焔に薪をそへるが如し | 菊と斧

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火に油を注ぐ、というのは激しいものを更に激しくさせるという意味だが、ある本を呼んでいて、「焔に薪をそへるが如し」という表現に出会った。薪はたきぎと読むのだろう。

 

世阿弥の味のある文章なので少々引用すると、

 

力芸の奥義を極めたシテが、ときどき異風(変わったかたち)を見せることがあるが、おもしろいと思って、初心者が安易に模倣してはならない。そもそも「たけたる位」(引用者注、たけたるは闌けたるで、円熟の境地のこと)というのは、若年から老年に至るまで、あらゆる稽古をし尽くした人間が、まれに演じる非風(悪いかたち)なのである。上手な人は、よいところばかりで完全無欠な芸だけでは見物にとって珍しくない。そこへ非風を少し混ぜれば、おもしろく見えるのであって、非風が却って是風(正しいかたち)となる。それを未熟なものがまねると、もともとしてはいいけないことをするのだから、まずい上にまずいことを重ねる結果となり、「焔に薪をそへるが如し」。たくるというのは技ではない。名人上手が鍛錬工夫をしたあげくに到達した「心位」なのである。

 

 

 この世阿弥の言葉は日本の美のひとつの極致を表わしているのだろう。鍛錬をし尽くした果てにあそびが入って真の美が生まれるのであって、型にはまったままでは足りないし、型ができてもいないうちからあそびに走ってもいけない。

芸の道、美の道は厳しいということでもあり、老いてようやく到達できる境地があるということで、老いを肯定していることにもなる。

こんな価値観があれば老人を敬い大切にするのは当然である。老人を大切にしないようでは日本の美も底の浅いものになってしまう。