先日、晴天の日に訪れたゆり園の様子です。
照りつける陽射しを受け止めて咲く姿からは、盛夏の前兆を感じられます。
晴天の日は蜂が絶えず近寄ってくるので、羽音が非常に気になります。
蜜蜂なので滅多に人を刺す事は無いようですが、静寂に包まれたゆり園の中では存在感が際立っていました。
前回訪れた雨天時の様子とはうって変わって爽やかな様子の桃色の百合の花です。
うっすらと桃色を呈した花弁と自然光の絶妙な具合とが合わさって撮影できた1枚。
写真を撮影する側としてはあまり詳しくないのですが、以前、自然光の中でしか表現できない作品が有ると耳にしたのを想起しました。
心なしか、百合の花全体から柔和な印象を受けます。
今回、雨天時とは異なり、百合の花粉が衣服に付く恐れがあるが故、注意するよう但し書きが見られました。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から5曲
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) (暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
緊急事態宣言が解除された先日、直ぐにピアノの調律の手配をしたのですが、子ども時代の習い事としてピアノに触れていた間はこれらの手続きを全て親が行っていたのだと思うと、情操教育程度だとは云え、親のサポートが必須なのだと今になって再認識する事が多いです。
子ども時代、最低1年間に1回は調律を行っていた記憶が有る為、調律の必要性については認識していました。
思い起こせば、子どもの頃、自分が使っているピアノのメーカーを問われた時に直ぐに言えたのは、ピアノそのものの練習だけではなく、楽器について最低限備えておくべき基礎知識や所有している時に留意すべき事などを日常生活の中で親や先生から教えて貰っていたからなのかもしれません。
教育の重要性について、今更ながらに身に沁みています。
子ども時代、ピアノ以外にも様々な習い事をさせて貰っていたのですが、道具の保管方法や取り扱う時の注意点から学んだ記憶が有ります。幼少期に教わった肝要点は、大人になっても忘れていないので、習い事のスキルを向上させる目的だけでなく、必要な道具とその注意点についても保護者や先生が解りやすく教える事で、身に着くものが違うと思います。
「物を大切にする」と一言で表現しても、どのように取り扱うのか、持ち運び方、保管方法、メンテナンス方法など、それぞれの道具について全て特性が有り、何故そのように取り扱わなければならないのか、周囲の大人が咀嚼して教える事が望ましいと思います。
大人になって自分の意思でピアノを再開した時、習い始めた先生から、調律の件について問われたのを思い出します。
それ程重要で、且つ手配を忘れやすい事項なのかもしれません。
私の場合、先生から、調律は1年間に1回程度で構わないのではないかと言われたのですが、ピアノ再開一周年の節目となった時、緊急事態宣言が発令されており、時期をずらした結果、今に至ります。
ショパンのワルツOp.34-2(イ短調)になかなか着手出来ていないので、明日は取り組んでみようと思います。
短調のワルツには雨が似合う気がするので、最近敬遠しがちです。
山羊座満月の本日、幼少期から今までに何らかの形で教わった曲を数曲弾き直して、人間が成長する為には周りの人間の影響を受けていたのだと再認識しています。