最近、風に煽られながら外を歩いていることが多いです。

 風にせよ雨にせよ、10年前と比較して、明らかに規模が大きくなっている気がします。

 

 

 「義務的な行為を楽しいと思える才能がない」この自分の性質に早々と気付いて、したくない事からは全て自衛する方法を選んできました。

 何か明確に報酬が得られるか、何も見返りがなくても心から楽しめるか、このどちらかの事しかしない、中学生の頃からそう公言してきました。

 

 「関わっているうちに自然と楽しくなる」「嫌な事の中にも楽しみを見付けられる」、これらの言葉は、私には全く当て嵌まりません。

 嫌なものは関われば関わるほど嫌になるだけです。

 

 そのような私が何故今ピアノの練習に毎日取り組んでいるのか、考えれば考えるほど不思議です。

 明日死んでも後悔しない生き方をしよう、私は20代前半から常にそう考えて生きてきました。

 

 

 「今は仕事が辛すぎる。定年退職後、自分の時間がゆっくり取れたら、釣りをしてのんびり生きたいそれまでの我慢だ」

 「子育てで毎日毎日自分のやりたい事が全く出来ない。子ども達が巣立ったら、自分の趣味をゆっくり楽しみたい。老後は自分のご褒美の時間だと思って今を耐える

 

 団塊世代が40~50代の頃、このような言葉をよく耳にしてきました。

 そして、上記の発言主たちは、非常に不憫ながら、定年前・子ども達が巣立つ前に病気で命を落としています

 私が10代後半から20代前半にかけて、このようなケースに多々遭遇してきました。

 

 特に、「定年退職後の楽しい人生」を夢見て嫌な仕事に耐え、毎日毎日「仕事が辛い」「あと〇年の我慢だ」、と言いながら、定年退職直前の58~59歳で急逝された方が大勢いらっしゃいます。

 

 結局、「何のために耐えていたのか」解らない人生を送ってきた方々を大勢見てきました。

 

 「楽しみを先延ばしにしては寿命が縮まるのではないか」

 「人は、嫌な事から解放されるリミットを感じたら、気が緩んで身体のどこかに支障をきたすのではないか」

 「元々『我慢』が口癖の人は、『我慢』する事が生き甲斐で、『我慢』する必要がなくなったら、天寿を全うするように何らかのメカニズムが働いているのではないか」

 

 そう思わざるを得ない人生に多く出逢ってきました。

 

 直接の知人の方々であるため、具体例を挙げるのが憚られますが、「今を我慢すれば後で楽しめる時間を取れる」、これが口癖の人ほど、「後で」の時間を迎えることなく人生を終えています。

 

 このような方々のお通夜に出席する度に、「後で」と云う言葉がどれほど当てにならないか自分の楽しみを先延ばしにして他人のための「したくない事」に耐え忍ぶ事の意義について考えてきました。

 

 

 「子どもの〇〇姿を見るまでは、私が元気に生きていてサポートしてあげないと…」そう毎日毎日言っていた母親が、現実に生きる事ができたのが「子どもの〇〇姿を見るまでである事が非常に多いです。

 

 

 自分の時間を最優先にしなければ、自分の命がなくなるのではないか。

 

 これまで生きてきて、そう思った出来事が多いので、私は自分のために130歳まで生きようと思います。

 

 「『後の楽しみ』、そのようなものは、初めから無い」と心得ていた方が賢明です。

 

 

 先日、歯医者で「自分の歯をあと少なくとも40年は使わないといけないから…」と言われた時、私は、「いえいえ、あと40年では全く足りません。私は130歳まで生きると決めました。それまで自分の歯を使います」と返答したら、歯科医師から苦笑されましたが、このくらい言っておかなければ、私の歯が使えなくなってしまいます。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)

   ・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第5番 変ホ長調

 ・バッハ インベンション第15番 ロ短調

 ・バッハ インベンション第10番 ト長調

 ・バッハ インベンション第11番 ト短調

   ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・ショパン ノクターン第1番 Op.9-1 変ロ短調

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 私がピアノの練習に毎日取り組んでいる一つの理由は、終わりが無い事です。

 学校に通っている訳でも仕事に行っている訳でもないので、「1年生」、「2年生」、…このカウントから逃れられる訳です。

 このカウントから逃れるメリットは、「あと1年」、「あと3ヶ月」、などと、残りの期間の過ごし方を考えなくてもよい事です。

 したがって、ラストスパートのような勢いは出す事ができませんが、その反面、力尽きる事がないのではないかと思います。

 

 「○番まで進んだ」、「○級が取れた」このような、農作物の穫れ高を表わすような言葉が飛び交うと、子どもの場合は成長過程にあるので別ですが、大人の場合は寿命を縮める原因となる気がしてならないのです。

 

 ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調中間部克服は私が生きている限り続くのかもしれません。

 「一度克服出来たら終わり」、ゲームの攻略と異なり、ピアノにはこの概念が無いからこそ頑張れるのかもしれません。

 

 定年退職子どもの受験など、一度何かを達成したら終わりを迎える事や、他力本願で達成する事心の支えにしていると、自分の寿命は本当に「達成されたら終わり」になってしまいます。