ピアノを再開し、もうすぐ2年7ヶ月が経過しようとしています。

 

 

 2020年1月に長いブランクを経て再開した直後、同年8月のこの時期に、再開当時は到底手が届かないと思えたショパン エチュードOp.10-4について、「このまま練習を続ければ形になるかもしれない」と思い、毎日朝練を始める事にしました。

 

 その時期以降、特に自制心を要する事無く、練習時間の累計上達具合とが正の相関にある時期が暫く続きました。

 現在も朝練を続け、別の観点からピアノの練習に取り組んでいるのですが、現時点に於いても、朝練を始めた当初に於いても、ピアノの練習を続ける事よりも諦める事の方が遥かに難しかったのではないかと思う事が多いです。

 

 特に試験を受ける訳でも、コンクールに出場する訳でもなく、仕事に於いて役立つ訳でもないピアノについて、何故毎日起床するだけで寒い日にも朝練を続けていたのか。

 履歴書に箔が付くわけでもなく、副業にするわけでもない、誰かに褒められる訳でもない、何ら目に見える打算の無い状態で毎日毎日練習を続けていました。

 

 考えてみたところ、今更ピアノの練習を辞めて楽曲の完成を諦める事の方が私にとって難しかったのです。

 

 

 数ヶ月前、アメブロの中で読ませて頂いた記事の中に、

 「法科大学院を修了した後、二度新司法試験に落ちた場合、年齢を重ねて就職が不利になろうと、受験回数三回制限の新司法試験の三回目の受験を諦める事の方が難しい。三回目で不合格になっても、『二打席目』に入る人も多く、その人たちは勉強を続ける事よりも法曹への道を諦める事の方が難しいのだろう」

 との旨の記載があったのを思い出しました。

 

 将来の職業制限が関与する事項と比較するのは失礼かもしれませんが、何か手応えが有った時、続ける事よりも諦める事の方が難しいのは、打ち込む対象が違えど共通の心理なのかもしれません。

 

 そして、私がピアノの練習に取り組んでいて思うのですが、「試験」や「他者との比較」が無いからこそ雑念が入らず自分のペースで集中して練習する事ができ、そもそも「試験」や「他者との比較」で勝利を得る事を目的とした練習には全く意味を見出す事ができないのです。

 

 

 何かに取り組む動機は人それぞれだと思いますが、これまでを振り返ってみても、あらゆる分野に於いて、合格証のような肩書を得た時の喜びは直ぐに消えてもやり切った達成感やその過程で得たものは一生残るので、諦める事の方が難しいと感じ取っている奥底にはこの思考が潜んでいるのかもしれません。

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第5番 変ホ長調

 ・バッハ インベンション第11番 ト短調

 ・バッハ インベンション第15番 ロ短調

 ・バッハ インベンション第14番 変ロ長調

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-5(黒鍵)

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 2年前に毎日練習していたショパン エチュードOp.10-4ですが、別の楽曲を追加して練習すると、2021年1~3月をピークに日々腕前が衰えていっている気がします。

 

 

 信じられない事に、今では第41小節から両手の粒が揃っていないと云う惨状なので、本日からOp.10-4強化月間を開始しようと思います。

 一度達成した完成度が下がっていく事を看過する事はもっと難しいのです。