バイオレットの色合いが深みを感じさせる薔薇の花です。
1964年にドイツで作出され、ブルームーンと名付けられた品種です。
ドイツで作出された薔薇の花は、どこかしら落ち着きを感じさせる色合いで、花弁が安定していた形状の傾向にある気がします。
昨日、「◆レッスンでピアノの先生に何をどこまでお伝えしてよいか」と項目を設けて記載しましたが、今回、前回から腕の物理的な使い方についてご指摘を受けたことを考え、ピアノのブランク期間中にクラシックバレエを習っていたので、上半身の使い方にバレエ独特の癖が付いてしまったのではないかと思っている事をお伝えしました。
バレエの場合、基本的に肩甲骨から動かすため、一つ一つの動作に際して肘から先よりも肩甲骨や肩、そして指先といった全体を動かし、この癖がピアノの練習に無意識のうちに反映されてしまうと、場合によっては間違った身体の使い方をしてしまう恐れが有ります。
そうは言っても、ピアノの先生がバレエについて精通していることは全く予期せず、参考程度に私自身のこれまでの経験の情報としてお伝えしておくことに留めました。
しかし、私の意に反してピアノの先生はバレエについてよくご存知でした。
数分間で機能形態学的な理論で以て理論上の解決に至りました。
あとは実践あるのみです。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第14番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
◆ショパン エチュードOp.10-12(革命)のレッスンから判ったこと
ピアノを再開して細かく速い動きを再現する為に着手した最初の曲がこの曲であったため、左手は正しく使えているのですが、右手の動きについて、再開前(特に中学時代)と比較して歪な部分が多いです。
Op.10-4では左右の動きについて要求されることが頻繁に変わる為、右手の粗が判り辛かったと云う事情も有ります。
◆ショパン バラード第1番のオクターブ奏法について
このような箇所を練習していて毎回思う事ですが、基本的な事が抜け落ちていただけなのではないかと嘆かわしいです。
今の先生は、感情論ではなく、理論的に教えてくださるので、僅かに心を開いても大丈夫なのかもしれないと思いつつあります。
全体的にピアノの先生の方々のことを警戒していた一番の理由は、理屈が通じず、レッスン中に感情をコントロールできなくなる傾向にあり、こちらが手を付けられなくなる取り乱し方をする方が非常に多かったからです。
私自身が生徒として接した「先生」だけではなく、彼女ら自身が音大生の頃から、生家の家庭崩壊、生い立ちへの不満、ご自身の築いた家庭崩壊、性的な秩序の乱れ、こういった内容を初対面のうちから打ち明けてくる、人間関係の距離感が日本人の一般常識と異なる方が非常に多く、関わっていて困惑することがしばしば有りました。
特に、年上の既婚女性の性的な秩序の乱れや誘いについては相当悩まされました。
ご自身が入試で演奏されたバッハの平均律の声部の数だけ同時に交際しても許容範囲だと認識する文化を押し付けるのはやめて頂きたいと幾度と無く思いました。
「素直さが足りない」「従順さが大事」などと謳い、性行為に誘い出す常套手段に引っかかるつもりは有りません。
以前、私自身のコメント欄にて、「演奏が上手であっても教育者として相応しいとは限らない」との趣旨の文言を記載したのは上述の方々に出逢ってきた経験からです。
技術力以前の問題として、情緒が安定していない人が指導する側に就くと、たとえそれが趣味の習い事であったとしても、人間関係に於いてトラブルを起こし、専門的な技術を教える以前の段階で破綻してしまいます。
ピアノに於いては、この傾向が非常に顕著であるように私自身は捉えています。
勿論、上述の傾向を持ち合わせている方はピアノや声楽専攻(管楽器にはこの傾向はみられません)の方々のごく一部であるのかもしれませんし、特定の世代や地域、進学先に限定されることなのかもしれません。
今まで関わった方々はその方々、今の先生は今の先生と割り切ってレッスンに臨もうと思います。