最近、例のピアノの先生との関係の件で一番強く思う事は、書き言葉を用いたコミュニケーションで起こる問題についてです。
私の抱える問題のうちの一つの本質的な事のうち、ピアノが上達する事や指導法云々の問題ではなく、私自身が電子媒体を用いて音声が全く無い状態でコミュニケーションを取った場合、大抵の確率で自分の伝達意図が相手に正確に伝わらないケースが多々有り、この件で非常に悩んできました。
ここで述べる「音声が全く無い状態」とは、「視覚情報のみでやり取りする場合」で、そのほとんどは「日本語の手書きではない書き言葉を用いた場合」です。
この事象が起こる条件として、以下の場合は除外されます。
・学生時代からの友人や知人など、以前から信頼関係を構築出来ていた人で、且つ対等な関係を築く事が出来る人が相手である場合
・職場関係者などの業務連絡
・実際に対面で何度も接した事が有る相手
端的に述べると、バックグラウンドが似通っている相手や、実際に私と何度も同じ空間で過ごした相手であれば、問題は全く起こらないのです。
それでは、その「問題」とは具体的にどのような事象であるか。
問題はただ一つで、
「自分の申告が相手に信じて貰えない」
要約するとこの点のみです。
※例のピアノの先生との問題については過去記事に記載済
「先生」が生徒を疑うことについて | たおやかなる日々 (ameblo.jp)
私自身、婉曲表現ではなく、深読み不要な程に率直な表現や常用漢字を用い、改行や句読点にも気を付けているつもりなのですが、私自身の日本語力の問題であるのか、相手の受け取り方の問題なのか、相手が私を翻弄しているのか、真摯な思いが全て結果的に「虚偽申告」と見做されてしまいます。
「貴女はそう述べているけれど、真相は違いますよね、こうですよね」との旨、相手から直ぐに返信をいただく事が非常に多いです。
ここ数年間の間に遭遇した事例を挙げると、このAmebaのアカウントにて相手のブログ記事欄で10往復以上コメントをやり取りし、お相手の方からメッセージ誘導されたので、私からメッセージを送信した時の事です。
当時、私のアカウントによる投稿記事は1件も無く、相手のブログ記事欄でのコメントのやり取り内容及び私は返信頻度が非常に低い事を自己紹介欄に記していた事のみが「前情報」であった状態です。
私「**(相手のHN)様
改めてはじめまして。
メッセージ送信が遅くなり、申し訳ありませんでした。
コメント欄では真摯なご対応に感謝申し上げます。
改めて自己紹介です。
○○(都道府県)で産まれ、△△で育ち、現在□□在住です。
趣味は写真撮影(被写体専門)です。
宜しくお願い致します。
Lily」
このような感じで簡素に述べたメッセージ文を送信した結果、□□の部分が一致する相手だったので、少し居住地周辺で開催されている季節のイベントなどの話になり、写真撮影の話も少しやり取りし、最初の数通はコミュニケーションが成立していました(※ただ、全て読み直すと、私が振った話は「この話は締めます」と一方的に完結され、相手の提供する話題についてのみ私が返信している状態、最初違和感を抱きましたが、「こんな事もたまには有る」ぐらいに軽視していました)。
コメント欄でも話が成立する(価値観の相違などはともかく、日本語としてのコミュニケーションに関しては成立していた)お相手だったので、メッセージでも同じような調子で安心してメル友のようなやり取りをしていたのですが、数通やり取りした後で、
相手「Lilyさんのスペック
趣味 読書(How to 本ではなく、純文学)
年齢 **歳ぐらい
職業 @@
兄弟構成 ***
性格 *****
容姿 ******」
(※「**」等の部分については、具体的に相手の想像が記されておりました。私自身から兄弟構成や職業について言及した事は有りません)
相手の自己紹介と共にこのような返信をいただき、愕然としました。
…何通か写真撮影の話をしたのは何だったのか…。
私の自己紹介を何故信じていないのか…。
読み直しても、私から純文学の話を振った事も相手から何か本の話題を振られた履歴は全く有りません。
ここで、「スペック」と云う言葉が用いられている事について、著しく憤りを抱き、自分自身が品定めされている、人間扱いされておらずモノとしてしか見られていなかった事を察知し、何か訂正しても不毛なやり取りが続くだけだと判断し、こちらから音信不通にしました。
相手の自己紹介によると、相手は40代前半既婚男性で、稀少な共通体験が有ったので私から相手のコメント欄に投稿したのが最初のアプローチで、相手には日本語の読み書きについて致命的な問題点が有るとは思えませんでした。
相手は170記事以上の投稿をしており(若干誤字脱字や法的解釈の致命的な誤りが数箇所有ったものの、文章の内容やコメント欄での他人とのやり取りを私から見ても、やり取りの相手を欺く意図は見られませんでした)その全てを精読した後、私がコメントを投稿したと云うのが大まかな流れです。
全く面識はなく、Ameba内だけでのやり取りです。
現時点では、当時のやり取りの相手のアカウントが削除されてしまった為、何故あのような「私の申告を信じず、自分の思い込みを記したのか」返答を得る事が出来ませんが、「写真撮影(被写体専門)」を「読書(How to 本ではなく、純文学)」と相手が読み間違えたとは到底考え難いです。
考えられる一つの要因として、確率は非常に低いですが、Ameba内にて別の方とも並行してメッセージのやり取りをしており、その方のHNが偶然私と全く同じで、人違いの送信であった事が挙げられます。
実際、初期段階のメッセージのやり取りの中で、複数アカウントから相談が絶えないとの旨、記されておりました。
今まで上手くいかなかった相手の特徴として、
・2歳以上年上の相手(大抵は10歳以上年上)
・性別不問
・実際にお会いした事が無い、もしくはお会いしても数回食事をしただけなど
・出逢いの場所がネットである事がほとんど
・何かを指導している職に就いている、もしくは最初の段階で部下への指導方針などを自己紹介欄に記している
・ネットで出逢った場合、オフィシャルブログではなく、仕事内容がテーマとされているブログでもない、完全なプライベートブログであるにもかかわらず、投稿内容に仕事の話や仕事関連者の話が多数見られる
・致命的な状態に至るまでの間、何らかの兆候が見られる(私から振った話をすぐ締めて自分のしたい話を延々する、etc.)
・あらゆる分野に於いて他人を序列化する(土地、学歴、職業、これらの優劣をつけたがり、「人の好みはそれぞれ」という価値観とは無縁)
・各分野についてのステータスへの過度な拘りが有り、一元化して物事を捉える
・自分の価値観・感性と同じでない者に対し「頭おかしい」「あいつは発達障害だ」等の差別的な発言をする事が多い
・最初の2~3通のやり取りは凄く丁寧
上述の件が挙げられます。
ジェネレーションギャップについても考えましたが、「写真撮影」や「体調不良のため欠席します」と云う言葉が世代特有の用語だとは思えませんし、最初の段階では問題無くやり取りが出来る事から、日本語力の問題では無いと推察されます。
故に、私自身の書き方よりも、相手を見極める事について問題が有るのではないかと思い始めています。
「2歳以上年上である事」を上手くいかなかった相手の条件に挙げているのは、某SNS内にて、画像無しの状態で書き言葉のみで上述の概要(ピアノの件では無く、「書き言葉が苦手過ぎて他人に自分の申告内容を正しく受け取って貰えないので何か書き方に問題が有るのか」との旨の一般論)を相談してみたところ、全く面識の無い同い年~年下を名乗る相手から、「その日本語で全然問題ないよ」「その文章をそのまま相手に伝えればいいんだよ」「それは相手が悪いんじゃないの?」等と返信をいただいた事が主な理由です。
もう私の中では結論が出ているのですが、「他人を自分の思い通りにコントロールしなければ気が済まない人」が、私という人間そのものを見ておらず、何か架空の人物像を創り上げ、その偶像とやり取りしているのではないかと思います。
私の中身については「自分が操っているつもり」で、私が何か訂正しても絶対に自分の解釈を曲げない理由は、自分のシミュレーション通りに私が動いてくれないと何か自分に都合が悪い事が有るのだろうと思います。
相手が「意思を持つ一人の人間」であると何か困る事情が有るとも言えます。
日本のアイドル信仰に見られる概念と同様で、一言で言うと、
「貴女は私のお人形さん、自分の意思を持つなんて許さないから」なのです。
このような人物が相手では、何を反論しても訂正しても物事が解決する事はまず有りません。
このような人物が世の中に多数存在し、彼らには認識を変える気も無ければ彼らに再教育する術もないが故、標的にされないように生きていかなければならない…。
今年の1月半ば頃から、ピアノの練習中、「今はピアノどころではない」と頻繁に感じていた事の核心は上述の通りです。
各種ハラスメントを行うのも上述の思考に基づいていると私は考えます。
本日のピアノの練習について。
・ハノン 1~20番の中から10曲
・ベートーヴェン エリーゼのために
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ベートーヴェン 悲愴 第3楽章
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)
・ショパン エチュードOp.10-4
・その他(ハノン スケール、31番、32番、etc.)
本日は、尺骨突き上げ症候群のテーピング対処中につき、ハノン以外は音抜け等も相当有りましたが、流すだけの状態です。
改めて感じた事は、私は革命のエチュードが大好きなのだと云う事です。
どうも私は10代の頃から標的として狙われやすい傾向にあるので、自分自身を変えるよりも、「支配したがり症候群(私の造語です)」の人物と遭遇した場合、穏便に早く離れる事に重点を置いた方が良いと思います。