花弁の淵と内側とで色調が異なる、珍しい薔薇の花です。
1932年にオランダで作出され、パーマネントウェーブと名付けられた品種です。
静止している状態であるにもかかわらず、ひらりひらりと蝶が舞うかのような躍動感のある情景を作り出しています。
パーマネントウェーブの作出国であるオランダは、国際司法裁判所の本部が置かれているハーグを有しています。
法曹界のシンボルと言えば、天秤。
現在流通している電子天秤ではなく、てこの原理を利用した天秤座のシンボルマークにも取り入れられている天秤ばかりです。
私自身の個人天体が天秤座に多い事も関係するのか解りませんが、二者間のバランスを公平にとる事について、しばし考える事が有ります。
例えば、クラシックバレエの場合、身体の左右を均等に使う事が出来なければ、趣味の習い事に於いても或る一定の次元まで到達出来ません。
人間の身体は完全なる左右対称ではない為、どちらかの軸が弱い事や、左右で可動域が異なる事が往々にして有ります。
私も含め、趣味の習い事としてバレエに取り組んでいる人の多くが、この左右対称に身体を動かす事が出来ない事を克服すべくレッスンに励んでいると思います。
私の場合、左軸よりも右軸の方が圧倒的に弱く、初期の頃はピルエットだけでなくバーレッスンの基本の動きに於いてもそれが顕著でした。
これは、右肩に鞄を掛ける生活を送っている人に多い現象で、日常生活に於いて、左足に重心をかける癖がついている場合、自分の身体の中で相対的に右軸が弱くなり、左右均等に身体の筋肉が発達せず、結果として身体の左右を均等に使う事が難しくなるのです。
可視化する身体の動きだけでなく、二者間に於ける関係性に対しても、バランスを欠いたものに違和感を覚える事がしばしば有ります。
例えば、プライベートな関係に於ける会話の際、一方のみが相手に依存するが如く我儘な振る舞いをしたり、自分のしたい話に延々付き合わせ、相手が振った話には「それは興味無いので」「その話は締めます」などと、あたかも相手を無料カウンセラー扱いしているかのような関係性が、大人の二者間に於いても多く見られます。
私自身、本ブログのような自由閲覧可能な不特定多数がアクセスする記事に於いては自由奔放に書きたい事を記し続けていますが、対面であれネットだけの関係であれ、プライベートに於ける会話や、私信であるメールに関しては、自分のしたい話だけに付き合わせる事が無いよう心がけています。
また、上述のように、相手が依存性の高い人物だと判明次第、関係性に不均衡を感じる為、距離を置くようにしています。
プライベートでの関係性については、お互い興味の有る分野に共通点が無ければ、無理に関係性を保つ必要は無いと認識している為、躊躇なく全く返信しない事が多いです。
そのような行為を「冷たい」と表現する方もいらっしゃるようですが、私は、価値観が全く合わない相手とプライベートに於いて社交辞令だらけで関わる事で、相手との表面的な関係性を長引かせるより、早めに別の話し相手を見付けて貰った方が相手にとっても自分にとっても有益だと考えている為、非常に合理的な行為だと捉えています。
そもそも、どちらかが我慢して保っているプライベートに於ける関係性など不健全だとすら考えています。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から2曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第14番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
バッハのインベンションも、他の楽曲によく見られる、左手が伴奏で右手がメロディーと云う構成ではなく、左右が対等な関係で成立しています。
クラシックバレエで左右の身体を均等に使えなければ踊りが成立しないのと同様に、テーマ部分の右手と左手とを同質に奏でる事が要求されるインヴェンションを練習している時、対等な関係や対称性についてふと脳裏を過る事が多いです。
現在、インベンション第2番の左手の打鍵の甘さを痛感しているので、スケールを左手のみ練習したり、インベンション第2番の左手のみメトロノームに合わせて何度も練習を繰り返しています。
左3が白鍵の直後に左4が黒鍵というパターンが出現すると、左4の打鍵が甘くなる事が発覚したため、左手3,4,5の強化に励む予定です。
このパターンは、ショパンエチュードOp.10-12(革命)には出現してもタッチが弱くても問題無い箇所で、且つあの速度と云う事情も有り、あまり粗が露わにならなかったのですが、バッハのインベンションに於いては克服しなければならない事です。
左右の手を均等に同質に使える事、これは、ショパンエチュードOp.10-4に於いても言える事ですが、バッハのインベンションの場合、テーマを意識する事も同時に求められる為、納得出来る仕上がりまでの道のりが遠く感じられるのです。
全てに於いて対等で公平な関係であるのは難しいのですが、左右の主従関係と云う概念を崩す意味では、バッハのインベンションに再度取り組む事は非常に有意義だと実感しています。