連日、「先生」と「生徒」との関係性を円滑にするにはどのようなスタンスが良いか記載しています。
本日は、「先生」が指導中言ってはいけない言葉について記載します。
添付画像は、1962年にアメリカで作出されたシカゴピースと名付けられた品種です。
ピンク色の薔薇の中でも、スカートのフリルのような花びらの様子が心ときめく咲き様です。
このシカゴピースのような初々しい生徒や部下に向けて、「先生」「上司」などの何かを指導する立場の者が放つと、高確率で信頼関係が崩壊する言葉が有ります。
結論から記すと、
「まあ、あなたは経験ないからまだ解らないと思うけどね」
この後、何のフォローも無くこの言葉だけを発して終わる事です。
そもそも、何かを教わる際、その分野の経験に乏しいのは当たり前の事で、或る程度経験が有れば教わる立場ではなく、教える立場、もしくは独学できる立場です。
特に、教わる立場の年齢が低い程、人生経験が浅く、「大人にならないと解らないと思うけどね」などと投げやりに、見下したように言われると、中学生や高校生、大学生の場合、10年単位で待たなければ解らない事なのだと解釈せざるを得ません。
10年後、「先生」「指導者」は、その生徒が解るようになったか否か、確認する保証はほぼありません。
即ち、生徒を説得する事から「逃げ」の姿勢を取っているだけなのです。
相手が小学生であれ中学生であれ、社会に出た事の無い高校生であれ、その年齢・経験に応じて理解出来るであろう範囲で物事を伝えるのが「先生」「指導者」の責務です。
これは、高校生や大学生のアルバイト先で「上司」の立場として何かを指導する時にも該当します。
よく耳にしてきたのは、
「あなたはまだ結婚してないからこういう話をしても通じないかな(やや自己陶酔気味に)」
「子どもを産んでない人には解らないと思うけどね」
このような言葉を発する時点で、指導される側は、
「それならまだ解らなくても出来なくても許されるのだ」
「結局このバイト先を辞めるまでずっと解らないままだってことだね」
と云う思考になり、指導を受ける側が「解ろう・出来るようになろうとする努力」を放棄しても指導者は咎める事は出来ません。
私自身、学生時代のアルバイト先でこのような発言をする「上司」に出逢う度、「それなら何故既婚子持ちを採用しないのか」と疑問に思い、会社の体制が杜撰だと感じていました。
NG例ばかり挙げましたが、私が経験した「指導」の中で非常に優れていると感じた「先生」から、「経験が無い人へどう伝えたら指導を受ける側が指導者を信頼するのか」記します。
「貴女はまだ出産も育児も経験した事が無いから解らない事が多いと思う。でも、経験した事が無いから解らないと諦めるのではなく、相手がどのような状況なのか、想像しなさい。頭を使って考える事で足りない部分を補いなさい」
これは、大学時代、調剤薬局へ実務実習へ行った時の指導薬剤師の先生のお言葉です。
さすが伝統校出身の年配の先生だと感嘆しました。
どのように考えるか、細かい部分のレクチャーについては記載を控えますが、ベースとしてこの指導法は非常に良いと思います。
この時、人生で初めて「まだ人生経験がないからあなたには解らない」と、指導を放棄する「先生と云う名の単なる威張っているだけの存在」が吐き続けてきた、単に他人の生い立ちを否定するだけの言葉以外の「指導」を受けた気がします。
保育士や小児科勤務の医療従事者は、学生時代はほとんどが結婚・出産経験など無いのですから、実習生や新入社員相手に、「経験が無いから子どもを持つ親の気持ちなど解らないだろう」と云う指導は通用しないのです。
ましてや、医療従事者の場合、自分が全ての疾患の経験をして日本薬局方収載の全ての医薬品を自ら治療用途として服薬するなど理論的に不可能です。
自らに経験が無い場合、comprehensionの域で「解る」のは不可能です。
しかし、指導者の導き方次第で、指導を受ける側の心構え、着眼点などが全く異なってくると思います。
友人同士の会話ならともかく、職業として何かを指導する立場にある人は、社会人経験の有無や婚姻・出産経験の有無、出身地など、指導を受ける立場の者が近い将来容易く変えられるものではない属性に関し、否定的な言葉を発すべきではないと私は考えます。
指導する相手がその事柄について経験が無いのならば、指導法を変え、「あなたには経験が無いからまだ解らないと思うけどね」と云う言葉だけで終わらせるのは指導放棄です。
また、「経験」の項目が出産の場合、男性や不妊症の女性の人格を否定しているのと同義です。
私は、日常会話に於いても、「出産経験がない人には解らないと思うけど」と云う言葉で曖昧に濁す人は、男性や不妊症の女性の人格を否定していると見做しています。
「先生」と呼ばれる立場であれば、まずは人格否定するのをやめましょう。
仕事中に人格否定する人は指導者失格です。
自分の属する業界に好印象を持ってもらえるようにする為にも、人格否定は控えるべきです。
「どうせあなたには解らないと思うけど」などと云う言葉も、自分自身の指導力不足を露呈しているだけです。
少なくとも、自分の意思で何かを教わりに来ている人や、義務教育であっても登校して着席している人には、少しでも理解を深めてもらえるよう教え方を工夫すべきではないかと思います。
投げやりな態度や悪意は、子どもであっても指導を受ける側に伝わるものです。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から10曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
バッハのシンフォニアの練習の前に、インベンション第2番と第13番に取り組みました。
本日は酷暑で、ショパンエチュードOp.10-4の練習中、汗が噴き出てきました。
私がピアノのレッスンを受けるにあたって、某大手楽器店を敢えて選んだのには理由が有ります。
「これ以上人格否定されたくない」
この要素が強いです。
ピアノの技術以前に、生活スタイルを否定されたり、先生の私生活の愚痴を長々と聞かされたりするのは避けたいのです。
ご自身の結婚生活が上手くいっていないからといって、生徒に愚痴を吐くのは筋違いだと思います。
某大手楽器店の場合、何かトラブルが発生したら本社にクレームを入れられるのが一番のメリットです。
ここまで疑わなけれはならない程、昨年教わっていたピアノの先生から、私生活や生い立ちについて理不尽な中傷をされてきたので、ピアノを教わる以前の問題が多々有るのです。
建前上、スケジュール面の問題と記載しましたが、実は、スケジュール面以外の理由が沢山有りました。
他人の恋愛・結婚の愚痴を聴きたくない、ただこれだけの為に某大手楽器店を選んだようなものです。
前回いただいたコメントの内容(非常に不快でしたので削除いたしました)も、私に寄り添ったものではなく、家庭の愚痴を吐く事に肯定的な内容でしたので、それだけ恋愛・結婚の愚痴で盛り上がりたい需要が有るのかもしれませんが、私は、反抗できない立場を逆手にとって好き勝手「自分で選んだ人生の愚痴の発散要因」として利用されたくありません。
私は結婚相談所や母親教室に通っている訳では無いのですから、本来のピアノを差し置いて結婚や育児の話を一方的にされても困ります。
「…いつからピアノのレッスンって先生の結婚生活の愚痴を聴きに行く所になったの…?」
「そんなに不満がある相手と何で結婚したの…?」
「そういう愚痴はやりたい人達で勝手に盛り上がって。私を巻き込まないで」
私の本音はこの通りです。