身体の芯まで冷え込む天候の中、逞しくも優雅に生息する葉牡丹を見かけました。

 

 

 葉牡丹は、冬のガーデニングに適した植物で、「祝福」「利益」などの縁起の良い言葉花言葉に挙げられる事から、お正月の飾りとしても広く用いられています。

 

 開花後長持ちする上、比較的お手入れが容易であるため、植物園などではなく、公の広場を彩る意味合いで植えられているのをよく見かけます。

 

 

 ムラサキキャベツと見紛うかのような色合いです。

 今回添付した画像は全て公の広場の様子です。

 

 

 私は、以前から庭園を散策するのが好きで、季節の植物を観賞しに頻繁に足を運んでいました。

 造花でもモチーフでもなく、本物の植物が生息する様子を五感で感じ取る事ができる貴重な空間で、自然の織り成す風景を客観的に観るだけでなく、空間の中に入る事により、その空間と一体化する事が出来る体感が何とも言えぬ恍惚を感じられるひとときでした。

 

 しかし、これらの庭園は、言わずもがな、人為的に作られた空間であり、何も手を加えていないありのままの自然の風景とは異なります

 道路すらほとんど舗装されていない、観光地としてあまり知られていない所に生息する季節の植物を観賞しに積極的に足を運ぼうとするのではなく、敢えて施設管理者が定期的にお手入れをして魅せるため意図的に作り出した庭園に惹かれるのです。

 

 

 私がショパンピアノ曲に惹かれ、実際に練習しているのは、上述のような庭園を散策するのが好きである感覚と根源は同一である気がしてなりません。

 特に、マズルカポロネーズのような舞踊曲ではなく、ノクターンバラードに傾倒しているのは、この嗜好性に因るものではないかと考えるようになりました。

 

 それぞれの作品の中には、魅せるために作曲家が意図した何らかの心情情景が有り、それを感覚的にであれ意図的にであれ感じ取りつつも、客体として作品を捉えるような、小説を読む時のように作品自己(主体)とを完全に分離する行為ではなく、私自身が作曲家の意図した心情情景を認識しつつも、自分自身の感じ取った無形の概念を投影しつつ、ピアノフォルテという楽器で演奏するという方法で以て、庭園を散策する時のような感覚で作品と一体化していく行為を望んでいるのではないかと思うのです。

 

 作品と一体化すると記載しましたが、過程としては、読書感想文を書く時のように、まずは作品を正しく把握し、自分自身の解釈はその後に述べる手順に近いです。

 

 

 先日から、譜面を読む行為演奏を聴く行為について、率直な感想として視覚化された自然現象が浮かび上がるのですが、この件について、後日記載予定です。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

  ・ハノン 1,5,6,20番

 ・バッハ インベンション第1番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第13番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第5番

 ・バッハ インベンション第15番

  ・バッハ シンフォニア第11番(暗譜済)

 ・ショパン ワルツ Op.64-2 嬰ハ短調

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-3(別れの曲) ホ長調

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他) 

 

 ショパンエチュードOp.10-3(別れの曲) ホ長調ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調の土台を固めるべく、本日はノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調左手の最初の8小節の拍の取り方だけで1時間以上費やす事になりました。

 本日は比較的ピアノの練習に時間を割く事が出来たため、丁寧に練習に取り組める環境に感謝しております。

 

 

 そこで、昨年から記載している和声学についてですが、音楽理論楽典を少し嗜み程度に把握しておくために初心者向けの簡単な書籍を購入し、読み進めていっています。

 まだ初歩の段階ですが、有機化学の勉強を地道に積み重ねていくような感覚に近く、私の和声学の習熟度合いは、有機化学で言えばまだ混成軌道すら出てきていない段階です。

 

 化合物の構造式を見て基本骨格がすぐに判るのと同様、主音や重要な音、構成を把握できるようになるまで、膨大な時間と労力を要する気がしてならないのですが、和声学を少し習得するだけで譜面の見方が変わってくるような気がしてなりません。

 

 譜面を読んでピアノの練習をする行為外国語の習得に例えられるなら、音楽理論楽典有機化学のボルハルトを上下巻とも読む行為に酷似していると今では捉えています。