予てより感じていた事ですが、普段の言葉の選択にその人の人柄が滲み出ると思います。

 これは、話の内容全体がまとまっているか否か話の内容に賛同出来るか否かの問題ではありません。 

 また、丁寧な言葉遣いであるか否かの問題でもありません

 

 

 意図的な誹謗中傷は論外として、昔から、他人が読むであろう文章を記す時や直接他人と話す時、咄嗟に出てくる言葉その人のものの捉え方が何となく感じられる事が多いと思っていました。

 先日目にした記載として、離婚歴の無い独身女性の事を文中に「未だに無傷」と表現している記事が有り、その記事全体1,000文字程度で主張したい内容は、該当女性を称える内容であると私は解釈したのですが、「未だに無傷」と云う表現を見た時、執筆者の該当女性への認識が透けて見えて嫌な気分になりました。

 

 人間を物のように認識しているからそのような言葉が自然に出てくるのではないかと私は考えます。

 

 同じ執筆者の他の記事を拝読しても、ほぼ毎回丁寧な言葉が用いられているのですが、(よそのお嬢様の話を出して)嫁にやる」(他人のプロフィールの事を指して)スペック」(他人の生活状況について)底辺の生活」など、やはり人間を物のように認識していると解釈せざるを得ない表現が散見されます。

 

 ブログ全体として、自己と真摯に向き合い、至らない点を改善する事を目的として設立されたとの事で、コメント欄の他のアカウントの方々とのやり取りを見ても他者への誠意は感じられるのですが、根本的な認識がこれでは、努力の方向性が異なるのではないかと感じました。

 このような事を記すと揚げ足取りのようで、私自身の文章力では本人にお伝えする事も難しいと思い、その点については何も言及しませんでしたが、上辺だけ取り繕っても、咄嗟に出てくる言葉が、対象への認識を何よりも雄弁に語るもので、教養の有無とはあまり相関が無いと思います。

 

 一方、大変失礼ですが、日本語の意味を誤って捉えていると推測される文章を記載する方の中にも、単に語句の意味を誤解しているだけで、話題として挙げた有名人の方への敬意を示したいと云う意図は伝わってくる表現も見られます。

 このような方の記載文からは、私の場合、嫌な印象を受けません

 

 書き言葉の場合、口頭でのやり取りと異なり、抑揚をつけて表現する事が不可能ですから、読む側としても解釈が難しい場合が有ります。

 

 

 私自身、適切な言葉を選ぶ事が出来ているかあまり自信が無いのですが、最低限の条件として、たとえ匿名であっても差別用語命の尊厳に関わる言葉使用しないよう心がけています。

 「匿名で誰にも発信元が判らないから」「仲の良い人だけしか聞いていない場所だから」、そのような意識で発言していると、咄嗟の時にも無意識のうちに失言する危険性が有ります。

 自衛する事が他人への思いやりに繋がるのでないかと考える事もしばしば有ります。

 

 私は、ブログ記事内に於いて、「マイナスを産み出さない事が一番重要」「ミスをしない」等と頻繁に記載しておりますが、これは言葉の選び方についても該当します。

 

 

 少し風変わりな人や、自分と価値観の異なる人の事を、即座に「頭おかしい」「キ○ガイ」「死ねば」などと記載したり実際に口に出したりする場面に遭遇し、匿名であったり、自分が口に出した証拠が残らない場所では何を発言しても構わないと云うスタンスに疑問を感じ、これらの言葉に関しては中学生ぐらいの頃から口に出す事を控えていました。

 

 これについては当時友人に注意を受けた事が有るのも一つのきっかけですが、当時の友人達と話し合った結果、礼儀云々以前の問題として、これらの言葉を発する事で改善策解決策にはならないので何の生産性も無い寧ろそこで思考が停止してしまうと結論付け、日々心掛ける事にしました。

 他人の先天的な容姿を中傷する意味合いを持つ言葉についても同様です。

 これについても当時の友人達と話し合いました。

 「どうしようもない事を悪く言っても何の役にも立たない」、この単純明快な理屈こそが他人への態度として思考に根付いています。

 

 そもそも、熟知している訳では無い他者の事を「頭おかしい」と一蹴する時点で、その相手に対して失礼な事を発言すると共に、自らのボキャブラリーの貧困さを露呈しているだけではないかと云うのが私の見解です。

 そして、自分の理解の範疇を超えている事に対し、「頭おかしい」と発言し続けて全てを拒否し続けていると、何に対しても自分が絶対的に正しく他人が間違っていると思い込み自分が遭遇した事の無いものには全く対処できない人間になってしまうのではないかとも考えます。

 

 「体調不良で休みます」→絶対仮病扱い

 この思考回路自然と成立するまでに、幾つもの過程が有ると思います。

 

 ピアノの基礎力と同様、思考の基盤となるものも一朝一夕には身に付かず周囲にいる日頃言葉を交わす仲の人達自分自身の意識が重要だと思います。

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 1~20番の中から5曲

 ・ハノン 21~30番の中から2曲

 ・ショパン 幻想即興曲

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)

 ・ショパン エチュードOp.10-4

 ・ベートーヴェン 悲愴第2楽章

 ・ベートーヴェン 悲愴第3楽章 

 ・ベートーヴェン 月光第3楽章

 ・その他(スケール、アルペジオ、その他)

 

 「月光第3楽章強化月間」と云う事で、苦手なアルペジオの強化から取り組みました。

 

 

 第196小節から続く嬰ハ短調のアルペジオです。

 ここは毎回ノンペダルで弾いていたのですが、明らかにユニゾンが揃っていなかったり指が転びそうになっていたり部分練習の必要が有ると認識しています。

 ハノンアルペジオホ長調嬰ハ短調が以前から突出して苦手だったので、まずはハノンに取り組む事から。

 

 「幻想即興曲やり直し月間」と銘打っていますが、本日は上述の件を考えながら鍵盤に向かっていたので、全く集中できず、ショパンの曲を「奏でる気持ち」にはなれず…。通して1回弾いただけで空虚な気分になりました。

 今年の1月下旬から、毎日のように、仮病扱いされた件について考えており、知り合って間もない相手との書き言葉のやり取りについて非常に慎重になっています。

 

 自分が出席出来ない程の体調不良に陥った事が無ければ、体調不良の申告は全部仮病だと認識してしまうのか…。

 私自身がそのような嘘を吐く人間だと見做されていたのか…。

 実際は、当日、胃腸炎で医療機関を受診したので、その時の領収書や薬歴の証拠書類などの提出は可能ですが、このような事務的な手続きを経なければ信用されていない関係性自体問題だと思い、敢えて最初はそれらの写真を撮ることなく指定されていた連絡方法メールの文章にてお伝えしたのですが、信じて頂けず…。

 

 正式に医療機関を受診して何らかの治療を受けた「証拠」の提示をしてまで身の潔白を証明しなければならない相手とはなるべく関わりたくありませんでしたが、私の場合、何故自分がそこまで疑われていたのかそれまでの関係は何だったのか、そちらの方面への疑問が未だに残っています。

 教育機関の単位取得など、学位が絡んだ件定期試験を欠席した場合に追試を受ける際提出する診断書(そもそもこのような制度が定められている事自体、その集団の規範が疑わると思いますが…)とは意味合いが全く異なります。

 

 今月に入ってから、私の事をよく知る周囲の人達に、ピアノのレッスンである件は伏せ日時の約束をしていた目上の相手だと云う前提で仮病扱いの件について相談したのですが、どの人からも「その相手に問題が有るから即座に関係を断つべき」と言われ、困惑中です。

 

 そもそもの話、元々あまり健康体には恵まれておらず、その件非常に気にしていたので、どう手を尽くしても改善しようが無い欠席の件について、中学生の頃からずっと悩んでおり、医師にも何度も相談を続けてきました。

 諦めなければならない事や、参加したくても断らなければならないお誘いが、これまでの人生に於いて数えきれないほど有りました。

 仮病などと贅沢とも言えるものを持ち合わせていない事を自覚していたからこそ、信頼だけはしていただけるよう誠意を持って取り組んできたのに、仮病扱いされて誹謗中傷された気分です。

 

 「体調崩すような虚弱体質の人はお断り」と言われた方がまだ清々しく、納得出来ます。