アメブロの皆様の記事を拝読して、今の私の生活習慣が形成された経緯について思い当たる事が幾つか有ります。
私は、社会人にしては趣味に費やす時間が長く、今ではピアノとバレエ、以前は写真撮影を長きにわたって続けてきました。
定期的に取り組む趣味を持つ、この生活習慣は、私の両親にも私の幼少期から根付いていたのです。
父は或るスポーツを定期的に行っており、母は結婚後に完全なる未経験者から始めた書道とスイミングに通っていました。
同居していながら、それぞれ別の趣味を持ち、仕事や家庭、育児などの柵、利害関係から一切離れた集団に属した時間を定期的に持つ、この生活様式の中で私は育ったので、今の私が比較的投じる時間が長い趣味を持ちながら生きているのも必然だと言えます。
そして、両親共に趣味を2~3年程度で変える事はなく、10年以上続けていた趣味が幾つか有ります。
考えてみれば、私自身、バレエに関しては完全なる未経験者で、10年以上続けています。
育った家庭の影響と云うのは意外にも大きいもので、一人暮らしをしても必ず朝食を摂る事や、社会人であれば休日に仕事に関する専門分野の勉強を黙ってする事など、社会人としての父親の自宅での過ごし方を見て知らず知らずのうちに「当たり前の事」だと云う概念が形成された気がします。
考えてみれば、用件があって20時を過ぎて電話をかける際、「夜分遅く恐れ入ります」など、用件をお伝えする前に一言添える習慣も小学生の頃には身体に染み付いていました。
この習慣も両親が固定電話から電話をかける時の姿を見て自然に身についたのではないかと思います。
育児をしながら両親が趣味を持つ事については様々な価値観があると思いますが、子どもの功績に依存せず、自分の成果を残し、それまでの過程を存分に楽しむ事について、私は推奨します。
親が「子どものため」ではなく、「自分のため」の時間を持つ事は、子どもから見ても安心できますし、大人になっても上達する事があるのだと云う良い見本にもなると思います。
子どもの成績表をネットに掲載したり、子どもの習い事や部活の実績を近所の保護者達に吹聴して周囲の反応に一喜一憂するよりは、親自身が自分名義の充実した時間を過ごす事の方が、長期スパンで見れば「子どものため」になるのではないかと元・子どもの私は考えています。
子どもが中学生にもなって、親が定期試験の時間割をチェックしたり試験範囲を確認したりする必要はありません。
親は親で自分の事に打ち込むのが「子どものため」だと私は思います。
【昨日(8/26)のピアノの練習について】
※昨夜は記事投稿前に就寝してしまったので、今朝投稿しています。
・ハノン 20番、26番
・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第5番 変ホ長調
・バッハ インベンション第11番 ト短調
・バッハ インベンション第15番 ロ短調
・バッハ インベンション第14番 変ロ長調
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-5(黒鍵) 変ト長調(前半のみ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン スケルツォ第1番 ロ短調(一部のみ)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
長らく恋焦がれていたショパン スケルツォ第1番の音取を再開しました。
第305小節から始まる右手の跳躍部分について、2年前はとても無理と言う状況でしたが、今なら練習すれば音を取るだけであればインテンポでも可能なのではないかと希望の光が差し込んできています。
左手はバスのみ弾いて右手は全て弾く、ダンパーペダルのみ使うと云うやり方で鍵盤を外さないようにしています。
ショパン ノクターン第5番 Op.15-2の中間部については、レンタルスタジオで本格的に練習する方針に切り替えたので、確実に暗譜できている状態を維持できるよう、左手のみ通す練習を最低3回は行い、その後両手で通しています。
着手する曲数が多いと、1曲に向き合う事が難しくなるのですが、他の曲に出現する音形から新たな発見もあり、1曲にのみ固執せず、他の曲にも少しだけ着手すると云うのが私の今の方針です。
この方針にも、様々なコミュニティに属しながら生活すると云う両親の生活様式が受け継がれているのかもしれません。