まるで造花の如く鮮やかで綺麗な紫陽花を見かけました。
今まで目にしてきた紫陽花は淡い色合いが多かっただけに、ビビッドカラーの紫陽花を見ると作為的なものを感じるのですが、自然に咲いております。
本日は満月で皆既月食と云う事もあり、ベートーヴェンの月光に特化してピアノに取り組もうと思ったのですが、Amebaの中に減七の和音について記載していらっしゃる方が多く、少し私も意識してみました。
実は、減七の和音と属七の和音については、ハノン42番・43番をほぼ毎日練習している割には理論的な理解が出来ていない部分です。
有名なベートーヴェンの月光第1楽章(嬰ハ短調) 第34小節(上記添付画像の赤枠で囲んだ部分)、第35小節(上記添付画像の青枠で囲んだ部分)について。
五線譜に記して視覚化する前に、自分で弾いてみて聴覚で感じ取っただけに過ぎないのですが、音だけで言えば減七の和音で構成されているフレーズなのではないかと思われます。
ハノン42番に記されているハ長調の減七の和音。
赤枠で囲んだ部分と青枠で囲んだ部分とで、それぞれ音だけは一致する不思議…。
第3楽章(嬰ハ短調)にも気になる部分が出てきたので詳しく見てみると、
第163小節~第164小節(上記添付画像の赤枠で囲んだ部分)と第165小節~第166小節(上記添付画像の青枠で囲んだ部分)について。
ハノン42番に記されているハ長調の減七の和音。
赤枠で囲んだ部分と青枠で囲んだ部分とで、それぞれ音だけは一致する不思議…。
月光は嬰ハ短調なので、表記が異なっても不思議ではないのですが、これだけの情報から結論を出すのは、いちごとストロベリーとが同一物を表すにもかかわらず呼称が異なる状態で「いちごとストロベリーは全く同じだ」と言っているもので、不確かなので、少し検証が必要です。
いちごもあまおう、とよのか、とちおとめ、と細分化されているように、同じ音が聞こえたとしても何か意味が異なる気がしてなりません。
別の観点から考えると、一人の人が或るサイトでLilyと名乗っている時、他のSNSのアカウントでMaryと名乗っていても、Lily=Maryで、異なる表記でも指す人物は同じです。
この考え方が異名同音なのですが、異なる表記をするからには何か意味が有るのが世の常です。
アバウトすぎる例えですが、月光第3楽章にまた気になる部分が出現…
第181小節~第182小節(上記添付画像の赤枠で囲んだ部分のアルペジオ)と下記添付画像のハノンの減七の和音のアルペジオの音が同じなのです。
このような状態は、日本の苗字の「サイトウ」さんが「齊藤」「斎藤」「斉藤」「齋藤」などと表記が異なる事を髣髴とさせます。
ここで、或る事に気付きました。
月光が嬰ハ短調である時点でハノン42番自体移調しなければ意味を為さないのでは…?
この単純な事実です。
同時に、
否、嬰ハ短調の曲の中で移調されている部分ならば移調の件は一旦後回しにした方がよいのでは…?
と云う考えも脳裏を過りました。
この場合、ピアノの鍵盤を十二進法だと考えた方が適切なのでは…?
などと、和声学を真摯に学ばれた方がご覧になったら一笑に付すような、素人の自説を展開しつつあるので、真剣に理論を考えてみます。
本件、次回の皆既月食までに考えておきますと記載しようとしたのですが、次回の満月までに考えておきます。
「理論より実践派」に少し歯止めをかける必要が有りそうです。
昨日記載したいちごジャムを瓶に詰めていたところですが、3瓶以上にわたり、大豊作でした。
いちごも熱と砂糖を加えれば形が変わるので、減七の和音も曲中何らかの変化を遂げても不思議ではないのですが…。