映画「戦場のピアニスト」内で使用された事により一躍有名になった曲、ショパンノクターン第20番(遺作)

 第20番に限らず、ショパンのノクターン全般に言える事ですが、今まで畏れ多くあまり積極的に着手出来ずにおりました。

 楽譜自体は10代の頃から所有しておりましたが、開く気すら起こらず今に至ります。

 諸事情により、第20番を練習する事になった訳ですが…

 

 幼き頃、ショパンのワルツやノクターン等のCDについては一通り聴いた事が有ったので、当時の頃の先入観が強すぎたと思うのですが、ショパンのノクターン全般についてのイメージは、精神年齢の高いお姉さまの弾く曲と云った感じで、私には縁の無い世界。一言で表現すると、思慮深い文学少女が奏でる世界観が雰囲気が漂っており、この類の曲は私が汚してはならない存在でした。

 大人になってから、若しくは思春期頃にこれらの楽曲に初めて出逢い、私がピアノを全く習っていなかったとしたら、躊躇無く着手出来たと思います。しかし、年齢を重ねても上述の先入観は払拭出来ず、私がショパンノクターンを弾くのはどこか違和感が有る気がしてならなかったのです。どうも中身と全く異なる恰好をさせられて背伸びさせられているような気にしかなれず…。故に、昔からショパンのノクターンに関しては意識的に避けておりました。

 

 本日譜読みに取り掛かった訳ですが、今月中に或る程度の形にしておかなければならないので、初日の感想

 短調の曲の深みと云うか、重厚感に跳ね返される感じ。

 テクニック的な面で云えば、左手を広げるか指くぐりをするか運指の試行錯誤を1週間は繰り返す事になると思われます。

 私はどうも嬰ハ短調の曲にご縁が有るようで、幻想即興曲、ワルツOp.64-2、etc.過去に本気で着手して人前で演奏した曲は嬰ハ短調の確率が高い気がします。

 

 「この曲全体に横溢する情緒について、どのような言葉で表現したらいいのだろう。最初に登場するテーマを聴いただけで、たちまち、ショパン独得(※原文ママ)の世界の中に引きずり込まれてしまう。それは、たとえば叶わない恋のせつなさや、過ぎ去った過去への憧憬、どうにもならない運命への嘆き、といったものを思い起こさせる。これらがすべて、ショパンの手による「魔術」のたぐいだとはわかっていても、聴き手はその世界から逃れ出るすべを持たない。ショパンの作品、特にノクターンやワルツにはそうした「魔術」を施されたものが多いが、この曲では特にそれが見事である。」

 (名曲案内 クラ女のショパン/室田尚子・小田島久恵・山口眞子 著)

 

 筆舌に尽くし難い精神性が有ると思うのですが、季節で云えば11月半ばから下旬の時期の夕陽が沈みかけてから30分間ぐらい存在する儚い時間特有の空気感を直感的に受け、真摯に取り組むには精神力を相当要する曲。

 何事も広く浅く取り組み、移り気の多い私が弾くと底の浅さが露呈する気がしてなりませんが、その辺も個性と云うか、私がこの曲について追求し始めると精神衛生上よろしくない事が明白なので、薄っぺらい仕上がりこそが私にとっての「正解」なのでは無いかと思います。

 ショパンエチュードOp.10-4の方が精神的には遥かに楽です。こちらも嬰ハ短調の曲でしたね。

 

 実年齢を幾ら重ねても、小学生時代の同級生に居たような「精神年齢の高いお姉さま的存在」にはなれませんし、今更なろうとも思いません。あの大人びた感覚は、実際に大人になった私にはもう二度と手に入らないもので、この件は潔く割り切るしか有りません。この種の開き直りで以てノクターンに接しなければ、追い詰められるだけですので、私の場合、開き直りこそがノクターン攻略の鍵。

 

 朝晩冷え込み、陰鬱な季節に備え、同じショパンの中でも即興曲第1番のような軽快且つ爽快な雰囲気の曲を聴いて軽やかな気分で毎日を過ごしたいものです。