昨今の情勢下、様々なメイクアップ用品の買い置きを消費しきれず、開封済のアイテムに限っては劣化が懸念されます。
Christian Dior(ディオール)のディオールショウ マキシマイザー3D <マスカラ用ベース>なのですが、昨年冬に購入した物をまだ2本消費しきれておりません。
まつ毛美容液としても使えるお気に入りアイテムです。
アイメイク用品はここ数年Diorのアイテムを愛用しており、夜就寝前に塗ると睫毛のトリートメント効果も有るらしいですが、私は専らマスカラの下地として活用しております。
私の行きつけだったDiorの担当の美容部員さんは、ニーズに合った商品を提案して下さり、急かす事なくテスターを心ゆくまで吟味させていただけていたので、お陰で快くお買い物が出来ました。
改めて実感するのですが、コロナ前であってもオンラインショッピングが可能であったにもかかわらず、店頭に足を運んで購入する方法を選んでいたのは、美容部員の方が個々のライフスタイルに合わせたアドバイスを下さったり、ネット上には掲載されていない商品の詳しい使い方のテクニックを解り易く教えて頂けたからではないかと思います。
直接お話していて要望や質問等を自ら切り出し易いスタッフの方を担当として指名していたので、相性の問題や信頼関係は重要だとしみじみ思います。
タッチアップは直接肌に触れる行為(※コロナ前の話です)ですし、信頼出来そうな相手でなければわざわざカウンターで相談しようと思いませんから、言葉の選び方にも凄く気を遣っていらっしゃると常に感心しながら通っておりました。
美容部員の方々の接客術と云うべきなのか、単に「メイクが好き」なだけに留まらない内面の魅力を常に感じております。
ところで、私が掲載している画像をご覧の通り、私は写真を撮るのが非常に苦手です。
それにもかかわらず、過去に写真撮影(被写体専門)を趣味としておりました。
このきっかけについて思い出した事のですが、私の父は写真を撮影する側として非常に技術が高く、私の中学時代はよく私が被写体となって写真を撮ってもらっていました。まだスマートフォンどころかフィーチャーフォンすらあまり普及しておらず、気軽に全身写真を撮影出来た時代ではありません。
思い返せば、小学校時代から、写真撮影の時だけ脚の角度や綺麗に見える立ち方、欠点をカバーする下半身のポージングについては細かく指示されておりました。写真は一生残るものであるから、一番自分が魅力的に映る方法を幼いうちから身に付けるべきだと云うのが父の持論でした。
シャッターを切る一瞬だけで構わない、でもシャッターを切る一瞬だけは全力を尽くせ、よくそう言われていた記憶が有ります。
父は、主に風景写真を趣味としており、ポートレートを行っていたのは私だけのようですが、中学生だった当時、被写体としていた私に対し、カメラを向けられた時のポーズを取るのが巧いとよく言っており、そのうち髪型や服装、背景についても複数のパターンで撮影に出かけるようになりました。
当時、父に撮影者側として写真を巧く撮影する秘訣を訊いてみたのですが、「素質が全て」と云う回答しか得られませんでした。
努力して上達する分野ではないので、素質が無いと悟ったら諦めるべきだと云う事でした。
その言葉を鵜呑みにして私自身は撮影者としての素質が無いのだと思い、大人になってからも被写体専門として趣味に取り組んでいくうちに、上述のDiorの美容部員の方との関係が脳裏を過ったのですが、趣味としてのポートレートに於ける成功の秘訣はカメラマンとの信頼関係だと思っています。
したがって、機械による証明写真や、カメラマンが存在しても接触してすぐ撮影に入る場合にはあまり有効では無いのですが、事前の打ち合わせ時にどれくらい撮影以外の話を深く出来るか、出来栄えは此処に9割はかかっていると云っても過言ではないと思います。
一度撮影者側の方とは事前に(撮影数時間前、との意では無く、撮影日の前日以前に時間を確保して)直接お会いして、最低1時間は撮影以外の話をすると、被写体が素人であっても上手く動ける気がします。
故に、一番良いのはカメラマンが交際相手である事、若しくはカメラマンが被写体に対して好意を持っている事だと思います。
また、可能であれば撮影者と被写体の間に信頼出来る共通の知人を挟み、撮影中に仲介役として何か働きかけて貰う事、これは非常に有効な手段だと思います。と云うのも、撮影者側としてシャッターを切る事が得意で、且つ好んで行っている人物像の一般論として、寡黙で積極的にコミュニケーションを取ろうとしない、やや支配的で自己完結に陥る思考の持ち主が多く挙げられるからです。
プロのカメラマンはまた別として、人が写真を撮影する事を趣味とする理由の一つに、空間を自分が支配したい、自分のものにしたい、このような思考があるのではないかとすら思います。
この思考が有る事を前提とすると、人物を対象に写真を撮影するのが好きな人の特徴として、他人を自分の思い通りに動かしたい、意図的に操作したい、このような心理がやや他の人より強い傾向にある気がします。
被写体が自分の好みの作品を創り上げたいと願う場合、この状況を何とかして打破しなければなりません。
アプローチの方法は多岐にわたると思いますが、慣れている人が見ればそこには映っていない筈の撮影者と被写体の関係性が直ぐに解ってしまうらしいです。
一般的に、ポートレートの仕上がりはカメラマンの腕が9割だと言われておりますが、この「腕」とは、メカニック的なテクニックは勿論、被写体とどれだけ打ち解けられるか、この点も忘れてはならないと思います。
肝心な写真を撮影する技術については、大人になって出来た撮影が得意な友人に色々と訊いてみたのですが、様々な理論を伝授して貰っても私自身に上達しようと云う気力が無かった為、その技術を継承するには至りませんでした。
昔、父から言われたように「(上達しようとする)素質」が無かったのかもしれません。
ただ、撮影が得意な友人に出逢って幾つか気付いた点が有ります。
写真撮影が得意な人は、絵を描く事や自動車の運転も得意である傾向にあり、特に絵を描く事と写真撮影の技術との相関については決して無視できません。
空間把握能力以外に何か有りそうな気がします。
素質と言えばショパンのEtude Op.10-4ですが、相変わらず赤枠で囲んだアルペジオの部分を5回ぐらい事前に弾いてみてからでないと未だに最初から弾き始める勇気が有りません。
未だにこの部分については自分で自分を信頼出来ていないので、慣れる事により信頼関係を構築していこうと思います。
睫毛美容液の代わりに夜就寝前に5~10回触れておくことで、技術力の保持程度は出来ると信じながら…。