予てより感じていた事ですが、「昔は出来た」、この意識が足枷になる事が多いと思います。
運動にも勉強にも仕事にも当て嵌まると思いますが、日常生活に於いては全くと言って差し支えないほど使う事の無いスキルについてこの件は顕著な傾向が有ります。
特に、ピアノやバレエなどの所謂芸事の習い事を幼少期から続けており、大人になって再開したのはいいものの、過去の自分のピーク時の実力を備えていると云う意識を払拭できず、現実と向き合おうとしない人が多いと感じます。
私は、大人になって初めてクラシックバレエを習い始めました。
この情勢下、休講になる事が多かったですが、もう10年以上続いている習い事のうちの一つです。
最初の頃は用語の意味も解らず、未経験者の集うクラスに入り、正しいストレッチの仕方から教わりました。
約半年間ほど経った時、幼少期からバレエを習っていた所謂再開組の方が再開し始めの状態で入ってくるクラスでレッスンを受ける事になったのですが、そこで見た光景は、体験レッスンに参加して1ヶ月間ほど通ってみたものの、更衣室で「子どもの頃の自分はもっと出来たのに」と嘆きながら、レッスン中にバレエの先生から何を言われても、「昔はこれ出来たんですけどね」「今はあの頃より太ったから出来なくなっただけです」、このような言い訳がましい発言を繰り返し、翌月は辞めていく方々の姿でした。
このような方々に、10人、否、100人以上出逢ったと思います。
「初めての人と一緒にされたくない」「私は昔習っていたのだから貴女達(大人になって始めた人達)とは違う」、面と向かってこのような発言をする方にも遭遇しました。
トゥシューズ(ポアント)を履く前に辞めてしまった場合はまだ諦めも付くのかもしれませんが、昔トゥシューズを履いた事が有り、小学校卒業と同時に辞めてしまったりした方々が上述のような現実を直視出来ていないと思われる発言をする傾向に有ります。
過去の自分のピークの実力を保持したまま再開出来る、これは大きな勘違いです。
残酷な現実に真摯に向き合い、再開後のリハビリを約1年間ほど続けても大人になって始めた人と同等の実力しか備わっていない事に気付き、現状に納得出来ずに愚痴をこぼす人たちに大勢遭遇しました。
中学卒業時点まで、もしくは高校生の途中まで習っていた方々が再開した場合、リハビリ後の実力は20代の大人になってから始めた人が5~6年間続けた状態と概ね同等になる傾向にあります。
「小学生の頃、コンクールで入賞経験が有っても、中学入学と同時に辞めてしまったら『初心者』同然」、これは私が今習っているバレエの先生のお言葉です。
ちなみに、『初心者』の定義とは、20代の大人になって始めた人が1年間程度レッスンを受けたら到達出来る域です。
大抵の大人の「未経験者」は、この1年間以内に辞めていく傾向が有るので、大人になってバレエを始めた人のサンプル数が少なく、世の中で語られる事があまり無いのですが、これが一般的な現実です。
個々の差はあれど、続けなければそれまでの努力がほぼ水の泡と化してしまうどころか、無駄なプライドだけが残ってしまうケースを散々目にしてきました。
私自身、中学校卒業時点までは正式にピアノを習っており、20代前半まで独学で細々と様々な曲に着手し、大学時代はサークルのピアノ伴奏を引き受けて定期演奏会に出たりしていました。
「本格的」なブランクが生じたのはその後で、昨年1月末、ピアノを再開した時、バレエ再開組の方々の気持ちが痛いほど身に沁みました。
再開前はショパンの幻想即興曲や革命のエチュードを弾いていたのが、スケールすら途中でつまずく現実。
小学校低学年時点で合格していたツェルニー30番練習曲集に掲載されている曲を当時の速度で1曲も最後まで弾き切れない現実。
それどころか、手が開かなくなっていて、オクターブが届かなくなっている現実。
「エリーゼのために」のヘ長調に転調する部分が難しく感じる現実。
初日は、「今日は疲れて帰ってきたからたまたま出来ないのだろう」と思っていたのですが、2日目、現実を直視し、ハノンの1番をゆっくりやり直す事にしました。
「幻想即興曲はどうかな…」と思って少し弾いてみようとすると、指がほとんど動かなくなっている現実。
この現実を直視したはいいものの、受け容れる事は難しく、最初の1ヶ月間はひたすら自分との闘いを繰り広げていました。
…否、最初の8ヶ月間程、「ライバルは過去の自分」と云う認識でピアノの練習に日々取り組んできたと思います。
幻想即興曲は片手ずつやり直し、昨年4月末頃、巧拙はさておき、漸く1曲通して止まらずに弾けるようになったのが現実です。
再開後の最初の3ヶ月間は精神的に非常に辛い時期でしたが、ここを乗り越える精神力が有れば、「過去の自分」に少し近付けると思います。
よく「ミスタッチなどそこまで気にする事はない」と言われますが、私の場合、過去の自分にとってはミスタッチなど考えられなかった曲を今弾いてみた時、一箇所ミスが有っただけで「今の自分は小学生の頃より下手」と云う自己嫌悪に陥る事が多いのです。
他人の演奏動画や音源と比較して落ち込んでいるのではなく、まだどこかに過去の自分と比較している節が有り、その意識についてどう折り合いをつけるか、その点が一番の課題です。
この点はあらゆる物事を再開する方々にとっての共通の課題なのかもしれません。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から10曲
・ハノン 21~30番全曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第4番
・バッハ インベンション第8番
・バッハ インベンション第7番
・バッハ インベンション第12番
・ショパン 小犬のワルツ
・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)
・ショパン 幻想即興曲
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)
・ショパン エチュードOp.10-4
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
本日もバッハのインベンションに熱心に取り組みました。
メトロノーム 八分音符=168 に設定してハノン21~30番をリズム変奏せず原曲のまま全曲練習した後、インベンション第8番をメトロノーム無しで弾いてみると、意外にテンポを一定に弾く点については克服出来たので、八分音符=184 で何度か通して弾いてみるとやっと慣れてきたのか、最終的には暗譜出来ました。
暗譜するほど何度も弾いてみたというのが適切な表現かもしれません。
インベンションに本気で取り組んで7日目にしてやっと1曲暗譜出来た、これが現実です。
約1分間程度で終わる曲を1週間かけてやっと暗譜出来る、この現実と向き合いながら練習に取り組んでいます。
この7日間で累計200回は通し練習をしたと思いますが、自分の至らなさに嫌気が差す事もしばしば有りました。
インベンション第4番は未だに左手の途中が暗譜出来ず、左手だけ練習したり、通して何度も弾いたりしているのですが、子ども時代のようにすぐに暗譜出来る訳ではない現実に直面しています。
そして、深刻問題を抱えているショパンのワルツOp.64-2(嬰ハ短調)を練習していて思ったのですが、右の手首を回す基本的な方法を忘れているのかもしれません。
「過去に弾いた事が有る曲なら練習すれば過去と同様に弾けるだろう」、この意識を捨てる事が上達への必須項目だと言えると思います。
現実問題として、今の段階に於いても、メカニック的な点については中学校卒業時点より遥かに下手なのだと思います(これについては、ツェルニー50番練習曲集のうち1曲もまともに弾けない現実を考慮すると認めざるを得ません)が、地道に基礎練習を積むしか術は有りません。
再開前に楽譜を見た事すら無かった曲に着手すればこの問題については解決するのですが、好奇心旺盛な私は、弾けるようになりたい曲の楽譜を既に10代の頃全て見て譜読みしてしまったので困りものです。
明日もまた新たな方法で練習してみる事にします。