先程まで、東京オリンピック2020の開会式を観ていました。
選手の方々がマスク着用のまま参列されていた事以外は、モニターを通して観た限りは活気を感じられる開会式で安堵しました。
出場される方々が正々堂々と競技に臨み、ベストを尽くせる事を祈ります。
写真の黄色い薔薇は1995年にニュージーランドで作出されたミケランジェロと云う品種です。
晴天の日に青空の中で咲く姿を観ると明るい気分になります。
薔薇の中でも柔らかな印象を受ける黄色い薔薇はあまり見かけないので、貴重なショットです。
ニュージーランドと言えば、南半球なので今は冬季です。
少数派である南半球在住の人が、多数派である北半球から報道されている情報を受け取る時、どのような感覚なのか不思議に思います。
狭い日本の中でも、東京を中心とした報道ばかりされているが故、作家として著名な長崎県佐世保市出身の村上龍氏の著書「半島を出よ」には、地方在住者から多数共感の声が寄せられていました。
人数比率を考慮すると、首都圏以外をターゲットにした方が良い場合も有るのだと実感します。
上記の著書の内容については、ターゲット云々が題材とされている訳では有りませんが、出版された当時、強く印象に残った事です。
ここ数日、明るい気分、恋愛の話を聴かされたくない、共感力を強要されたくない、などと記載していますが、核心に迫る事にします。
不快な思いをされる方も多いかと思いますので、普段仕事中ご自身が「恋愛に関する雑談」を多くしていらっしゃる自覚の有る方は、この先を読む事を控える事をお勧めします。
私が今まで尊敬できなかった目上の人、特に「先生」は、勤務時間中に自らの家庭事情や恋愛の「不満話」をしていたと云うのが共通項として挙げられます。
プライベートで生徒や部下が居ない処でそのような話をするのは構わないと思います。
もしくは、そのような話を聴きたい生徒や部下だけを時間外に集めて雑談するのも構わないと私は考えています。
しかし、授業中やレッスン時間中に、ご自身のトークライブのような感覚で、自らの過去の恋愛遍歴、結婚観、結婚生活の愚痴、育児の愚痴や自慢、このような話を授業やレッスン内容とは全く無関係であろうタイミングでされる事が非常に多いです。
このような話を出された時点で、既に「先生」「上司」への尊敬の念は消え去っており、批判対象にしか見られなくなります。
オフィシャルブログやFacebookなどに記載して頂くのは全く気にならないのですが、何故授業中や仕事の指導中、レッスン中などにご自身の家庭や育児の愚痴や自慢話を聴かされなければならないのか非常に疑問に思います。
小学生の頃からずっとこの事象を嫌悪しており、実際授業中に担任教師がご自身の結婚生活を毎日毎日毎日執拗に話していたので、
「先生は学校に遊びに来ているんですか?いつも自分のしたい話ばかりしていますよね。ここはあなたのトークショーをする場所じゃないです」
と、皆の前で言った事が有るぐらいです。
クラスの皆からは拍手喝采だったのですが、問題発言として別室に呼び出されて何時間も説教されました。
中学生の頃も(以下略)…と云う風に、この類の事で、相手が男女問わず、自らの過去の恋愛遍歴、結婚観、結婚生活の愚痴、育児の愚痴、このような事を勤務時間中にする人の事をどのように敬えばよいのか解らず、今に至ります。
今年の上半期にピアノの先生とトラブルになった件についても、実はこの件が引き金です。
私が体調を崩しかけていたのも、このような話ばかり聴かされて気分が悪くなっていたのです。
相手がどのような人であっても、トラブルが起こる原因はほとんど全てこの件に起因しています。
逆に、過去に出逢った中で尊敬できた「先生」の共通点を見付けましたが、自らの恋愛や家庭の愚痴を一度も私の前で吐いた事が無い、これだけです。
本当に「これだけ」なのです。
非常に簡単な事のように思えますが、大抵の人間は「これだけ」すら出来ないのです。
一言でまとめると、公私混同する相手を「目上の人」として見る事ができない、私の場合はこのような価値観に基づいています。
その中でも、特に、恋愛関連については、本人だけでなく、相手が絡む問題で、平気で口に出す人は相手を思いやる事の出来ない人なのではないかと考えています。
私が他人の「面倒な」恋愛の話を聴きたくないと云うのはこれが主な理由です。
終わった話であれ、継続している話であれ、破局寸前であれ、始まってすらいない話であれ、生活圏を同一とし、身元が判明している「先生」「上司」がこの件について公言すると云う事は、即ち相手のプライバシーへの配慮が無いのだと落胆する訳です。
恐らく相手の了承が取れているであろう関係性であれば抵抗ないのですが、結婚生活の愚痴を吐く時点で相手には了承を得ていないのが明白なので、「恋愛・結婚に関する愚痴は聴きたくない」「恋愛・結婚に関する愚痴を吐く人物とは距離を置きたい」と思うのです。
少なくとも一度は大切に想った相手を赤の他人の前で悪く言う人物は、今後、私の事も私が居ない時に他の人の前で悪く言うのではないか、そう考えるのが自然です。
価値観に正解は無いと思いますが、公私混同しない、これが社会人としての最低条件だと思います。
もしかしたら、私のような価値観を持っている者が少数派なのかもしれません。
ただ、離婚した相手の愚痴を延々聴かされる生徒の気持ちも考えてほしいです。
愚痴は、言う方は晴れ晴れするかもしれませんが、授業中などに強制的に聴かされる方はエネルギーを根こそぎ奪われるのです。
相手が自分の恋愛・結婚生活の愚痴を聴かなければ激怒するなど論外です。
結婚生活や恋愛関係について、どうしても耐え難いのであれば、匿名でSNSなどを利用して業務時間外に発信するか、何らかの専門機関に相談し、目下の者を巻き込むのをやめて頂きたいです。
情緒不安定な時には休職するなど、他人に精神的危害を加えるのを制御するのも社会人としての努めだと思います。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から10曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン 幻想即興曲(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
バッハのシンフォニア第11番の保持音問題を解決すべく、ピアノに向かいながら、ハノンやツェルニー30番練習曲集・50番練習曲の中から何か練習になりそうな題材を探してみたのですが、しっくりくるものが見当たらなかったので、シンフォニア第11番そのものを練習した方が得策だという結論に至りました。
ツェルニー40番練習曲集の中には題材が有るのですが、教本が手元に無いので40番練習曲集の件は一旦保留とします。
シンフォニア第11番の練習をしながら、リストの「愛の夢 第三番」と同種の、否、愛の夢よりも遥かに難しさを感じます。
「愛の夢 第三番」自体、真摯に向き合った事が無いのですが、シンフォニアの難しさの種類としては、少しだけ類似したものが有ると感じます。
話は変わりますが、「何故私がこれまで速い曲ばかりを選んで練習してきたのか」、この件も理由が明確になりました。
「好きだから」だけでなく、その種の曲でなければ練習が成立しない理由が有りました。
また、何らかの指導を受ける際、「この一言を言われた時点で一瞬にして相手を信頼できなくなる」という言葉も有るのですが、記載するだけで甚だしいエネルギーを消耗するので、機会が有れば後日記載する事にします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
「恋愛・結婚に関する愚痴・悩みの話は聴きたくない」、小学校時代からこの想いは変わっていません。