エロ本 | THE 初代

エロ本

エロ本。今日はエロ本。今日はエロ本です。

春画のような物は除いて、明治時代以降で調べました。



1875年(明治8年)に「造化機論」が出る。

これは西洋式の性学書で、当時の一般人にはなじみのなかった精子と卵のことなども解説されていた。
保守的で、エロ本と言うにはやや上品であったようですが、男女の性器の図解等もあり、現在のエロ本のような関心で見られた面も強かったみたいです。



現代でいう医学書で興奮していたわけですね。



大正期には雑誌「変態心理」「変態性欲」などが出現、変態性欲まで幅を持つようになる。
昭和にはいると雑誌「グロテスク」や「猟奇画報」「世界猟奇全集」など、エログロ、特に猟奇という言葉で表されるような内容の書籍雑誌が多数出版された。


いきなりハードルを上げてきます。
医学書の次は、いきなり変態、エログロです。




驚く程の好奇心に乾杯



ただし、検閲などの統制下でもあり、それらは会員制等の下での限られた部数のものであった。しかし、次第に自由な出版を弾圧する姿勢が強まり、1930年頃には表向きとしてはエロ本は全滅。



エロ本は一度根絶やしにされます。




第二次大戦の敗戦によって、それまでの統制からの解放と共に、一気に合法的エロ本が急増。




解放と共に急増



それらの雑誌は、粗悪な紙を使っていたことから当時の低品質の酒「カストリ」にちなんで「カストリ雑誌」と呼ばれた。しかし、カストリ雑誌そのもの3、4年でほぼ消えたが、それらは形を変え、いくつかの型に分かれて継承された。




~エロは受け継がれていきます~



1949年にカストリ雑誌のひとつから名前を変えた「夫婦生活」。

1948年に出版されたSM雑誌「奇譚クラブ」。その後「風俗奇譚」「裏窓」が出て、初期の三大SM誌と言われた。このころはSMだけでなく、同性愛なども同時に扱った。



性知識に関するものでは1960年には「性生活の知恵」、1971年には奈良林祥の「HOW TO SEX」がある。



1964年には「平凡パンチ」が創刊、ヌードを多用した成年男子向けの雑誌であり、そのヒットから「週刊プレイボーイ」が出て、この両者は長く若者向けソフトエロ本としての地位を保ち続ける。

1968年、「ポケットパンチOh!」はロマンポルノの女優を中心にピンク映画情報などを扱った情報誌の走りで、類似誌が多数出た。またこれが後にAV情報誌に引き継がれる。

1971年にはSM主体の雑誌から分かれるような形で「薔薇族」が創刊、続いていくつかの同性愛雑誌が出ている。


漫画では1970年代当初にエロ劇画が出現、1973年の「エロトピア」の創刊を皮切りにエロ劇画誌が続々と出て、一気にその市場を拡大した。やがてこれにロリコン漫画誌が参入、市場を食い合う展開に。アダルトゲーム情報誌はロリコン雑誌とパソコン雑誌のはざまから生まれた





なんか…こうやって調べてみると…
エロ本の歴史もオモシロいです。






未設定


あなたはコレを知っていますか?