5/25 叔父が本当に大変! | 母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

母の肺腺癌闘病記/叔父まで肺癌に

2015年2月末に遺伝子変異なしの肺腺癌ステージ4と診断された母の闘病記。
その他、健康に関する事や日々のことを。

2015年6月、叔父が扁平上皮癌に。
2016年6月2日、叔父他界。

こんばんはお月様
やっと少し気温が下がって過ごしやすくなりました。


タイトル通りなんですが、叔父がいつその時が来てもおかしくないと言われたそうです。


朝いつも通りチビの幼稚園の準備をしていたところに叔母から電話がありました。

「お昼から主治医の話があるので叔母が来て欲しいと言われた」と。

もうこの時点で良くないフラグが立ちまくりですよ。



14時からと聞いていたので電話を待っていましたが15時になっても16時になってもかかってきません。
17時を過ぎてようやくかかってきました。


・右肺の3室のうち1番上しか機能していない
・4月に右気管支に放射線を当てて辛うじて上葉に繋がる細い気管支に道が出来た。
機能していると言ってもほぼ左肺だけなのに変わりなし
・残っている左肺がやられたら手の施しようがない=死亡
・息子たちは遠くに住んでいるので今後何かあった場合に延命するかどうするかをあらかじめ決めて欲しい

という内容を叔父と叔母の前で告げられたそうです。


このままでは癌より肺炎で命を落としそうになっています。
今は検査できないのでレントゲンでの結果ですが癌はそこまで変化が無いようです。


叔父は4/5にオプジーボの二回目を打って家に帰るも夕方に病院に戻って入院しました。
その少し前からダルさや食欲減退がありました。


入院してからは何度も肺炎の種類を聞いて貰うよう叔母に伝えていましたが、いまいち的を得ない感じだったので分かりませんでした。
さすがに今日は更に何度も念押しして主治医に聞いてもらいました。

【普通の肺炎じゃない】
という事でした。
叔父の主治医は何を聞いてもハッキリ答えてくれません。
分かってるのならちゃんと病名を言ってくれればいいのに。質問の答えがあまりにもぼんやりしすぎです。

断定は出来ませんがやはり1回目のオプジーボで間質性肺炎になっていたようです。

肺炎になったウイルスの原因は院内かもしれないし家でかもしれないしなんて言ってたのは何だったんだろう。
間質性肺炎になってて更に肺炎になったって事?



今日から個室になりました。
トイレ問題がクリアになったので精神的には楽になったようです。


何はともあれまず体力回復ですよね。
年齢のせいか扁平上皮癌の性質なのか癌の勢いはあまり無いようなので肺炎の方を何とかしたいです。


もう少し良くなるのかこのままズルズルと行って最期を迎えるのか主治医には読めないと言われたそうです。



間質性肺炎・・

本当にオプジーボでなる人もいるんですね。


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