由自在に操る事を望んでいるのかもしれません。

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第11番 ト短調

 ・バッハ インベンション第10番 ト長調

 ・バッハ インベンション第5番 変ホ長調

 ・バッハ インベンション第14番 変ロ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第15番 ロ短調

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・ショパン ワルツ第7番 Op.64-2 嬰ハ短調

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 私はレッスンの有無に関わらず様々な曲に着手しており、現在正式に先生から指導を受けているのはショパン ノクターン第5番 Op.15-2です。

 1年間以上同じ先生について習っていると、私の性格や嗜好が或る程度把握されているのか、8月某日のレッスンでは、

 「貴女、身体は細くてか弱そうな感じだけど、相当気が強いでしょう」

 と言われました。

 

 気が強いと云うのがどのような状態を指すのか、曖昧模糊としているので、何とも言い難いですが、雑談中に事実と異なる事を言われると「無言」を貫き通し、決して微笑みながら「そうですね」などと発することが無い行為を1年間続けてきたがゆえでしょうか。

 ピアノ再開後に初めて習っていた前の先生とは、雑談中に事実と異なる事を言われると、私から訂正する事がしばしば有り、その発言からほぼ毎回言い合いになり、衝突を続けていたため、コミュニケーションが成立しなくなり、通うのを辞める決断に至りました。

 

 事実と異なる事とは、

 先生「うちの娘は今大学生で、コロナでオンライン授業になっているから、キャンパスまで行かなくていい分、毎回講義には出席する事になってるの。貴女は大学って行かなくても単位取れたでしょう?」

 

 先生「私の大学は前期・後期それぞれ15回講義(実技指導)があって、その中で13回出ないと単位は認められなかったの。貴女は座学に出席しなくても単位は取れるから、学校に行きたくなかった時には行かなかったでしょう?」

 と云うような発言です。

 

 このような発言に対し、前の先生相手には、

 「想像だけで勝手に物事を決め付けないでくださいね。行きたくない時には行かない等と云うのはあなたの周りの一般学部の人達がそうだったからではないですか?あなたの周りと私は違いますし、私は行きたくないから行かない、などと云う心持では進学していません」

 などと毅然と諫めていたのですが(薬学部実務実習では、学生が指導薬剤師にこのような発言をするのは普通です。これは「喧嘩」でも「反抗」でもなく、「普通」なのです。寧ろここで愛想笑いをしながら「そうですねえ」などと言う方が問題です…そう記載しておきながら、私自身が実習生の頃は何も揉め事なく実習期間を終えました。それは私が従順だったからではなく、「訂正」する話題が一つもなかったからです。今考えれば、当時の現役薬剤師は世代を超えて同じような価値観の人達ばかりが集まっていたがゆえ、衝突する要素が無かったのかもしれません。あの独特の価値観を持たない人は学校に馴染めず早期退学するか、就職してもすぐに退職していたのかもしれません)今の先生相手には何を言われても訂正はせず、「無言」を貫き通しています

 

 一般社会であれば、愛嬌良く、上の人の言う事が間違っていても「あ、は、はい…」などと返答するのが人間関係を円滑に進めるのに必要な行為なのかもしれませんが、レッスン中に発せられた事実と異なる事に対し、嘘の返答をする事は、相手に誤認させる不誠実行為だと私は認識しています

 

 前回の先生と同様のトラブルを起こしさず、衝突しない為に、今回は「無言」を貫き通すと云う方法で以て諫める事にしています。

 1回相当揉めて辞めた経験から学習し、こちらからの訂正は一切しないと云う方針に切り替えました

 

 事実と異なる事を言われた時、諭すように婉曲的に長々と優しく発言する方法は採らない方針です。

 

 ただ、最近になって思うのですが、前の先生とは喧嘩するほど仲が良かったのかもしれません。

 或る意味心を許せたから衝突する事ができたのです。

 

 私が大人になって教わった先生だけなのかもしれませんが、ピアノの先生はご自身の子どもの話義実家の話が非常に多く、家庭の話を著しく厭わしく思っている私にとって、耐え難い事が多いです。

 以前であれば、

 「私、その話聴きたくないです。家庭の愚痴は止めてください」

 とレッスン中に即座に発言していました。

 

 先生に対して、家庭の問題は私に話すのではなく、大手小町やSNSに書き込んで誰かに聴いて貰うよう誘導した事も有ります。

 そしたら「そういうサイトは疎いからよく知らない」と返答されました。

 

 

 今後も全て、無用なトラブルを避けるため、「無言」を貫く方針です。

 対応方針を変えただけで、事実と異なる事に愛想笑いで肯定的な反応をしない事や、家庭の話が大嫌いで聴くだけで気分が悪くなると云う私の本質は未だに変わりません。

 

 大人のピアノのレッスンで一番難しいのは、先生のご家庭の話に対してどう反応するかと云うコミュニケーションの方向性決断力実行力であり、私はこの点に於いて最初から躓いていました。

 大手音楽教室を選んだ一番の理由が、匿名性を保ったままレッスンを受けられるからで、対個人としてプライベートな事は何一つとして話していません

 今でも私の職業や婚姻に関する事すら一切お話していないほどです。

 ピアノや音楽に関わる事以外の話をすると揉める事が明白なので、沈黙は金と云うスタイルを今後も貫いていきます。