心の花~素敵な花が咲きますように~

心の花~素敵な花が咲きますように~

べるの中に浮かんだ言葉たちの保管場所。
本棚みたいに、たまに覗きに来たくって。

気が向きましたら、そっと本棚から出してみてください。

久しぶりのブログ投稿

星空を夢見て 手を伸ばす君

闇に怯え 炎を恐れ

涙を星空に託す


この手を伸ばそう君の元へ

その星が見えるよ

共に光を作り出す


眩い(まばゆい)光を共に掴もう 

この闇に一筋の道

一緒に歩めば ほら 星座となる

希望の光を 星にするんだ



星に背を向けて 走り続ける君

闇を抱え 炎を抱え

涙はとうに手放した


この手を伸ばそう 君の元へ

その闇を包むよ

共に光を作り出す


眩い光を共に掴もう

光と闇は共にある

一緒に歩めば ほら 星座となる

共に手を取り 光の道へ



この手は その手は

光も闇も包み込み

同じ夜空に星座を生み出せるんだ

だから 怖がらないで

眩い光を共に掴もう

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昨年度つくった詩。


若星Z☆に参加してる友人と、

『わげって、平和の歌、ないよね。』

って話になって。


たしかに。

希望とか、

友情とか、

励ましとか、

過去に思いを馳せるとか、

そういう系のオリジナル曲ばかりかも。

少なくとも私が知ってる範囲では。


と思って、

モチーフを決めたら、

ある日言葉が一気に湧いてきて、

出来上がった詩です。


炎(争い)に怯える誰かも、

炎を抱えて走らなきゃいけない誰かも、

星(平和、平穏)を求める思いは

きっと心の奥底に抱えてる。

だったら、同じ星空を作れるはずでしょ❓


そんなことを思いながら作りました。


いつか曲として

形になるといいな。

 

 

 

 

 

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今年も3.11を迎えた。

毎年、あの日を思い出す。

あ、昨年は、おじいちゃんの葬儀だった。

あの時間は、骨壷に入ったおじいちゃんと一緒に戻るバスの車内だった。


今年は、昨日がゴスペラーズのファンクラブの集い、今日は岸谷香さん主催のライブイベント。

この後は三宅健くんがラジオ生放送だ。

いのっちが毎年やってる番組に、今年はゴスペラーズ北山陽一さんも出るって昨日わかって、不純で申し訳ないけど、嬉し過ぎた。


あの日と変わったこと、変わらないこと。


12年前だけど、

つい最近にも思える。


いつも思う。

私は宮城県民だけど、

“被災者”なんて言えない程度の被害だった。

有難いことに。

遠方の家族や友人とも、かなり早い段階で連絡も取れた。


友人をひとり、津波に連れていかれた。

ゴス友。

彼女は今のゴスペラーズを、

今のこの世界を、

どう見てるかなぁ。


今年はなんだか、

いつも以上に、

『あの時あそこの人たちはどんな思いだったんだろう』

が頭をよぎる。


沿岸の人たち。

原発の現場にいた人たち。

原発で生活を奪われた人たち。

大切な誰かを失った人たち。


私にはわからない感覚。

想像しか出来ない感覚。


だけど、

想像し続けることを、

そして、私に出来る方法で伝え続けることを、


これからも続けていかなきゃ、と思う。


そんなことを思う、3月11日。3月に思うこと

 

 

 

 

 

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2/2(木)
夜、母から電話があった。
叔父から、入院している福岡の祖母(父方)の呼吸がなくなり、呼び出された、と。その時は、叔母(父の姉)夫婦が到着した時には、呼吸が戻ったらしい。
だけど、いつどうなっても、という状況だ、と。

どこか、まだしばらくは…なんて思ってた。
母はこの週末、幕張の祖父(母方)の一周忌に幕張へ行くのに影響なければ…なんて言っていたけど。

2/3(金)
帰宅途中、父からLINE。
祖母が永眠した、と。

まずは父と連絡を取り合って、交通や宿泊の段取りを整えた。昨年の祖父の葬儀は10日程あったけど、今回はすぐの話。飛行機、空港での駐車場、出発の日の朝の動き、何を揃えなきゃいけないか。
職場の主任と園長、組んでる先生にもすぐ連絡して、週明けに有休を貰う手筈を整えて。

思いを馳せる余裕なんてなくて。

2/4(土)
勤務に当たってなかったから、足りない物の買い出しと、帰ってから荷造り。
昨年は春に差し掛かってたからコートも要らなかったけど、今回は一応いるかな。でも福岡ってどうなの?え、15℃!?コートいる!?でも念の為キャリーに詰める。おかしいな、キャリーケースぱんぱん。
シャワー浴びて、仮眠のつもりで横になったのに、気付いたら真夜中だった。洗濯物だけどうにか干した。おかしいな。明日早いし、いっか。なんて眠りに着いた。

2/5(日)
5:00からアラーム鳴らして、5:30には動き出した。
身支度整えて、最後の荷造りして、来るまで空港に向かって。狙ってた駐車場にも停められて。朝ごはんも空港でゆったり。

そして今、飛行機から能登半島を眺めつつ、これを書いてる。

おばあちゃんは、元々は大阪にいて。
大阪のあのアパート、何度も遊びに行った。
最後に大阪に行ったのは、就職して少しした頃だったかな。V6のコンサートだったっけ。まだおじいちゃんもいて、お好み焼き作ってもらった。
おばあちゃんが福岡の叔母夫婦の近くへ行ってから、私が会えたのはもう何年前か。ゴスペラーズのライブにかこつけて、福岡で叔母ちゃんちに泊めて頂いて、施設にいるおばあちゃんにも会えた。
あの時はまだまだ元気で、漢字のワークをやりたいから国語辞典を持ってきて、とか、窓の掃除をしようとして転んじゃって叔母から禁止令が出た、とか、そんな話をしていた。

私は元気なおばあちゃんの姿しか知らない。
叔母や叔父からの話で、父や母から、痴呆が進んでるみたいだ、とか、視力がかなり落ちてるらしい、とか、そんなことを聞いても、全然実感が湧かなかった。
あー、いつだかのお正月に電話した時は、私のことを完全に妹だと思ってて、会話が噛み合わないねーなんて思ったこともあったなぁ。

おばあちゃん、幸せだった?
おじいちゃんとはもう会えたかな。
本当に、お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。
今から行くからね。